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【再会(夫婦)】

★1.夫婦が別れ別れになり、何年かののちに再会する。

『明石物語』(御伽草子)  播磨の明石三郎は悪人のために捕えられ、奥州外の浜へ流される。明石の妻は夫を尋ねて旅立ち、道中で出産するなどの苦難を経て、信夫の里に身を寄せる。5年後、明石は破牢して故郷を目指し、信夫の里に立ち寄って思いがけず妻と再会する。

『小栗(をぐり)(説経)  小栗判官は照手姫と結婚してまもなく毒殺されるが、閻魔王の情けで、3年後に相模国上野の原の塚から蘇生する。餓鬼のごとき姿の彼は、444日かかって熊野本宮に運ばれ、湯の峰に入湯する。49日後にもとの健康体になり、やがて美濃国青墓で照手姫と再会する。

『今古奇観』第14話「宋金郎団円破氈笠」  宋金は宜春と結婚して睦まじく暮らすが、肺病になったため、舅によって荒地に捨てられる。宋金は経文の力で病気を治し、盗賊の隠した財宝を見つけて、「銭大尽」と呼ばれる富豪になる。宜春は、夫・宋金は死んだものと思い、喪に服して操を守り、3年がたつ。それを知った銭大尽は宜春に求婚し、宜春も、銭大尽=宋金と知って、2人は抱き合う。

『諏訪の本地』(御伽草子)  甲賀三郎諏方は、兄二郎の奸計により、妻春日姫と別れ地底の国々をさすらう。維縵国で9年7ヵ月を過ごす間に地上では3百年がたっていたが、三郎はついには日本へ帰りつき、春日姫と再会することができた。

『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」  ナラ王は賭け事に負け、王国も財産も失って、妃ダマヤンティーとともに半裸姿で森をさまよい、ついにはダマヤンティーとも別れてしまう。2人はそれぞれ他国の王の御者・王女の侍女となって暮らし、4年後にようやく再会する。

*夫婦が20年ぶりに再会する→〔帰還〕1の『オデュッセイア』第23巻。

*妻が霊となって、7年ぶりに夫と再会する→〔帰還〕2の『雨月物語』「浅茅が宿」。

*妻が夫を捜して再会するが、夫は記憶喪失で、妻と会ってもわからない→〔同一人物〕3の『心の旅路』(ルロイ)。

★2.戦乱で別れた夫婦・恋人が再会する。

『警世通言』第12話「范鰍児双鏡重円」  戦乱の中を逃げる途中、徐信は妻の崔氏とはぐれる。同じく夫とはぐれた女と道連れになった彼は、やがてその女と夫婦になる。3年後、茶店で偶然女は旧夫と再会し、旧夫が「自分も再婚した」というその相手を見れば、それは徐信の妻崔氏であった。2夫婦は、それぞれもとのさやにおさまった。また、范希周は、戦乱の中でめぐり会った順哥に祖先伝来の鴛鴦の2鏡を結納として贈り、結婚する。やがて、2人は鏡を1枚ずつ持ちつつ再会を期していったん別れる。12年の後、広州の指揮使となった希周が、公務でたまたま順哥の父の屋敷を訪れ、鴛鴦の2鏡が証拠となって夫婦は再会する。

『太平広記』巻166所収『本事詩』  戦乱のさ中、ふたたびめぐり会う時の目印として徐徳言は、鏡を2つに割って妻に半鏡を与え、「正月の15日に町で売れ」と言いおく。後、徳言は約束の日に市場で半鏡を見出し、妻が今は越公楊素の寵愛を受ける身であると市場の男から聞いて嘆くが、事情を知った楊素は、彼女を徳言に返す。

『太平広記』巻485所収『柳氏伝』  韓翊は、官途につくため最愛の柳氏を残して旅立つ。その間に都では戦乱が起こり、柳氏は蕃族の将軍の妾にされてしまう。都へ戻った韓翊はそれを知って絶望するが、事情を聞いた義侠の人が将軍のもとから柳氏をさらい出し、韓翊と柳氏は再会する。

『無双伝』(唐・薛調)  戦乱のため、王仙客と許婚の無双とは離ればなれになる。戦乱がおさまり、仙客が無双を捜すと、彼女は天子の後宮に入れられていることがわかる。義侠の人が、飲めば3日間死んだようになる薬を無双に与え、彼女の身体を死骸として後宮から運び出し、仙客のもとへ送り届ける。

★3.慕い合う男女が思いがけぬ所で再会する。

『十三夜』(樋口一葉)  録之助とお関は下町育ちで相愛の仲だったが、お関は奏任官原田勇に見そめられて、その妻となる。お関を失った録之助は放蕩のあげく、身をもちくずしてその日暮らしの人力車夫に落ちぶれる。お関が結婚して7年。陰暦9月13夜の深更、録之助とお関は、車夫とその客として再会する。2人はいくらか言葉を交わしただけで、そのまま別れるほかなかった〔*お関の結婚生活も幸福なものではなかった〕→〔離縁・離婚〕5b

*結婚できなかった男女が、病気療養者と看護婦として再会する→〔心中〕11の『二階』(松本清張)。

*泉鏡花の『義血侠血』(*→〔裁判〕2)では男女が検事代理と殺人犯、『外科室』(*→〔心中〕6)では外科医と患者となって、再会する。どちらも男女は死んでしまう。

*死んだ妻が生まれ変わって夫と再会する→〔転生する男女〕1に記事。

*→〔裁判〕2の『復活』(トルストイ)・『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「再会」。

★4.再会した時、夫が零落している。

『神道集』巻8−46「釜神の事」  貧運の夫が女遊びに心を狂わせ、福運の妻を離縁する。妻は別の男と再婚して、裕福に暮らす。そこへ、箕(み)作りに落ちぶれた旧夫(*→〔掌〕2a)が、もとの妻の住む家とは知らず、「箕を買って下さい」と言ってやって来る。妻は旧夫を憐れみ、多くの物を与える。旧夫は、目前にいるのがもとの妻と知り、恥ずかしさの余り倒れて死ぬ。妻は旧夫を釜屋の後ろに葬り、釜神として祀る。

『炭焼き長者』(昔話)「再婚型」  福運の妻が貧運の夫の家を出て、炭焼き五郎と再婚する。夫婦で炭竈を見て廻ると、どの竈にも黄金があり、2人は長者になる。貧運の旧夫は落ちぶれて、もとの妻の住む家とは知らず、炭焼き五郎の屋敷へ竹細工を売りに来る。妻が対面して、自分が誰であるかを知らせると、旧夫は恥じて舌を噛んで死ぬ(鹿児島県大島郡)。

『大和物語』第148段  難波に住む貧しい夫婦が、「しばらく2人別々に働いて、生計を立てよう」と考え、いったん別れる。女は京へ宮仕えに出て、やがて身分高い人の妻となる。しかし夫はさらに貧しくなり、葦を刈って売り歩く乞食同然の境遇に落ちぶれる。後に夫婦は再会し、夫は自分の身の上を恥じて逃げ去る〔*『今昔物語集』巻30−5に類話。『神道集』巻7−43「葦苅明神の事」では、夫は恥じて海へ身を投げる。妻も後を追って投身する。死後2人は神(=難波の浦の葦苅明神)となった〕。

『李娃伝』(唐代伝奇)  受験のため長安へ来た男が、娼妓の李娃と親しくなり1年ほどで所持金を使いはたす。李娃は養母らとはかって男を捨てる。男は病み、葬式人夫に身を落とし、ついには乞食になる。雪の日、男が物乞いに訪れた家は李娃の家で、彼女は変わりはてた男を見て前非を悔い、真心こめて男の世話をする。

★5.再会した時、妻が零落している。

『伊勢物語』第60段  宇佐の使いとなった男が、かつて自分を捨てた妻が祇承の官人の妻となっているのを知り、宴席でかわらけを取らせ「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」の歌を詠みかける。女は恥じて尼になる。

『今昔物語集』巻19−5  六の宮に住む姫君が受領の息子を夫に持つが、夫は父に従って陸奥へ行き、常陸守の婿に迎えられるなどして7〜8年を過ごす。ようやく帰京して姫君を探し、零落して朱雀門前の曲殿に臥す彼女を見出すものの、姫君は夫と顔を見合わせるや、たちまち息絶える〔*『古本説話集』上−28に類話。『六の宮の姫君』(芥川龍之介)の原話〕。

『今昔物語集』巻30−4  女が、貧しさゆえ夫と別れ、近江郡司の子の妻となるが、やがて郡司の下女のごとき身分になってしまう。夫は近江国司となって赴任し、接待に出た下女をもとの妻と気づかず寝所に召す。幾夜かの後、事情を知った女は恥ずかしさに、夫の腕の中で息絶える〔*『伊勢物語』第62段に類話。『曠(あら)野』(堀辰雄)〕の原話。

★6.男が、死んだはずの恋人その他の人物たちと、再会する。

『カンディード』(ヴォルテール)  カンディードは諸国放浪中に、「恋人キュネゴンド姫が兵士たちに犯され、腹を裂かれて死んだ」と聞き、また、師傅パングロスが絞首刑にされるのを見る。さらにカンディードは、キュネゴンド姫の兄と争って彼を殺してしまう。ところがキュネゴンド姫もその兄もパングロスも、怪我をしただけで皆生きていた。カンディードは彼らと再会し、最後にキュネゴンド姫と結婚する。

*男が、刃物で殺したはずの女と再会し、結婚する→〔運命〕1bの『今昔物語集』巻31−3・『続玄怪録』。

 

 

【再会(父子)】

★1.父親が、行方知れずの娘と再会する。

『落窪物語』  落窪の姫君は、父中納言と継母のもとでの惨めな生活から救い出され、道頼少将と結婚した。道頼は中納言家にさまざまな復讐をし、中納言は事情がわからず困惑する。しかし後に父中納言は、道頼の妻が落窪の姫君であることを知り、道頼邸に招かれて、5年ぶりに娘と再会した。

『日本霊異記』上−9  但馬の人の娘が、嬰児の時鷲にさらわれた。8年後、父親が用事で丹波へ行き、ある家に宿って、そこで養われていた我が娘と、はからずも再会した〔*『今昔物語集』巻26−1の類話では、10余年後再会した、とする〕。

★2.父親が、家から追放した息子や娘と再会する。

『鉢かづき』(御伽草子)  備中守さねたかは、娘鉢かづきを追い出した後、妻との仲も悪くなり貧しくもなったので、修行に出て長谷観音に参詣する。折しもそこへ、今は宰相と結婚して幸福に暮らす鉢かづきが、夫や従者たちと訪れ、父と娘は再会する。

『雲雀山』(能)  横佩(よこはぎ)右大臣豊成は人の讒奏を信じ、「娘中将姫(ちゅうじょうひめ)を雲雀山で斬れ」と、家臣に命ずる。しかし家臣は姫を殺さずに、山の庵に隠す。後に中将姫の無実を知って後悔した豊成は、姫生存の噂を聞き、雲雀山へ鷹狩りに出かける。豊成は中将姫と再会し、屋敷へ連れ帰る。

『弱法師(よろぼし)(能)  河内高安の左衛門尉通俊は人の讒言を信じて、一子俊徳丸を家から追放する。通俊はそれを悔やみ、翌年の春彼岸に天王寺で施行(せぎょう。=僧や貧民へのほどこし)をする。その中日に通俊は、「弱法師」と呼ばれる盲目の乞食を見て、それが我が子俊徳丸であると知る〔*類話である『しんとく丸』(説経)では、盲目となりながら後に開眼したしんとく丸が、安倍野が原で施行をする。そこへ盲目の乞食となった父信吉(のぶよし)長者が施行を受けに来て、父子は再会する〕→〔開眼〕6

★3.父親が子供と再会するが、父と名乗らずに別れる。

『かるかや』(説経)  高野山で修行する苅萱道心のもとに息子石童丸が訪ねて来るが、苅萱は父と名乗らず、さらに「北国修行」と称して石童丸と別れ、信濃の善光寺に籠もる。50年後、父は善光寺で、子は高野山で往生を遂げる→〔同日・同月〕2a

『三人法師』(御伽草子)  篠崎六郎左衛門は妻子を捨てて遁世し、数年ぶりに故郷へ戻った。折しも、妻が死んだ直後であり、幼い2人の子(姉と弟)が、母の骨を拾っていた。入道は「父である」と名乗ろうとするが思い返し、そのまま立ち去った。

*父が素性を隠したまま、娘と短い対面をする→〔偽死〕1の『球形の荒野』(松本清張)。

★4.父親も息子も、再会・対面を拒否する。

『砂の器』(映画版)  もと巡査の三木謙一は、音楽家・和賀英良(本浦秀夫)に、「20年以上前に生き別れた父・千代吉に会え」と説く。和賀は「父と会えば、作曲中の交響曲『宿命』の構想が乱れてしまう」と考え、父との再会を拒否して、三木を殺す。殺人事件を捜査する今西刑事は、和賀の写真を本浦千代吉に見せる。千代吉は「癩病者の自分が父と名乗っては、息子のためにならない」と思い、「そんな人、知らねぇ」と叫んで号泣する〔*松本清張の原作では千代吉はすでに死亡しており、父子再会のテーマは見られない〕→〔写真〕2

 

*息子が父を尋ね歩き、再会する→〔歌〕11の『歌占』(能)。

 

 

【再会(母子)】

★1.母親と息子が再会する。

『さんせう太夫』(説経)  丹後の国司となったつし王(厨子王)は、さんせう太夫をのこぎり引きの刑に処した後、母を捜して蝦夷が島へ渡る。母は盲目になり、畑で鳴子の手縄に取り付いて、「つし王恋しや、ほうやれ。安寿の姫恋しやな」と、鳥を追っていた。つし王は、膚守りの地蔵菩薩で、母の両眼を3度なでる。つぶれて久しい母の両眼が、ぱっと開き、母子は再会を喜び合う〔*母は安寿の死を聞いて悲しむが、「仕方ないこと」と諦めて、玉の輿に乗って国へ帰った〕。

 *娘が、盲目になった母と再会する→〔母と娘〕4の『まつら長者』(説経)6段目。

『良弁杉由来』「二月堂の段」  学徳高い東大寺の良弁僧正は、2歳の時に大鷲にさらわれ、二月堂前の杉の梢まで連れて来られた所を、前僧正に救われたのだった。我が子を捜し求める母渚の方が、良弁僧正の噂を聞いて東大寺を尋ね、杉の木の前で、30年ぶりに母子は再会した〔*→〔鷲〕1bの良弁杉の伝説もほぼ同じ〕。

*子が母を捜し求め、再会する→〔母さがし〕

★2.母親が娘と再会するが、母と名乗らず別れる。

『国訛嫩笈摺(くになまりふたばのおいずる)「どんどろ大師の場」  阿波の十郎兵衛・お弓夫婦は、紛失した主家の宝刀を探すうち、盗みをはたらいてしまった。ある日お弓は、どんどろ大師に参詣して、幼い巡礼娘に出会う。娘は、「3つの年に別れた父(とと)さん・母(かか)さんを捜しております。生国は阿波の徳島。父さんの名は阿波の十郎兵衛、母さんはお弓」と言う。お弓は、それが6年前に別れた娘お鶴であることを知るが、「犯罪者の自分が母であっては、娘のために良くあるまい」と考え、母と名乗らず別れる〔*お鶴はその後、阿波の十郎兵衛と出会う。十郎兵衛はお鶴を自分の娘とは知らず、お鶴の持つ金目当てに殺してしまう〕。

★3.母親が、再会した息子を殺す。 

『人間の証明』(森村誠一)  終戦直後、八杉恭子は進駐軍の黒人兵ウイルシャーと愛し合い、息子ジョニーが生まれた。やがて帰国命令が下り、ウイルシャーはジョニーを連れてアメリカへ去った。その後、恭子は郡陽平と結婚する。陽平は与党の有力政治家となり、恭子自身は評論家としてマスコミに登場し、名声を得た。そこへ、20代の青年となったジョニーが、アメリカから恭子に会いに来る。恭子は「黒人の子を産んだ過去を世間に知られれば、現在の地位を失う」と考え、ジョニーを刺殺した。

 

*再会しても母子と気づかず、母が子を殺す→〔生き肝〕1の安達が原の鬼婆の伝説、〔宿〕6の『奥州安達ケ原』4段目。

*再会しても母子と気づかず、母と子が結婚する→〔母子婚〕1

 

 

【再会拒否】

★1.遁世僧が、旧知の人との再会を避けて姿をくらます。

『今昔物語集』巻15−15  比叡山を出奔した長増が、数十年後、伊予国で思いがけず弟子僧と再会する。乞食姿の長増は出奔の理由などを述べた後、とめる弟子僧を振り切って走り去り、再び行方知れずになる〔*『古事談』巻3−36・『発心集』巻1−3の類話では、それぞれ平燈大徳・平等供奉のこととする〕。

『撰集抄』巻3−2  「我(西行)」は、住吉の社に集まる乞食や不具者たちの中に、唖(おし)の物乞いを見かけ、それが天台山(=比叡山)の静円供奉(ぐぶ)だったので驚いた。静円供奉は、唖の真似までして世を捨て、世から捨てられようとしていたのだ。彼は「人目もあるゆえ、夜あらためて会おう」と「我」に約束したが、そのまま姿をくらましてしまった。

『撰集抄』巻3−6  法印隆明が播磨の明石に住んでいた時のこと。仔犬を抱いた裸の乞食僧がやって来たので、見ると、驚いたことに、それは清水寺の宝日聖人だった。隆明が「何というお姿でしょう」と嘆くと、宝日はほほえみ、「まことに物に狂ひ侍るなり」と言い捨てて、木暗き茂みの中に走り込んで姿を消してしまった。

『発心集』巻1−1  川の渡し守りとなった玄賓が、越の国へ赴く弟子に姿を見られる。弟子はいったんそのまま通り過ぎ、帰洛時にあらためて対面のため渡し場を訪れると、すでに玄賓はいなかった〔*『古事談』巻3−7に同話〕。

★2.零落した人が、旧知の人との再会を避けて姿をくらます。

『西鶴置土産』巻2−2「人には棒振虫同前に思はれ」  ぼうふら売りに落ちぶれたもと大尽が、かつての遊び仲間たちと偶然再会する。彼と女房子供の極貧の暮らしぶりを目にした仲間たちは、数日後、家に金を届けるが、その時すでに一家は何処へか立ち退き、空き家になっていた。

★3.世を捨てた夫が、自分の所在を妻に知らせず、対面もしない。

『大和物語』第168段  深草の帝の御大葬の夜、良少将(=良岑宗貞)は出奔し法師となる。妻子が長谷寺に参籠し、「良少将の消息を知らせ給え」と祈る。その夜、たまたま良少将も長谷寺で勤行していたが、妻子と対面したい心をおさえ、身を隠したまま一夜を泣き明かす。

 

 

【最期の言葉】

★1.愛する人の名前を呼んで、死んでゆく。 

『上海帰りのリル』(島耕二)  山本謙吉は、行方不明のリルとの再会を願い、横浜にキャバレー「クリフサイド・クラブ」を作った(*→〔歌〕5b)。暴力団がクラブの乗っ取りをたくらみ、山本と銃撃戦になる。クラブのマダム紀子は山本に思いを寄せていたが、彼女も山本とともに銃弾を受けて倒れる。紀子は瀕死の山本に寄り添って、「山本さん」と呼びかける。しかし山本の口からは「リル」という名前が洩れただけだった。紀子は山本を射殺し、自らも死んだ。

『肉体の悪魔』(ラディゲ)  少年の「僕」は、年上の人妻マルトと愛人関係になる。マルトは「僕」の子供を産み、その子に「僕」と同じ名前をつける。マルトの夫ジャックは、妻の不義を知らない。産後しばらくして、マルトは病死する。ジャックは、「妻はあの子の名前を呼びながら死んで行きました」と言って嘆く。そうではない。マルトは「僕」の名前を呼びつつ死んだのだ。

★2.謎の言葉を残して死ぬ。

『市民ケーン』(O・ウェルズ)  老齢に達した新聞王ケーンが、「バラのつぼみ」という謎の言葉をつぶやいて死ぬ。その言葉の意味を明らかにすべく、ケーンの生涯が調査される。ケーンは伯父から相続した遺産をもとに、莫大な富と名声を得たが、妻も親友も愛人も失った。大邸宅で孤独のうちに死を迎えるケーンは、幼い頃の楽しかった雪遊びを思い出す。「バラのつぼみ」とは、雪遊びの橇(そり)に書かれていた文字だった。

『砂の器』(松本清張)  殺された男がその直前、東北なまりで「カメダ」という謎の言葉を残した。警察は、東北地方の「カメダ」姓の人物を調査するが、該当者はいない。「カメダ」は人名ではなく土地の名前であり、「カメダ」と聞こえたのは、島根県の亀嵩(かめだけ)地方のことだった。この地方では、東北弁によく似た言葉が使われていた。

『まだらの紐』(ドイル)  夜、寝室で何物かに襲われたジュリアは、駆けつけた妹ヘレンに、「まだらの紐( speckled band )」という謎の言葉を残して死ぬ。ジプシーの群れ( band )、そして彼らのかぶる水玉模様( speckled )のハンカチを意味するのではないか、とヘレンは考えるが、「まだらの紐」とは毒蛇のことだった。

*小菜女(さなめ)は「イアラ」と絶叫して、大仏の中に溶かしこまれた→〔人柱〕7の『イアラ』(楳図かずお)。

★3.謎のメッセージを残して死ぬ。

『Xの悲劇』(クイーン)  列車内で射殺されたドゥイットは、左手の中指を人差し指の上に斜めに重ねてXの字形を作り、誰が犯人かを示した。犯人は検札の車掌をよそおってドゥイットに近づいたのであり、Xは、車掌が切符に入れるパンチ跡の形を意味していた。

★4.最期の言葉の心得。

『発心集』巻2−5  夜、覚尊上人が仙命上人の房を訪れたが、板敷きの板が2〜3枚はずしてあったので、下に落ちてしまった。落ちる時、覚尊上人は「あな、悲し」と声をあげた。仙命上人はそれを聞きとがめ、「落ちて死ぬ可能性もあるのだ。最期の言葉としては、『南無阿弥陀仏』とこそ申すべきだ」と言った。

『発心集』巻2−9  前滝口武士助重は盗人に射殺されたが、箭(や)が背中に当たる時、ただ一言、「南無阿弥陀仏」と叫んで死んだ。その声は隣の里にまで聞こえた。人が来て見ると、助重は西に向かい、すわったまま眼を閉じて死んでいた→〔死夢〕3

 

 

【さいころ】

★1a.二つのさいころに六の目を出す。

『大鏡』「師輔伝」  九条殿師輔公の娘安子が冷泉院を懐妊していた頃。庚申待ちの夜に、師輔が双六をしようと言い、「もし懐妊中の御子が男子であるならば、重六出よ」と言って、さいころを振った。するとただ1度で、6の目2つが出た(*師輔公は死後も、冷泉院を守り助けた→〔父の霊〕2)。

★1b.三つのさいころに六の目を出す。

『黄金伝説』143「聖フランキスクス(フランチェスコ)」  聖フランキスクスを信じない騎士が、「フランキスクスが本当に聖人ならば、18の目が出よ」と言ってさいころを振ると、3つのさいころに6の目が出た。その後もさいころを振るたびに6が揃って、18の目が9回も出た。

『ゲスタ・ロマノルム』170  馬に乗った聖ベルンハルドゥスに、遊び人が「あっしの魂と、その馬を賭けましょう」と、さいころ勝負を挑む。遊び人は3つのさいころを投げて17の目を出し、「勝ったも同然だ」と喜ぶが、聖ベルンハルドゥスは18の目を出した。遊び人は負けを認めて、魂を聖ベルンハルドゥスにゆだね、聖なる生活の後、幸せな死によって神のもとへおもむいた。

★1c.五つのさいころに一の目を出す。

『夜のさいころ』(川端康成)  芸人たちの旅興行に同行する青年水田が、踊り子みち子に「さいころで何か占ってくれ。1が出たら恋愛しようか」と持ちかけ、さらに「5ついちどきに振って、みんな1が出せるかい?」と聞く。みち子は1人練習して、何日か後の夜、水田が部屋に来た時、5つのさいころすべてに1を出して見せた。

★2a.さいころ賭博。 

『狸賽』(落語)  男が狸をさいころに化けさせ、壺皿に伏せたさいころの目を当てる「ちょぼ一」をやる。男が「1」「2」などとつぶやくと、狸がその通りの目を出すので、仲間が怪しむ。男は困って、「5」と言う代わりに「梅鉢。天神様」と唱えて壺皿を開けると、狸が菅原道真に化けていた。 

*デメテル(=イシス)とのさいころ勝負→〔冥界行〕1aの『歴史』(ヘロドトス)巻2−122。

★2b.さいころを、わざと壺皿の外へ転がし、しかもそれに気づかないふりをする。

『看板のピン』(落語)  老親分が、子分たちと「ちょぼ一」をやる。老親分が壺皿を伏せると、さいころが外へ転がって、ピン(1の目)が出る。子分たちは「親分も、もうろくしたなあ」と思いつつ、皆、ピンに張る。それを見た老親分は、「看板のピンはしまうぞ」と言って、そのさいころを袂に入れる。壺皿の中には、もう1つさいころがあって6の目が出ており、老親分が1人勝ちする。

『座頭市物語』(三隅研次)  盲目の座頭市が、丁半賭博の壺振りを買って出る。彼が壺皿を伏せると、さいころが外へ転がって、半(=奇数)の目が出る。皆は心の中で座頭市をあざけり、半に張る。座頭市は、転がっているさいころを手探りし、「おや。袂から落としてしまったか」と言って、懐にしまいこみ、それから壺皿を開ける。中のさいころは丁(=偶数)の目だった。 

★3.多くのさいころの目の総数。

『賽の目』(狂言)  大有徳(だいうとく)の者が、「算勘に達した者を聟に取ろう」と考え、5百具(1千個)の賽の目の数を問う。聟の候補者がやって来るが、1人目も2人目も正答できない。3人目の男が「1の目が千個で1千、2の目が2千、3の目が3千、4の目が4千、これで1万。5の目が5千、6の目が6千で、合わせて1万1千。総計2万1千」と答える。 大有徳の者は感心して、男に娘を与える。ところが、娘はたいへんな醜女だったので、男は逃げて行く。 

 

 

【最初の人】

★1.最初に見る人・出会う人が深い縁のある人である。

『イオン』(エウリピデス)  子にめぐまれないクストスと妻クレウサが、アポロンの神託を受けにデルポイへ赴く。神はクストスに、「神殿を出て最初に出会う者が、汝のまことの子である」と告げる。クストスが出会ったのは、神殿に仕える青年イオンであった。そして、イオンはかつてアポロン神とクレウサの間に生まれた子であることが、明らかになった。

『黄金伝説』3「聖ニコラウス」  ミュラの司教が死に、後任を選ぶため多くの司教たちが集まる。夜、「朝課の時刻に最初に教会にやって来るニコラウスという男を、司教にせよ」との声がする。翌朝いちばん先に教会に来た聖ニコラウス(=サンタ・クロース)が、司教に任ぜられる。

『落窪の草子』(御伽草子)  六角堂の観音に21日参籠する落窪の姫君は、「下向の折、最初に会う男を夫にせよ」との霊夢を得る。堂を出ると物狂いの男に会うので、悲しみつつもこれを家へ連れ戻りともに暮らす。後に姫の父との対面の場で、この男が、かつて姫君に求婚していた二位中将であることがわかる。

『今昔物語集』巻12−7  東大寺を建立した聖武天皇が、「開眼供養の日の朝、寺の前に最初に来る者を読師とせよ」との夢告を得る。当日やって来たのは、鯖売りの老翁だった〔*『宇治拾遺物語』巻8−5の類話には、最初に出会う人のモチ−フはない〕。

『今昔物語集』巻16−32  鬼の唾によって姿を消された生侍が、もとどおりの身体になるよう六角堂の観音に参籠して祈り、「堂を出て最初に出会う者の言葉に従え」との夢想を得る。翌朝、出会った牛飼い童から「一緒に来い」と言われ、生侍は、僧が病人を祈祷する家に行く。僧の火界呪によって生侍の着物に火がつき、彼の姿は見えるようになる。

『つぐみひげの王様』(グリム)KHM52  高慢な姫が花婿候補たちの容姿を嘲り、皆を拒否する。父王が怒って、「姫を、最初に戸口に来る乞食の嫁にする」と命ずる。姫は、やむなく物乞いの旅芸人と結婚するが、その旅芸人の正体は、かつて姫が嘲ったつぐみひげの王様だった。

『夏の夜の夢』(シェイクスピア)第2〜3幕  恋の3色スミレの汁をしぼって、眠る人のまぶたにそそいでおくと、目がさめた人は最初に見るものを恋するようになる。妖精パックが、花の汁をそそぐべき人間を間違えたり、妖精の女王がロバ頭のボトムに恋したりなど、さまざまな騒ぎがおこる。

『日本霊異記』中−15  高橋連東人は法華経を書写し法会を催そうとして、従者に「道で最初に出会った人を法会の講師とするので、修行者らしい姿の人なら誰でもよいからお連れせよ」と命ずる。従者は、酔って道に臥す乞食僧を連れて来る〔*『今昔物語集』巻12−25に類話〕。

『マハーバーラタ』第5巻「挙兵の巻」  パーンダヴァ軍とカウラヴァ軍の大戦争が近づき、両軍からアルジュナとドゥルヨーダナがクリシュナのもとへ援助を請いに急行する。ドゥルヨーダナが一足早くクリシュナの寝所に入ったが、目覚めたクリシュナが最初に見たのはアルジュナだった。どちらを優先するわけにもいかず、クリシュナは2人に二者択一の条件を出す→〔二者択一〕2

*最初に象がやって来る→〔象〕4aの『ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナ』(ガネーシャ)。

★2a.最初に行く人・来る人が、犠牲になって死ぬ。

『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第3章  ギリシアの艦隊がトロイアに遠征する時、テティスが息子アキレウスに「最初に船から上陸するな。最初に上陸する者は最初に死ぬだろうから」と命じた。プロテシラオスが一番に上陸し、多くのトロイア兵を殺した後に、ヘクトルの手にかかって倒れた。

『士師記』第11章  勇者エフタは神に誓願を立て、「戦勝して凱旋できたならば、わが家の戸口から出て来て私を迎える者を、主に捧げます」と言う。ところが、エフタが戦いに勝って家に帰った時、最初に出迎えたのは彼の1人娘であった。彼女は2ヵ月の猶予を請い、処女のまま死ぬことを泣き悲しんだ後に、主にささげられた。

*→〔人柱〕2のおとめ桜の伝説。

★2b.神の慈悲で、最初に来る人が死なずにすむ。

『イドメネオ』(モーツァルト)  荒れる海を乗り切るため、クレタの王イドメネオは、「陸に上がって最初に会う人間を海神ネプチューンに生贄として捧げる」と誓う。しかし上陸した王が最初に会ったのは、息子イダマンテだった。イダマンテは死を覚悟するが、彼を愛するトロイアの王女イリアが「代わりに私を生贄に」と申し出る。ネプチューンの像が揺れ動き、「イドメネオは退位し、イダマンテが新王、イリアが妃となれ」と、神託を下す。

★2c.人間を犠牲にせぬよう、動物を最初に行かせる。

『ドイツ伝説集』(グリム)186「フランクフルトのザクセンホイザー橋」  フランクフルトのザクセンホイザー橋を作る時、棟梁が悪魔の手助けを借り、その返礼に、橋を最初に渡るものの魂を悪魔に引き渡すこととなった。棟梁は1羽の鶏を追いやって橋を渡らせ、その魂を悪魔に与えた〔*同・337「悪魔橋」では、羚羊に橋を渡らせて悪魔に与える〕。

『ドイツ伝説集』(グリム)187「狼と樅の毬」  教会建設が資材不足のため滞る。悪魔が、教会落成の際に最初に戸口から入る者の魂をもらう条件で、建設に必要な金銭を提供する。人々は相談して、狼を教会に走りこませる。

★3.最初に手にする物が幸運のきっかけになる。

『今昔物語集』巻16−28  男が長谷寺に参籠して「寺を出る時、最初に手に触れる物を捨てるな」との夢告を得る。翌朝、男は寺門を出る時つまずき倒れ、我知らず握っていたものを見ると、1本の藁だった〔*『宇治拾遺物語』巻7−5・『古本説話集』下−58に類話〕→〔交換〕4

『灰かぶり』(グリム)KHM21  「灰かぶり(シンデレラ)」は、町へ出かける父親に、「帰り道で最初に帽子にぶつかった木の小枝を、土産に欲しい」と請う。父親が馬に乗って木の茂みを通る時、はしばみの小枝がさわって帽子が落ちた。父親は「灰かぶり」に、はしばみの小枝を与える。「灰かぶり」は小枝を亡母の墓に植え、やがて小枝は大きな木になる。1羽の真っ白な小鳥がこの木へ飛んで来て、「灰かぶり」の望むものを、何でも投げ落としてくれる。

★4.生まれて最初に出会うもの。

『ソロモンの指環』(ローレンツ)7「ガンの子マルティナ」  「私(ローレンツ)」はハイイロガンの卵を孵卵器に入れ、ヒナが卵殻を破って出てくるありさまを見ていた。誕生したヒナは、頭を少しかしげ、大きな黒い目で「私」を見つめた。「私」はヒナの世話を鵞鳥にまかせるつもりで、鵞鳥の暖かい腹の下にヒナを押し込んだ。ところがヒナは大声で鳴きながら、「私」を追って走って来る。ヒナは、鵞鳥ではなく「私」を、母親と認めたのだ。 

『饅頭こわい』(落語)  大勢が、たまの休日に馬鹿話でもしようと集まったところへ、1人が、路地で見た青大将を怖がって逃げこんで来る。「人間は、胞衣(えな)を埋めたその上を最初に渡ったものが、怖いんだそうだ」と誰かが言い、それをきっかけに、1人ずつ怖いものを言い合う→〔物語〕2b。 

★5.最初の人になろうとして失敗する。

『沙石集』巻2−5  美女が勘解由小路の地蔵堂に参籠する。若い法師が美女に思いをよせ、眠る美女の耳に地蔵の告げをよそおって「帰り道で最初に出会う人を頼れ」とささやく。法師は帰り道に先回りして美女に出会おうとするが、履物を捜して手間取る。その間に美女は別の男と出会い、その妻になった。

『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)「たまごの中のしずちゃん」  「刷りこみたまご」の中にしずちゃんを入れると、そこから出て最初に見る人を好きになる。のび太が最初の人になろうとするが、ちょうどその時、出木杉がやって来て、しずちゃんは出木杉に抱きつく。出木杉は「こんな機械に頼ってしずちゃんの心を動かすのはいやだ」と言い、しずちゃんは「ますます好きになったわ」と言う。

 

 

【裁判】

★1a.名裁判。

『ダニエル書への付加』(旧約聖書外典)  2人の長老が人妻スザンナに情交を迫り拒絶されたため、逆に、「スザンナが若者と姦淫した」と偽証して告発する。ダニエルが2人の長老を引き離してそれぞれを尋問し、2人の証言が食い違うことから彼らの嘘を知る。

『どんぐりと山猫』(宮沢賢治)  大勢のどんぐりたちが、誰がいちばん偉いかで争い、山猫が一郎少年に裁判を依頼する。一郎は「この中でいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなってないのがいちばんえらい」と判決を下す。どんぐりたちは黙りこみ、騒ぎは収まる。一郎はお礼に、黄金(きん)のどんぐりを1升もらうが、家に帰る頃には、普通の茶色のどんぐりに変わっていた。

 *もらった銭が葉に変わった→〔葉〕4a

『列王紀』上・第3章  遊女A・Bがそれぞれ子を産むが、1人の子が死んだ。残った子を、遊女A・Bが「自分の子だ」と主張して、ソロモン王に裁きを求める。王は「子供の身体を刀で2つに分けよ」と命ずる。遊女Aは「それなら、子を生きたままBに与えて下さい」と請い、遊女Bは「子を切り分けて欲しい」と言う。王は「子を生きたまま遊女Aに与えよ。遊女Aが、この子の母である」と裁く。

 *子供の身体を両側から引っ張る→〔輪〕4の『コーカサスの白墨の輪』(ブレヒト)。

 *父の遺骸に平気で矢を射こむ息子と、それができない息子→〔父子関係〕6の『ゲスタ・ロマノルム』45。

*→〔契約〕2の『ヴェニスの商人』(シェイクスピア)第4幕。

*→〔三者択一〕7aの『賢人ナータン』(レッシング)。

*欲深い訴人の言い分をそのまま認めることによって、公正な裁きをする→〔遺産〕3の『棠陰比事』110「斉賢両易」、〔財布〕2

★1b.不可解な裁判・信頼できぬ裁判。

『S・カルマ氏の犯罪』(安部公房)  突然名前を失った「ぼく」は、眺めていた雑誌の風景写真を、知らずに胸の中に吸い取ってしまう。「ぼく」はそのため裁判にかけられる。裁判では、「名前のない者に法を適用するわけにはいかぬ」「名前を見つけ出し、判決可能となるまで、永遠に裁判は続けられなければならない」という議論がなされる。

『審判』(カフカ)  独身の銀行員ヨーゼフ・Kは、30歳の誕生日の朝、理由がわからないまま逮捕される。被告になっても日常生活は拘束されず、Kは銀行での勤務を続ける。日曜日に、Kは審理のために召喚されるが、法廷は貧民街の一室であり、裁判所事務局は屋根裏部屋だった。裁判の内容は意味不明なもので、弁護士に相談しても要領を得ない。1年後、31歳の誕生日の前夜、Kは2人の男に連れ出され、肉切包丁で処刑される。

『不思議の国のアリス』(キャロル)  トランプのハートの王様を判事として、盗まれたパイについての裁判が行われる。陪審員や証人たちがわけのわからない議論をする。アリスも証人として召還され、ハートの女王が「あの娘の首をはねよ」と叫ぶ。アリスが「あんたなんか、ただのトランプじゃないの」と言うと、トランプたちは空に舞い上がり、アリスは目覚める。

*卵の裁判官が、人間に判決を下す→〔卵〕5aの『卵』(三島由紀夫)。

★1c.珍判決。

『カター・サリット・サーガラ』「ムリガーンカダッタ王子の物語」4・挿話4のB  洗濯屋のろばが野菜畑を荒らしたので、バラモンの妻がろばを棒で打ち、蹄を折る。洗濯屋が怒ってバラモンの妻を蹴り、妊娠中の彼女を流産させる。バラモンが都城長官に訴え出ると、長官は、「バラモンは、ろばの代わりに洗濯屋の荷物を運べ。洗濯屋は、流産させた償いにバラモンの妻を妊娠させよ」と、愚かな裁きをする〔*『千一夜物語』「巧みな諧謔と愉しい頓知の集い(抜け目のない法官)」(マルドリュス版第804夜)の類話では、妊婦が喧嘩にまきこまれ、竃焼きの男に蹴られて流産する。妊婦の夫が訴えると、法官は竃焼きの男に有罪を宣告し、「妊婦を再び妊娠させよ」と命ずる。夫は訴訟を取り下げる〕。

『聊斎志異』巻9−373「郭安」  AがBを殺したので、Bの妻bが訴え出た。県知事は、「AはBを殺すことによって、妻bをやもめにした。それなら今度は、Aを妻bと結婚させて、Aの妻aにも、やもめ暮らしをさせてやればよい」との判決を下した。

★2.かつて関わりのあった男女の一方が裁く人、他方が被告となって、法廷で再会する。

『義血侠血』(泉鏡花)  北陸地方を旅興行する水芸の太夫・滝の白糸は、乗合馬車の御者・村越欣弥(きんや)を見込んで東京に遊学させ、学資の援助をする。それから3年後に、欣弥は新任の検事代理、白糸は強盗殺人の被告として、金沢の裁判所で再会する。白糸は欣弥に仕送りする金を得ようと、罪を犯したのだった。欣弥は私情を捨て、白糸を殺人犯として起訴する。死刑判決が出た日の夕方、欣弥は自殺する。

 *同じ泉鏡花の『外科室』では、慕い合う男女が、外科医と患者として再会する。女は手術中に自ら命を絶ち、男もその日のうちに自死する→〔心中〕6

『復活』(トルストイ)  ネフリュードフ公爵は青年時代に、小間使いカチューシャを妊娠させ、捨てた。それから10年後、ネフリュードフは陪審員として、カチューシャは強盗殺人容疑の売春婦として、思いがけず法廷で再会する。カチューシャの堕落に責任を感じるネフリュードフは、彼女の無実を訴えて奔走し、彼女と結婚することで自分の罪をつぐなおうとする〔*しかしカチューシャはシベリアへ流刑となる。彼女は、移送中に知り合った政治犯シモンソンと結婚する〕。

『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「再会」  トラック運転手アキラが若い女をはねる。女はブラック・ジャックの手術で回復するが、記憶を失う。アキラは女の世話をし、2人の間に恋愛感情が生まれる。しかし1年後、女は記憶が戻るとともにアキラを忘れ、姿を消す。アキラの心はすさみ、彼は犯罪者となって5年後に逮捕される。彼を裁く法廷の裁判長こそ、その女だった〔*ブラック・ジャックが女に、アキラのことを思い出させる〕。

★3.父親が、知らずに息子を裁く。

『モンテ・クリスト伯』(デュマ)110  モンテ・クリスト伯(エドモン・ダンテス)は、彼を牢獄へ送った検事総長ヴィルフォールに復讐するため、ヴィルフォールの私生児である殺人犯ベネデットを探し出し、ヴィルフォールに裁かせる。ヴィルフォールが公判で起訴状を朗読すると、それに対してベネデットは、自分がヴィルフォールの私生児で、父によって生き埋めにされた(*→〔仮死〕6)ことを陳述する。ヴィルフォールは驚愕しつつも、人々の前ですべてを認めて退廷する〔*彼はやがて発狂する〕。

★4.魔女裁判。

『アイヴァンホー』(スコット)第37・43章  ユダヤ商人アイザックの娘レベッカは、聖堂騎士団によって魔女裁判にかけられ、火刑の宣告を受ける。アイヴァンホーがレベッカの代戦士となり、聖堂騎士ボア・ギルベールと決闘してこれを倒し、彼女の無罪を勝ち取る。

★5.陪審員たち。

『アンタッチャブル』(デ・パルマ)  エリオット・ネスは、アル・カポネの脱税の証拠をつかみ、彼を法廷で裁こうとする。しかし陪審員たちは、全員カポネに買収されていた。ネスの要求により裁判長は、カポネの裁判の陪審員と、隣の法廷で開かれている離婚裁判の陪審員を、交替させる。カポネは有罪が確定し、懲役11年の判決が下される。

『十二人の怒れる男』(ルメット)  スラム街の不良少年が、父親をナイフで刺し殺した容疑で裁判にかけられる。12人の陪審員たちは、ほぼ全員が「少年は有罪で、電気椅子に送るべき」との意見だった。しかしただ1人、少年が犯人ではない可能性を示唆する陪審員がいた。12人の男たちは、激しい議論を始める。しだいに、目撃者証言の曖昧さや、ナイフによる傷口の向きの疑問点などが、明らかになる。陪審員たちは1人また1人と、「有罪」から「無罪」へ見解を変え、ついに全員が、少年を無罪と認める。

★6.友人間の紛争の裁きと、敵どうしの争いの裁き。

『ギリシア哲学者列伝』(ラエルティオス)第1巻第5章「ビアス」  ビアスは、ギリシアの七賢人の1人と言われる。彼は、「友人たちの間の紛争を裁くよりも、敵どうしの間の争いを裁く方が好ましい」と言った。友人たちの場合には、いずれにしても一方の人を敵にする結果になるが、敵同士の場合には、一方の者を味方にすることになるからである。

 

*冤罪事件の裁判→〔濡れ衣〕6の『真昼の暗黒』(今井正)。

 

 

【財布】

★1.他人の財布を持ったまま、死んでしまう。

『犬も歩けば』(スレッサー)  初老の男が夜道で心臓発作を起こし、倒れて死んだ。それを目撃したジョーは、金に困っていたので、男の服から財布を抜き取って立ち去る。ところが財布の中には、「私は生きています。持病があって、発作を起こすと死んだように見えるのです。すぐに医者へ御連絡下さい」と記したカードがあった。ジョーは驚き、「このまま放置すれば殺人を犯したも同然だ」と思って警察へ出頭する。しかし、実は男はスリで、財布は他人からスリ取ったものだった。

『永代橋』(落語)  文化4年(1807)8月19日の深川の祭りの日、群集の重みで永代橋が落ち、大勢が死んだ。死者の中に1人のスリがいたが、彼は長屋の武兵衛の紙入れを持っていたので、武兵衛が死んだものと見なされた。家主が武兵衛に「お前は死んだのだから、死骸を引き取れ」と言う。武兵衛は死骸の顔を見て、「これは俺じゃないと思う」と否定する〔*→〔アイデンティティ〕1bの『粗忽長屋』と同想〕。

『仮名手本忠臣蔵』5段目「山崎街道」  百姓与市兵衛が、娘お軽を祇園へ売って得た50両(*→〔身売り〕1)を縞の財布に入れ、雨の夜道を1人歩く。斧定九郎が与市兵衛を襲い、彼を斬り殺して、財布を自分の懐へ入れる。猟師となった早野勘平が、猪と間違えて定九郎を鉄砲で撃ち殺す。暗闇の中、旅人を誤殺したと思った勘平は、死体の懐に大金の入った財布があるのを手探りし、悪いこととは知りながら、財布を取って逃げて行く→〔誤解による自死〕1

★2.財布の中にいくら入っていたか。

『カレンダーゲシヒテン(暦話)』(へーベル)「名裁判官」  金持ちが7百ターラー入りの袋を落とし、「拾った人に謝礼百ターラーを支払う」と広告する。正直者が袋を届けると、金持ちは謝礼を払わずにすまそうと考え、「君は謝礼の百ターラーを先に取ったんだね。袋の中には8百ターラーあったんだよ」と言う。裁判官が金持ちに、「それならこれは、お前が落としたのとは違う袋だ」と言って、正直者に与える〔*東洋での出来事だ、として記される〕。

『沙石集』巻7−3  唐に正直な夫婦があり、南挺(=上質の銀)6つの入った袋を拾って届けた。ところが落とし主が、「7つあったはずだ。1つ隠しただろう」と言いがかりをつける。すると裁判官が、「それならこれは、お前の落としたのとは別の袋であろう」と言って、南挺6つをすべて正直夫婦に与えた。

 

*財布を拾う→〔三題噺〕3の『芝浜』(落語)。

 

 

【催眠術】

★1.女性に催眠術をかけていたずらをする。

『魔睡』(森鴎外)  法科大学教授大川渉の細君は、妊娠7ヵ月である。細君は病母の付き添いで磯貝医師を訪れ、その折、磯貝から妙なふるまいをしかけられて、しばらく意識を失った。帰宅した細君からそれを聞いた大川は、「磯貝はお前に魔睡術(=催眠術)を施そうとしたのだ。今後、磯貝の所へは行くな」と説く。その日大川は、女性の貞潔についていろいろと考えた。

★2a.催眠術にかからない。

『吾輩は猫である』(夏目漱石)8  苦沙弥先生が、平生かかりつけの甘木医師を迎え、「催眠術でいろいろな病気が治るそうだから、私にかけて下さい」と頼む。甘木医師は苦沙弥先生の両眼を撫で下ろして、「だんだん眼が重たくなる。さあ、もう開きません」と暗示をかける。苦沙弥先生は両眼を開き、「かかりませんな」と言ってにやにや笑う。甘木医師も「ええ。かかりません」と笑い、帰って行く。

★2b.催眠術にかかったふりをする。

『幇間』(谷崎潤一郎)  幇間の三平は、芸者梅吉の下手な催眠術に、いつもかかったふりをして、梅吉を喜ばせる。ある夜、旦那や他の芸者の見る前で、三平は催眠術をかけられ、裸になって梅吉を抱くという1人芝居をさせられる。三平は、惚れた女にからかわれる快感に、最後まで催眠術にかかったふりをし通す。

★3a.相手を見つめて催眠状態に陥れ、死に追い込む。

『予言』(久生十蘭)  石黒利通は安部忠良を憎み、「お前は12月に拳銃自殺するだろう」との手紙を送る。安部は11月25日に知世子と結婚式を挙げ、豪華船でフランスへ新婚旅行に出発する。石黒もその船に乗り込み、船内の廊下で安部をにらみつけて、催眠術をかける。その結果、安部は「知世子が外国人に寝取られた」との妄想を抱き、錯乱して拳銃で自分の胸を撃つ。

『ドクトル・マブゼ』(ラング)  マブゼ博士は催眠術の名手である。言葉を用いず、相手の目を見るだけで催眠状態に陥れる。目指す人物を背後から見つめて、あやつることもできる。トルド伯爵は催眠状態のまま、いかさま賭博をさせられ、社会的信用を失う。さらに、言葉による暗示をかけられて自殺する。フォン・ヴェンク検事は催眠状態で車を運転させられ、断崖から転落死しそうになる。しかし部下たちが、断崖の直前でフォン・ヴェンク検事を車から救い出す→〔金〕8

★3b.催眠攻撃とその撃退。

『伊賀の影丸』(横山光輝)「若葉城の巻」  甲賀七人衆の1人・半太夫は、敵に催眠術をかけ、「自分の喉を刀で突け」という暗示を与えて自殺させる。伊賀の影丸が半太夫そっくりに変装し、鏡を仕掛けた堂内へ半太夫を誘い込む。半太夫は鏡に映る自分を、変装した影丸と誤認して催眠術をかける。半太夫は、自分のかけた催眠術に自分がかかり、刀で喉を突いて死ぬ。 

『宇宙船ビーグル号』(ヴォクト)  テレパシー能力を持つ異星の鳥人たちが、宇宙船ビーグル号に関心を持ち、コミュニケーションを取ろうとする。しかし鳥人の思念は、ビーグル号の乗員たちを催眠状態に陥れてしまう。抑圧されていた攻撃性が解放され、乗員どうしが戦いを始めて死者が出る。情報総合学者グローヴナーが、鳥人の心の中へ入り込み、ビーグル号に干渉しないよう語りかける。鳥人は思念を引き上げ、乗員たちは覚醒した。

★3c.夢遊病者に暗示をかける。

『カリガリ博士』(ウイーネ)  怪人カリガリが夢遊病者ツェザーレをあやつり、覚醒時には絶対にできないこと、すなわち連続殺人を犯させる。青年フランツィスがカリガリを追跡し、「カリガリの正体は某精神病院の院長だ」と告発する。しかしフランツィス自身その病院の入院患者であり、彼の言葉はただの妄想にすぎないのかもしれなかった〔*現実か精神病者の妄想かわからない、という点で→〔アイデンティティ〕1aの『ドグラ・マグラ』(夢野久作)に似る〕。

★4.催眠をほどこして病気を治療する。 

『ユング自伝』4「精神医学的活動」  「私(ユング)」が精神科の若い医師だった頃。7年前からの左足麻痺に苦しむ中年女性が、松葉杖をついて受診に訪れた。「私」が催眠をかけると、その場で彼女の足は治ってしまい、松葉杖を放り投げて歩き出した。実は、彼女には精薄の息子がいた。彼女はそれが不満で、代わりに理想的な息子の像を、無意識のうちに「私」に投影した。それが奇跡的治癒の原因だった。この体験は、「私」が催眠を捨てる契機の1つになった。

★5a.催眠状態で長年月眠る。

『顧りみれば』(ベラミー)  「私(ジュリアン・ウェスト)」は、1857年にボストンで生まれた。「私」は30歳の時、不眠症に悩まされ、ある日、自宅の地下室で催眠療法を受けて眠りにつく。ところが、地下室の上にあった家が火事で消失したため、「私」はそのまま放置された。「私」は眠り続け、目覚めると、そこは20世紀最後の年、西暦2000年のボストンだった。「私」は113年間、眠っていたのだ→〔夢と現実〕3b

★5b.催眠状態から死にいたる。 

『催眠術の啓示』(ポオ)  「私」は、肺結核のヴァンカーク氏の苦痛を軽減させるため、催眠術を施した。何度も施術するうちに、彼は霊魂不滅を確信するようになり、「催眠状態で問答すれば、覚醒時には不可能な洞察が得られるのではないか」と言う。ヴァンカーク氏は半睡半醒状態で「神」や「存在」について語り、「私」が彼を覚醒させると同時に息絶えた。その時すでに死後硬直しており、彼は話の後半部を、幽冥界から語っていたのかもしれなかった。

★5c.催眠状態が死後も続く。

『ヴァルドマアル氏の病症の真相』(ポオ)  「私」は、肺結核で臨終を迎えたヴァルドマアル氏に、催眠術を施す。まもなく彼は死んだが、催眠状態は死後も継続した。「私」の問いかけに、彼は「今、自分は死んでいる」と答える。そのままの状態で7ヵ月が過ぎる頃、ヴァルドマアル氏は「早く眠らせてくれ。でなければ、目をさまさせてくれ」と訴える。「私」が彼を覚醒させると、彼の身体は見る見る縮まり、崩れ、腐敗物の液体化した塊になってしまった。 

*長い眠りから覚めると、たちまち老化して死ぬ→〔長い眠り〕1の『ブラック・ジャック』(手塚治虫)「浦島太郎」。

★6.催眠状態で前世を思い出す。

『晴れた日に永遠が見える』(ミネリ)  1970年頃のこと。精神医学のシャボー教授が女学生デイジーに催眠術をかける。デイジーは前世を思い出し、「私は公爵夫人メリンダ。19世紀のロンドンに生きていた」と言う。デイジーはシャボーに恋するが、シャボーは、デイジーではなく前世のメリンダに恋してしまう。催眠状態では、前世だけでなく来世も、過去のことのように思い浮かぶので、メリンダはシャボーに「私たち2人は生まれ変わって結婚し、2038年には夫婦として幸せに暮らしている」と告げる。それを聞いてシャボーは安心する。

★7.催眠状態で、UFOに誘拐された体験を思い出す。

UFOに誘拐されて(ブレードニヒ『ヨーロッパの現代伝説 悪魔のほくろ』)  東独の少年がUFOに誘拐され、また地上へ戻された(*→〔誘拐〕6)。その間の記憶はなく、冬なのになぜか少年は日焼けしていた。精神科医に催眠誘導されて、少年は誘拐体験を語った。「人間に似た小さな生物たちが、不思議な発光体の機内へ僕を運んだ。台の上に横たえられて、身体を検査された」。後、少年は、神や、間近に迫った天変地異や、人間の意識変革について、会う人ごとに語るようになった。 

 

 

【坂】

★1a.二人の人物が坂で出会う。

安寿塚の伝説  安寿姫と逗子王丸が、母を捜して佐渡へ渡る。安寿姫が下男1人を連れて先行し、鹿野浦にいた母に逢うが、母は盲目のため、安寿姫を殺してしまう(*→〔盲目〕5)。下男は母を背負い、相川町達者まで来て、厨子王丸の一行と出会う。母と厨子王丸が出会ったその場所を、「行きあい坂」と呼ぶ。母は坂のほとりの清水で眼を洗い、開眼する(新潟県佐渡郡相川町)。

『雁』(森鴎外)  お玉は高利貸し末造の妾となって、無縁坂の中ほどにある小家に住まわせられる。無縁坂は医学生岡田の散歩道であり、そこで2人は出会い、互いに心引かれるが、結局何事もないままに別れる。

水坂峠の伝説  近江国と若狭国の境は、水坂峠から若狭側に降りた所にある。昔、近江の朽木の殿様と若狭の小浜の殿様が、互いに馬に乗って城を出発し、出会う所を境界にしようと相談した。ところが朽木の殿様が早く出発して水坂峠を越えてしまい、出会った所が今の県境となった(滋賀県高島郡今津町)。

*→〔道〕3の『古事記』中巻。

★1b.坂で怪事に遇う。

『耳袋』巻之7「古狸をしたがへし英勇の事」  上総国勝浦に山道の観音坂という所があり、昔大きな榎があって、その前を通る人を坊主にしてしまうという怪事があった→〔死体変相〕4b

『むじな』(小泉八雲『怪談』)  東京、赤坂の紀伊国坂を、夜、商人が登って行く。若い女が泣いているので、商人は「何か困り事があるのか?」と問う。女は商人を見て、自分の顔を手でつるりとなでる。すると、目も鼻も口もないのっぺらぼうの顔があらわれる。商人は悲鳴をあげて坂を駆け上がり、蕎麦屋の屋台に逃げこむ。ところが蕎麦屋の顔もまた、のっぺらぼうだった〔*化け物に2度遭う点で、→〔道連れ〕1aの『捜神記』巻17−7に同じ〕。

『妖怪談義』(柳田国男)「妖怪名彙(ヤカンザカ)」  東京近郊に、「薬罐坂」という気味の悪い所があった。「夜分に1人で通ると、薬罐が転がり出す」などと言われた(豊多摩郡誌)〔*「夜間」と「薬罐」の語呂合わせであろうか?〕。

*夜の坂道で、自転車を引っぱられる→〔自転車〕5の『現代民話考』(松谷みよ子)3「偽汽車ほか」第3章の1。 

★2a.坂でころぶと、死を招く。

三年坂の伝説  祇園から清水寺へ登る三年坂で転んだ人は、3年の内に死ぬと言う。ある時老僧が転んだが、「明日の命も知れぬと思っていたのに、まだ3年近くも生きられるか」と、かえって喜んだ(京都市東山区)。

『さんねん峠』(朝鮮の昔話)  「さんねん峠で転んだならば、3年きりしか生きられぬ」との言い伝えがあった。老人がさんねん峠で転び、悲観して寝込んでしまう。見舞いに来た人が、「1度転んで3年の命なら、2度転べば6年、3度転べば9年生きられる」と言う。老人は喜んで峠へ出かけ、わざと何度も転ぶ。こうして老人は、しあわせに長生きした。

『大菩薩峠』(中里介山)第14巻「お銀様の巻」  黄昏時。大菩薩峠の手前の袖切坂を、「女軽業の親方お角」と「宇治山田の米友」が登って行く。半分ほど登った所で、お角は下駄の鼻緒が切れて転んでしまう。お角は口惜しがり、「いつかお前の手にかかって、わたしは殺されるんだろう。袖切坂で転んだ所を見た人と見られた人が男と女であるばあいには、どちらか一方がもう一方の命を取るのだから」と言う〔*しかし小説の最後まで、この予言は実現されない〕。

★2b.坂を登るだけでも、死の危険がある。

『坂道の家』(松本清張)  寺島吉太郎は、坂の上の高台に建つ家に、杉田りえ子を囲っていた。りえ子が若い情夫と共謀して、吉太郎から金を騙し取っていることを知り、怒った吉太郎は「りえ子を殺そう」と決意する。坂下の商店への買い物を頻繁にりえ子に命じ、心臓があまり丈夫でない彼女が急な坂を登って帰って来ると、すぐに酒を飲ませ、風呂に入れ、情交を迫った。吉太郎は、りえ子が心臓麻痺で死ぬことを期待していた〔*しかし、りえ子の方が先に吉太郎を殺した〕→〔氷〕2

 *妻をチフスに感染させて死なせる→〔死因〕4の『途上』(谷崎潤一郎)。 

★3a.冥界への出入口には、坂道がある。

『古事記』上巻  黄泉国から逃げ帰るイザナキは、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到って、その坂本にある桃子(もものみ)3つを取り、追って来る8柱の雷神・千5百の黄泉軍に投げつけて退散させた。そして、千引の石(ちびきのいは)を置いて坂をふさいだ〔*『日本書紀』巻1神代上・第5段一書第6は「一説には、泉津平坂(よもつひらさか)は特定の場所ではなく、死に臨んで息が絶える時のことだと言う」と記す〕。

『日本霊異記』下−22  他田舎人蝦夷(をさだのとねりえびす)が死んだ時、冥府からの使い4人が、彼を広い野へ連れて行った。けわしい坂があり、そこを登ると大きな建物があった。さらに路があり、その先は深い河で、椅(はし)がかかっていた。椅の向こうには、3つの分かれ道があった→〔冥界の道〕3〔秤(はかり)〕3

『日本霊異記』下−23  大伴連忍勝(おほとものむらじおしかつ)が死んだ時、冥府からの使い5人が彼につきそい、道を急がせた。けわしい坂があり、そこを登ると3つの大きな道があった(*→〔冥界の道〕3)。彼は冥府の王に裁かれ、煮えたぎる釜に入れられた後に(*→〔地獄〕2)、許されて、来た道を戻り、坂を降ったと思うと生き返っていた。

*冥界の登り坂と下り坂→〔冥界の道〕2の『耳袋』(根岸鎮衛)巻之9「蘇生奇談の事」。 

『変身物語』(オヴィディウス)巻10  オルフェウスは、妻エウリュディケを冥府から連れ帰る時、「アウェルヌス湖の谷あいを出るまでは後ろを見てはならぬ」と禁ぜられる。靄に包まれた、けわしい暗い坂道を2人はたどるが、もうすぐ地表というところで、オルフェウスは振り返ってエウリュディケを見てしまう。

*タルタロス(地獄)の坂で巨岩を運ぶ→〔繰り返し〕1の『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第9章。 

★3b.胸坂(むなさか)。

『古事記』上巻  高天原の高木神が、葦原中国の天若日子めがけて、矢を投げ下ろした。矢は、天若日子の高胸坂(たかむなさか)に命中し、天若日子は死んだ〔*高胸坂の「坂」は、黄泉比良坂(よもつひらさか)と同類のものであろう。天若日子は「胸」に致命傷を受け、「坂」の向こうの冥界へ行ったので、「胸坂」という表現になったのである〕。 

★4a.海にも坂がある(「さかいめ」・「境界」の意味であるという)。

『古事記』上巻  海神の娘トヨタマビメはホヲリ(=ヒコホホデミ)と結婚し、渚に上がってウガヤフキアヘズを産んだ。彼女は、海の道を通って常に陸地へ通うつもりであった。しかしホヲリに正体を知られたために(*→〔のぞき見〕1b)、海坂(うなさか)をふさいで、海の世界へ帰ってしまった。

『万葉集』巻9 1744歌  墨吉(すみのえ)に住んでいた浦島は、海に出て鰹や鯛を釣り、7日間も家に帰らなかった。浦島は、海界(うなさか)を越えて舟を漕いで行き、やがて海神(わたつみ)の神の娘子(をとめ)に出会った。2人は結婚して、一緒に常世へ行った。

★4b.この宇宙と隣りの宇宙との境目。

『人間万歳』(武者小路実篤)  宇宙の神様のもとへ、隣りの宇宙の神様からの使者がやって来る。神様は「よくあの境(さかい)を通りこして来たな」と、感心する。使者は、「私の方の神が御挨拶に上がりたい、と申しております」と告げ、こちらの宇宙の神様は歓迎の意を表す→〔多元宇宙〕6

★5.坂道で敵を防ぐ。

おかゆ坂の伝説  昔、鹿児島の軍勢が沖縄へ侵攻した時、沖縄の人々は、熱いおかゆを坂に流した。「熱いおかゆの上は歩けないから、敵は寄って来ないだろう」と考えたのである。しかしやがておかゆは冷え、それまで食糧不足で弱っていた敵軍は、おかゆを食べて元気を回復し、攻め込んで来た(沖縄県島尻郡南風原町神里)。

*攻め上って来る敵軍に、熱湯を浴びせる→〔熱湯〕1cの『太平記』巻3「赤坂の城軍の事」。

 

*坂の命名→〔地名〕4の『硝子戸の中』(夏目漱石)23。

 

 

【逆さまの世界】

★1a.金銀が嫌われ、いやしめられる世界。

『莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)(唐来参和)  財産の多さに苦しむ萬々先生は、「3日なりとも貧乏がしたい」と願い、金を減らす工夫をする。しかし、大損をねらって米相場に手を出せば大儲けし、博打をすれば勝ち続け、富くじを買えば皆当たる。泥棒を誘い入れて金銀を盗ませると、あまりの大金に泥棒が手間取るうちに夜が明け、余所で盗んだ金銀まで置いて逃げる。ついに蔵の金銀すべてを海へ捨てるが、世界中の金銀を連れて萬々先生のもとへ飛び戻る。

『孔子縞于時藍染(こうしじまときにあいぞめ)(山東京伝)  両国に麒麟の見世物が出る聖代、人々は金銀を忌み嫌って、貧者は尊まれ富者は卑しめられる。皆、金の捨て場に困り、「大安売り」ならぬ「大高売り」の店が繁盛し、遊廓では女郎が手練手管で客に大金を押しつける。夜には「追剥がれ」が出没し、自ら真っ裸になって、衣服や金銀を通行人にくくりつけて逃げる。ついには天が人々の徳に感じ、空から小判を降らせる。

『ユートピア』(モア)  ユートピア島では、金や銀は鉄よりも下等なものと考えられている。人々は安価な土器やガラスの食器で飲食し、金銀からは、便器や、奴隷をつなぐ鎖が造られる。犯罪者の耳には金の環を下げ、指には金の指輪をはめ、首には金の鎖をまき、頭には金の帯をしばりつける。

★1b.時間が逆転する世界。

『逆まわりの世界』(ディック)  1986年6月、突如、時間逆流現象が始まる。死者は墓から蘇生し、しだいに若くなり、ついには赤ん坊になって子宮の中に消えるようになる。しかしそれは母親の子宮である必要はなく、赤ん坊は、入るべき子宮を探すのだった。やがては歴史上の人物、たとえばベートーベンもよみがえるだろう。そして彼は一生かかって、自分の創り出した名曲を消去していくのだ〔*→〔若返り〕1aの『ギリシア奇談集』(アイリアノス)巻3−18に類似〕。

★1c.昼と夜、覚醒と夢が逆転する世界。

『列子』「周穆王」第3  世界の果ての古莽の国では、人々は食事もせず着物も着ず眠ってばかりいて、50日に1度目覚める。そして、夢の中で行なったことが本当で、起きている時に見たものは虚妄だと思っている。

★1d.美醜の基準が逆の世界。

『聊斎志異』巻4−132「羅刹海市」  美男の馬驥は海で嵐に遭い羅刹国に漂着する。そこは美醜の基準が人間世界とは逆で、住民は馬驥の顔を見て恐れ逃げた。身分の高い者ほど容貌が醜く、馬驥が煤で張飛の隈取りをして大臣や王に会うと、皆「美しい顔だ」と感嘆した。

★1e.親子関係が逆転する世界。

『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版第23巻185ページ  父親となったカツオが煙草片手に、子供の波平とフネを呼んで「勉強やお使いなんか、まあいいから」と言って、千円札を手渡す。波平とフネは「またお小遣い下さるの、お父様」と感謝する。「僕ならそういう親になる」とつぶやくカツオは、今、フネから豆腐3丁のお使いを言いつけられたところだった。

*戦争の勝敗が逆転した仮想世界→〔仮想世界〕2の『高い城の男』(ディック)。

★1f.逆さまに見る世界。

『河童』(芥川龍之介)10  河童の国に滞在する「僕」は、学生のラップが往来の真ん中で両脚をひろげ、上体を倒して股の間から後ろを覗く「股目金(まためがね)」をしているのを見て驚いた。ラップは「あまり憂鬱ですから、逆さまに世の中を眺めてみたのです。けれどもやはり同じことですね」と言った。 

★2.動物が人間を支配する世界。

『ガリヴァー旅行記』(スウィフト)第4篇  小人国・巨人国・飛ぶ島を訪れた後、4度目の航海に出た「私(ガリヴァー)」は、部下の叛乱に遭い、未知の島に置き去りにされる。そこは、理性と美徳をそなえた馬族フウイヌムが、知性のない邪悪な家畜人間ヤフーを使役する国だった。「私」はヤフーの生態に衝撃を受け、イギリス帰国後、人間との接触を嫌い、2頭の馬を飼って毎日4時間彼らと話をした〔*→〔馬〕10の『御曹子島渡』(御伽草子)では、馬頭人身の馬人間が住む島を義経が訪れる〕。

『猿の惑星』(シャフナー)  テーラー隊長らが乗った宇宙船が未知の惑星に不時着するが、そこは高度な知能を持つ猿族が、下等な人間たちを支配する社会だった。猿のジーラ博士は、「人間が進化して猿になった」という学説を立てていた〔*実はそこは、未来の地球だった。核戦争によって人類は壊滅状態になり、生き残った者たちも、退化して原始人同様になってしまったのである〕→〔空間移動〕7

『吾輩は猫である』(夏目漱石)8  飼い猫である「吾輩」が、昼寝をして虎になった夢を見る。「吾輩」が、主人・苦沙弥先生に鶏肉を命ずると、主人は恐る恐る鶏肉を持って来る。「うー」と唸って迷亭を脅し、「牛肉のロースを取って来い。早くせんと喰い殺すぞ」と言うと、迷亭は駆け出す〔*まもなく夢は覚め、後架から走り出た主人に「吾輩」は横腹を蹴られる〕。

★3.前後さかさまに着せられた衣服。

『チャイナ・オレンジの秘密』(クイーン)  ホテルの一室で殺された男は、上着・ズボン・ワイシャツなど衣服をすべて後ろ前に着せられていた。室内の家具調度までも、逆向きだった。被害者は首のカラーを後ろ向きにつけるという、カトリックの牧師特有の格好をしていたので、犯人はそれ以外のものも逆向きにして、被害者の職業・身元がわからないように細工したのだった〔*特異なもののまわりを同類のもので囲んで目立たなくする、という点で→〔隠蔽〕5aの『折れた剣』(チェスタトン)と共通する発想〕。

★4.逆立ちの死体。

『犬神家の一族』(横溝正史)  犬神佐清(すけきよ)が殺され、その死体が、氷の張った湖の汀に、逆立ちの格好で突き立てられていた。死体を佐清の名前に見立てれば、逆さまだから「よきけす」。上半身は水没していたので「けす」を取り去ると、残るのは「よき」。「よき」=「斧(よき)」で、これは、犬神家の三種の家宝(*→〔三つの宝〕3)の1つである「斧」にまつわる殺人、ということを意味していた〔*実際はその死体は、佐清ではなかった〕。

『諸国百物語』第61話  庄屋が妾と共謀して妻を絞め殺し、2度と家に戻らぬようにと、死体を逆さまにして、足を空に向けた姿で、川向こうに埋めた。妻は逆立ちの幽霊となり、逆立ちのままでは川を渡れないので、通りかかりの侍に頼んで舟で渡してもらう。妻は妾の首をねじ切り、侍に礼を述べて消える。侍はこのことを主君に報告し、主君が川向こうを掘らせると、逆さまに埋めた妻の死骸があった。庄屋は打ち首になった。

*早桶に、死体を上下逆さまに入れる→〔棺〕4bの『東海道中膝栗毛』(十返舎一九)「発端」。

★5.逆立ちの刑罰。

『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第19歌  地獄の第8圏谷の第3濠には、いくつもの円い穴があった。穴のどの口からも、逆立ちした罪人たちの足がふくらはぎの所まで突き出ており、それより上部は穴に埋まっている。彼らの左右の足の裏には火がついていた。ひときわ赤い炎に舐められ、脚で泣いている男と、「私(ダンテ)」は話をする。彼は法王ニッコロ3世で、聖職売買の罪で罰せられているのだった。

★6.逆さまの柱。

逆柱(さかばしら)(『水木しげるの日本妖怪紀行』)  木の上下を間違えて逆さまに立てた柱は、人が寝静まる夜中に、腹を立ててきしむという。逆柱は、火災や家鳴りなど凶事の原因とされ、大工たちに忌まれた。昔、小田原の商家で祝いごとがあった時、「俺は首が苦しい」と声がした。調べると座敷の柱が逆さになっており、そのため柱が苦しんでいることがわかった。

*倒枝杖(さかさだけ)→〔あり得ぬこと〕1aの親鸞の伝説。

★7.逆さまの屏風。

『みちのくの人形たち』(深沢七郎)  死者の枕元には逆さ屏風を立てる。だが、「私」の訪れた東北地方のある集落では、出産の時に逆さ屏風を立てていた。この集落では、今でも「間引き」が行なわれているのだ。生まれたばかりの嬰児が産声をあげる前、つまり呼吸をしないうちに、産婆が産湯のタライの中に嬰児を入れて、呼吸を止めてしまう。どの家でも1人か2人しか子供を育てず、あとは消してしまうのだという。

★8.「水死」とは逆の「水生」。

『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)(落語)  鬼の船頭が、大勢の亡者たちを船に乗せ、三途の川を漕いで行く。鬼は、亡者たちが川へ落ちないように注意を与える。「うろちょろするな。おい、はまったら生きるぞ」〔*この後、4人の亡者が熱湯の釜に入れられ、針の山へ送られ、鬼に呑まれて、『閻魔の失敗』(昔話)と同様の展開になる〕。

 *水死した男女が、龍宮の川に身投げしてこの世へもどる→〔影〕2bの『聊斎志異』巻11−420「晩霞」。

 

*沓を前後逆さまにはく→〔靴(履・沓・鞋)〕6

*主の祈りを逆さまに唱える→〔扉〕4の『半開きの戸』(イギリス昔話)。

*逆さまに綴った名前。

 アシモフ( Asimov )⇒ ヴォミーサ( Vomisa ) →〔ロボット〕3cの『ヴォミーサ』(小松左京)。

 オルデブ( Oldeb )⇒ ベドロウ( Bedlo ) →〔記憶〕4の『鋸山奇談』(ポオ)。

 「すけきよ」⇒「よきけす」 →〔逆さまの世界〕4の『犬神家の一族』(横溝正史)。

 

 

【作中人物】

★1a.戯曲の登場人物が、「自分たちは作者によって創り出された存在だ」と自覚している。

『作者を探す六人の登場人物』(ピランデルロ)  舞台稽古中の演出家や俳優たちの前に、「父親」「母親」「父違いの娘」など6人の家族が現れる。彼らは、作者の創造力から生み出されながらも、作品化されることなく見捨てられた登場人物だった。「自分たちのドラマを完成し、上演してくれる新しい作者を探しに来たのだ」と、彼らは演出家に訴える。

『ペール・ギュント』(イプセン)第5幕第2場  母親オーセ(オーゼ)の死後、ペール・ギュントは旅に出て、モロッコ、エジプトなどを放浪する。老年に達し、彼は故国ノルウェーへ帰ろうと船に乗るが、嵐が来て船は沈む。ペールが「おれは死んだりしないぞ!」と叫ぶと、一緒にいる船客が「心配ご無用。5幕半ばで主役が死んだりはしません」と言う〔*ペールは無事に故郷へたどり着く。恋人ソールヴェイ(ソルヴェーグ)が彼を迎える〕。

★1b.小説の登場人物が、「自分たちは作者によって創り出された存在だ」と自覚している。

『ソフィーの世界』(ゴルデル)  15歳になる少女ソフィーと彼女に哲学を教えるアルベルトは、自分たちが現実の人間ではなく、書かれつつある小説中の登場人物にすぎないことを知る。2人は、小説を書いているクナーグ少佐の無意識の奥にもぐり、少佐の精神から抜け出て、彼ら自身の意志で行動する。

『不滅』(クンデラ)第4部の17  1988年。あの世の小道を散策しつつ、死後27歳のヘミングウェイと、死後156歳のゲーテが語り合う。ゲーテは「貴方もご存じのとおり、私たちは、ある小説家の、軽薄な気まぐれの産物にすぎないのです」と言う。

『三つの棺』(カー)  密室内で、グリモー教授の射殺死体が発見される。名探偵フェル博士は、関係者たちに向かって、「これから推理小説の密室トリックの一般的機構とその発展について講義する」と言い出す。「なぜ推理小説を論ずるのか?」との問いに、博士は「我々は推理小説の中にいる人物だ。実在人物のふりをして読者をバカにするわけにはいかないからだ」と答える。

*→〔旅〕6bの『はてしない物語』(エンデ)。

★1c.マンガの登場人物が、「自分たちは作者によって創り出された存在だ」と自覚している。

『サザエさん』(長谷川町子)第29巻118ページ  昭和39年(1964)の大晦日。大人になったカツオとワカメ、中年夫婦のサザエとマスオ、白髪の波平とフネが現れ、「(本当なら)サザエ一家もこうなってるところよ」「(マンガを)かきだして20年だもの」という会話をする。波平が「年をとらんとこだけがマンガはいいよなア」と言って笑う。

『ハレンチ学園』(永井豪)「ハレンチ大戦争の巻」〜「ああハレンチ学園の巻」  ハレンチ学園の実態を見た大日本教育センターの大人たちが怒り、学園をつぶすべく強力な軍隊で攻め寄せ、戦争が始まる。生徒のイキドマリは「おれたち主役だから死ぬ心配ない」と言うが、山岸が「作者の永井豪は、主人公だって容赦はしない」と教える。イキドマリもアユちゃんも砲撃で身体を裂かれて死に、山岸と十兵衛は乱戦の中で生死不明になる。

★1d.舞台上で死んだ作中人物も、劇が終われば元気な姿で観客に挨拶する。

『日曜はダメよ』(ダッシン)  イリアはギリシア悲劇が大好きだったが、彼女の劇の解釈は独特なものだった。『メディア』(*→〔子殺し〕6の『メデイア』)において、メディアは自分の子供2人を殺さず、一時期隠しただけで、ハッピーエンドだというのである。一緒に劇場に行ったホーマーが「子供を殺す場面を見たじゃないか」と言うと、イリアは劇終了後の舞台を指し示す。観客の拍手に応えて、メディア役の女優と子役2人が、にこやかに挨拶をしていた。

★2a.物語を読む少年が、その物語の作中人物になる。

『はてしない物語』(エンデ)  少年バスチアンが、『はてしない物語』というタイトルの本を開き、物語を読み始める。物語の中では、さすらい山の古老が、『はてしない物語』というタイトルの本を書き記している。本の中には、バスチアンが『はてしない物語』という本を読む場面が記されている。バスチアンは、自分が物語中の人物になったことを知り、本の世界の中に入りこむ→〔本〕6

『船乗りクプクプの冒険』(北杜夫)  小学生タローが買った、キタ・モリオ氏著『船乗りクプクプの冒険』は、「まえがき」と「あとがき」と本文が2ページだけで、あとはすべて白紙の本だった。あきれて本を閉じたタローは、目まいを感じたかと思うと、物語世界の中へ入ってしまい、彼自身が船乗りクプクプになっていた。タローは、物語世界でキタ・モリオ氏に出会うが、氏は編集者に追われて、どこかへ逃げ去った。タローは現実世界へ戻れず、クプクプとして自ら物語を作っていかねばならない。

★2b.自分の行動の記録が他者の手で物語として記されたため、物語中の人物になったことを知る。

『ドン・キホーテ』(セルバンテス)後編第32章・第59章  ドン・キホーテが3度目の遍歴に出た時には、彼の過去の旅は物語化され出版されて大勢の人々に読まれており、ドン・キホーテは自分が物語中の人物になったことを知る。さらに、贋作本『ドン・キホーテ』まで出回っており、「そこに『ドン・キホーテはサラゴーサの馬上槍試合に参加した』と書かれている」、と聞いたドン・キホーテは、その本がにせものであることを世間に示すため、予定していたサラゴーサ行きを取りやめる。 

『ブヴァールとペキュシェ』(フロベール)  田舎に隠棲する初老のもと書記ブヴァールとペキュシェは、さまざまな奇行・愚行をして結局何も得られず、身にしみついた文献書写の仕事を再び始める。(*以下、結末構想ノート。蓮見重彦『物語批判序説』「T」のUによる)2人はあらゆる文献を書写し、その中には、村医者が、変わり者の彼ら2人の全行動を要約して無害な愚者と結論した、知事あての報告書もある。ブヴァールとペキュシェが、ブヴァールとペキュシェの物語を書写する場面で、小説は終わる。

★3a.作中人物が作者に憑依する。

『博覧会』(三島由紀夫)  大庭貞三は、「私」が2〜3枚書いて放棄した小説の主人公で、容貌も職業もわからない。ある日、大庭貞三が「私」に憑依し、公園を歩きつつ、「俺と世界には何の関係もない。俺は殺人を犯しても罰せられぬし、自殺しても生き返る」などと考える。やがて大庭貞三は「私」から離れて雑踏に紛れ、「私」はホッとして煙草に火をつける。

★3b.作中人物が作者のもとから逃げ出す。

『イカロスの飛行』(クノー)  小説家ユベールの書きかけの原稿から、主要作中人物イカロスが逃げ出して、行方不明になる。ユベールは文学の進歩について考え、「いつの日か、すべての小説家は作中人物を失うだろう。作中人物のない小説なんて、想像するのがむずかしい」と思う。イカロスは街をさまよった末に、女性を連れて空へ飛び上がるが、高く昇りすぎて地面に落下する。ユベールはそれを見て原稿を閉じ、「すべてが予想どおりに起きた。私の小説は終わった」と言う。

*人工の翼をつけて飛行したイカロス→〔飛行〕2aの『変身物語』(オヴィディウス)巻8。 

★3c.作中人物が作者を叱る。

『心学早染草(しんがくはやそめくさ)(山東京伝)  理太郎青年は放蕩のあげく、追剥におちぶれる。道理先生が、儒・仏・神の尊い道を彼に教え、改心させる。道理先生は「このついでに、この本の作者をも叱ってやらねばならぬ。ずいぶん不埒じゃそうな」と言う。

★3d.作中人物と作者を混同する。

『恥』(太宰治)  「私(23歳の女性)」は、戸田さんの小説の愛読者だ。小説によると、戸田さんは無学で貧乏で、長屋に住み、脚気の持病があり、頭のてっぺんが禿げ、歯がぼろぼろに欠けている。さもしい夫婦喧嘩をし、焼酎を飲んで地べたに寝るのだ。「私」は戸田さんを慰めてあげようと、逢いに行く。戸田さんの家は一戸建てで、上品な奥様がいらした。書斎の戸田さんは頭も禿げず歯も欠けず、きりっとした顔をしている。「私」は恥じ入るばかりだった。小説家なんて人の屑だわ。嘘ばっかり書いている。

★4a.作中人物たちが、現実世界を批判する。

『不在の日』(星新一『未来いそっぷ』)  小説の作中人物である「男」「老人」「青年」が、無能な作者を批判したあげく、諦めの境地にいたる。「われわれ作中人物は、どうあがいても、作者の意にあやつられる。それが運命だと諦めよう。現実世界の連中だって、一段上の何者かの気まぐれな意志に、支配され、あやつられているんじゃないか。でも、やつらはそれに気づかない。われわれは、自己の限界をわきまえているだけ、まだましだ」。

★4b.作中人物が現実世界に現れたかと思って、ギョッとする。

『愛と美について』(太宰治)  ある日曜日、ロマンス好きの兄妹5人が物語の連作を始める。主人公の老博士が街へ散歩に出て、別れた妻に出会い、「今は、新しい妻と幸福に暮らしている」と告げる。帰宅した老博士は、誰もいない部屋の机上の写真に「ただいま」と言う。それは、別れた妻の若い頃の写真だった、という結末をつけて物語は終わる。その時、母が「おや、家の門に変なおじいさん立っています」と言ったので、兄妹5人はぎょっとして立ち上がる。母は笑い崩れる。

★5a.小説の作中人物(「男」)が、その小説を読んでいる読者(「彼」)をナイフで殺す。

『続いている公園』(コルタサル)  公園に面した書斎で、「彼」は肘掛け椅子にすわって小説を読んでいる。「彼」は小説の世界に引き込まれ、現実が遠のいていく。小説は密会する「男」と「女」の物語で、彼らは、密会の妨げになるもう1人の男を殺さねばならない。「男」は、「女」から教えられた屋敷へ踏み込み、ナイフを手にして書斎のドアを開ける。肘掛け椅子の背もたれの向こうに、小説を読んでいる「彼」の頭部が見える。

 *本を読んでいる人の後ろ姿→〔後ろ〕4の『一千一秒物語』(稲垣足穂)「自分によく似た人」。

★5b.小説の作中人物(実は実在人物である「わたし」)が、その小説を読んでいる読者(「あなた」)をナイフで殺す。

『うしろを見るな』(ブラウン)  印刷業を営んでいた「わたし」は、1冊だけ特別に製本した短編小説集を書店の棚に置く。それを買った「あなた」だけに読ませる本だ。「わたし」は「あなた」を殺すために、尾行する。「あなた」の読んでいる小説の中で、作中人物の「わたし」が言う。「『わたし』は『あなた』のすぐ近くにいる」。「あなた」は「これは小説で、ただの作り話だ」と考えるだろう。背筋にナイフを感じるまでは。 

★6.読者が小説家に、作中人物の死の取り消しを要求する。

『ミザリー』(ライナー)  小説家シェルダンは、人気のミザリー・シリーズを終わらせて別の新たな作品に取り組みたいと考え、シリーズ最終巻で主人公ミザリーを死なせる。ミザリー・シリーズのファンである看護婦アニーは、最終巻を読んで激怒し、シェルダンを一室に監禁して、ミザリーが生き返る続編を書け、と要求する。シェルダンはタイプライターに向かい、ミザリー復活の物語を書いてアニーをなだめる〔*最後には、シェルダンは自分の命を守るために、アニーを殺さざるを得なかった〕。

*コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズがモリアティ教授と格闘して滝壺に落ちる物語を書いて、ホームズのシリーズを終わらせようとした(*→〔死体消失〕5の『最後の事件』)。しかし読者からの強い要求によって、ドイルはホームズを生還させ、さらにシリーズを続けることになった(*→〔足跡〕3の『空き家の冒険』)。 

 

*作中人物である弥次郎兵衛・喜多八が、作者である十返舎一九とその弟子を名乗る→〔偽名〕2の『東海道中膝栗毛』5編下。

*読者が、作中人物になりきってしまう→〔本〕7aの『処方』(星新一)。

*太宰治の作品中に登場する太宰治→〔真似〕5の『ダス・ゲマイネ』(太宰治)。

 

 

【桜】

★1.人間の祈りによって、桜の花の寿命が延びる。

『泰山府君』(能)  桜町中納言は、桜がわずか7日間で散ってしまうことを惜しみ、花の命が延びるように祈って、泰山府君(=生類の命を司る神)を祀る。夜、天女が降下し、桜の美しさをめでて1枝を折り取る。泰山府君が現れ、天女を叱って枝をもとの木に返し、「桜の花の寿命を、7日の3倍の21日に延ばそう」と、桜町中納言に約束する。

★2a.人間が命を捨てて、桜の木の寿命を延ばす。

『十六ざくら』(小泉八雲『怪談』)  伊予国の老侍が、先祖代々愛した庭桜が枯れたのを悲しむ。老侍は「お前の身代わりに死ぬから、もう1度花を咲かせておくれ」と桜に話しかけ、木の下で切腹する。老侍の魂は桜に乗り移り、たちまち花が咲く。以来、毎年、老侍が切腹した旧暦1月16日に桜は花を咲かせる。

★2b.身代わりに死んだ人の形見の桜。

『乳母ざくら』(小泉八雲『怪談』)  伊予国温泉郡朝美村の村長の娘お露が、15の年に重病になり、死に瀕する。乳母が「お露様の身代わりに死なせて下さい」と西芳寺の不動尊に祈願し、21日目の満願の日、お露は全快する。まもなく乳母は病を得て死に、その遺志で寺に桜の木が植えられて、「乳母ざくら」と呼ばれた。

★3.お姫様が首をつった桜。

お姫サクラの伝説  昔、名家の姫が桜の木で首をつって死んだ。その木を「お姫サクラ」と言う。東西に枝を広げているが、東方の枝に花が咲かない時は、東の部落に凶事があり、西方の枝に花が咲かない時は、西方の部落に凶事がある。枝を折ると、切り口から血が出るともいわれる(愛媛県西条市大保木)。 

★4.桜の樹の下の屍体。 

『桜の樹の下には』(梶井基次郎)  桜の花があんなにも見事に咲くことが信じられず、「俺」はこの2〜3日不安だった。しかし今、やっとわかった。爛漫と咲き乱れる桜の樹の下には、1つ1つ、馬や犬猫や人間の屍体が埋まっているのだ。腐乱した屍体からは、水晶のような液が垂れ、桜の根がその液体を吸っている。どこから浮かんで来た空想か見当のつかぬ屍体が、今は桜の樹と1つになり、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。

★5.桜は人の心を狂わせる。 

『桜の森の満開の下』(坂口安吾)  鈴鹿峠の桜の森を通る人は、花の下で気が変になる。山賊が、都の女をさらって女房にした。山賊は女を背負い、満開の桜の下を通る。にわかに不安になり、山賊は、背中の女が鬼であることに気づく。全身紫色で緑髪の鬼婆が、両手を山賊の喉にくいこませる。山賊は鬼を地に振り落として組みつき、首をしめて殺した。山賊が霞む目で見ると、それは女の屍体だった。 

 *背負った女が鬼に変ずる→〔鬼〕5の『太平記』巻23「大森彦七が事」。

★6.桜の化身。 

三貫桜の伝説  山伏姿の源義経一行が山道を行く時、美しい桜の一枝を弁慶が手折る。老翁が現れ、「私が朝夕見る桜を折った」と恨んで泣く。弁慶が償いに銀1貫を与えると、老翁は「けちな花盗人たちよ」と、あざ笑う。2貫与えても承知せず、銀3貫で、ようやく老翁は「許してやろう」と言い、山蔭へ姿を消す。老翁の後を追うと、桜の古木があり、銀3貫がかかっていた(秋田県平鹿郡増田町)。 

 *墨染桜の精→〔切れぬ木〕1の『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』。  

★7.花見。

『かのように』(森鴎外)  洋行から帰った五条秀麿が、お母様の問いに答えて、ドイツの桜のことを説明する。「あっちの人は、桜は桜ん坊の成る木だ、とばかり思っていますから、花見はいたしません。ベルリンから半道ほどの村の川岸に、桜のたくさん植えてある所があります。そこへ、日本人の学生が揃って花見に行ったことがありましたよ。土地の女工なんぞが通りかかって、『あの人たちは木の下で何をしているのだろう』と、驚いて見ていました」。

 *日本人の月見→〔八月十五夜〕10の『お月見』(小林秀雄)。

 *雲見というものもある→〔雲〕10の『蛙のゴム靴』(宮沢賢治)。

 

*桜の散るのを見て発心する→〔発心〕2の『かるかや』(説経)。

*頭から桜の木が生える→〔ウロボロス〕4aの『あたま山』(落語)。 

*桜の木の影(蔭)→〔影〕8の蔭無し桜の伝説。 

 

 

【酒】

 *関連項目→〔毒酒〕

★1a.酒を用いて怪物を倒す。

『古事記』上巻  スサノヲは、幾度も醸造した高醇度の酒を8つの酒船に満たして、ヤマタノヲロチを待ちうけた。8つの頭を持つヤマタノヲロチは、8つの酒船の酒を飲んで、その場に眠りこんだ。スサノヲは十拳剱(とつかつるぎ)で、ヤマタノヲロチの体をばらばらにした〔*『日本書紀』巻1・第8段一書第3では、毒酒をヲロチに飲ませて眠らせた、と記す〕。

 *酒にクシナダヒメの姿を映して、ヤマタノヲロチをあざむく→〔八人・八体〕2bの『源平盛衰記』巻44「三種の宝剣の事」・〔水鏡〕2bの『太平記』巻25「伊勢より宝剣を奉る事」。

『捜神記』巻11−8(通巻270話)  漢の武帝が東方に旅した時、身の丈(たけ)数丈の、牛に似た怪物が立ちふさがった。東方朔の教えで酒を数十斛注ぐと、怪物は消えた。これは昔の罪人たちの憂いから生まれた「患」という怪物で、憂いは酒によって消すことができるのだった。

 *「禍(わざはひ)」という怪物→〔名前〕8の『椿説弓張月』続篇巻之6第44回。

 *塩をまいて怪物を退治する→〔塩〕6の『鉄腕アトム』(手塚治虫)「ゲルニカの巻」。

*酒かすを用いて津波を退ける→〔波〕6の『津波の神さま』(松谷みよ子『日本の伝説』)。

★1b.酒宴の席で敵を倒す。

『源氏物語』「若菜」下  朱雀院五十賀の試楽の夜、47歳の光源氏は酔ったふりをして柏木に視線を向ける。源氏は「我が老いの酔い泣きを汝が笑うのも今しばらくの事。老いは誰も逃れられぬもの」と諷して、柏木と女三の宮の密通行為を暗にとがめ、酒を勧める。柏木はいたたまれず退席し、病床に臥して2ヵ月後に死ぬ→〔恋文〕1

『日本書紀』巻7〔第12代〕景行天皇27年(A.D.97)12月  16歳のヤマトタケルが熊襲を討ちに行く。熊襲の首長・川上梟帥(かはかみたける)が、親族を集め酒宴を催す。女装したヤマトタケルを、川上梟帥は隣りに侍らせて戯れる。ヤマトタケルは衣に隠した剣を抜き、酔った川上梟帥を刺し殺す〔*『古事記』中巻では、熊襲建兄弟2人を殺した、と記す〕。

★1c.酒を用いて人間を堕落させる。

『小さい悪魔がパンきれのつぐないをした話』(トルストイ)  悪魔がパンきれを盗んで百姓を怒らせ、悪の道に引き入れようとする。しかし百姓は「腹をへらしたやつが取ったんだろう」と、あっさりあきらめ、怒ることなく耕作に励む。そこで悪魔は、麦をつぶして酒を醸すことを百姓に教える。百姓は酒を造ると、仲間を集めて酒盛りを始める。酒を飲むうちに、彼らは狐のように狡猾になり、狼のように怒りっぽくなり、ついには豚のようにごろごろ転がる。こうして悪魔は、百姓を堕落させることができた。

★1d.酒が国を亡ぼす。

『戦国策』第23「魏(2)」332  夏(か)の時代。儀狄(ぎてき)という人が酒を造り、たいへん美味だった。儀狄は酒を禹(う)に献じた。禹は酒を賞味した後に儀狄をうとんじ、美酒を断って、「後世、必ず酒をもってその国を亡ぼす者あらん」と言った。 

★2a.水が酒に変わる。

強清水(こわしみず)の伝説  孝行息子が、老父に飲ませる酒を買う金がないので、峠の清水を竹筒に入れて帰る。老父がそれを飲んで「諸白(もろはく)の酒だ」と喜ぶ。息子が飲んでみると、ただの水である。以来、この清水は「親は諸白、子は清水」と歌われ、後には「強清水」という字を当てるようになった(山梨県東八代郡中道町右左口)。

『十訓抄』第6−18  美濃国の男が薪取りのため山に入り、石の中から水のごとく流れ出る酒を発見する。男は毎日これをくんで酒好きの老父を養う。帝がこれを知り、男は美濃国をたまわり、年号も「養老」に改まる〔*養老の滝の伝説の原話。養老町では、男の名を「源丞内」と伝える〕。

『パンタグリュエル物語』第五之書(ラブレー)第44章  パンタグリュエルとパニュルジュ一行は、さまざまな島巡りをした後、徳利明神の神託の島に上陸する。そこの寺院の不思議な泉の水は、酒だと念じて飲めば、酒の味がするのだった。

『ヨハネによる福音書』第2章  カナの婚礼に招かれたイエスは、酒がなくなったと聞いて、6つの大がめに水をいっぱいに入れさせ、それらをぶどう酒に変えた〔*この物語は他の福音書には見られない〕。

★2b.酒が水に変わる。

『酉陽雑俎』続集巻1−880  2人の鬼が李和子を冥府へ連れて行こうとするので、李和子は鬼たちを酒楼へ招き、酒を飲ませる。酒楼にいる人々には、鬼の姿が見えない。無人の席に酒を置き、1人でしゃっべている李和子を、皆は「狂人だ」と思う。鬼たちが去った後、酒は水のような味に変わっており、冷たくて歯にしみた→〔紙銭〕1。 

★2c.酒に水をまぜて売る。

『往生要集』(源信)巻上・大文第1「厭離穢土」  酒に水をまぜて売った者は、死後、叫喚地獄の別処・火末虫(かまつちゅう)に堕ち、4百4病にかかって苦しむ。虫が身体から出て、皮・肉・骨・髄を破って飲み食うのである。

『日本霊異記』26  田中真人広虫女は、酒に水を加え量をふやして売り、利益をあげるなど、さまざまな欲深い行ないを重ねた。その罪ゆえに彼女は宝亀7年(776)7月20日に死に、閻羅王の王宮に召された→〔牛〕3c

★2d.水に酒をまぜて売る。

『沙石集』巻6−11  酒を売る尼公がいたが、いつも酒に水を入れて薄めていた。酒好きの説経師・能説坊が、法事の席で「酒に水を入れるのはたいへんな罪だ」と弁じ、尼公に反省を求める。尼公は心を入れ替え、水に酒を入れて能説坊に勧めた。 

★3.酒の起源。

『詩語法』(スノリ)第6章  巨人の娘グンロズが、岩山で蜜酒を管理する。オーディンが彼女のもとに3夜いて、蜜酒を3口だけ飲む許しを得る。オーディンは多量の酒を3口ですべて飲みこみ、鷲に変じて逃げ去る。少量の蜜酒が人間界にこぼれ、それを飲むと詩人になれる。

『ジャータカ』第512話  ヒマラヤに1本の木があり、人の背の高さで3つに分かれ、そこの穴に雨水がたまる。熟した木の実や稲が水に落ち、太陽で暖められて酒が生じる。鳥獣が酒を飲んで酔うさまを見て、林務官スラと苦行者ヴァルナも、飲んでみる。酒は、発見者の名前からスラーまたはヴァルニーと呼ばれる。

『曽我物語』巻2「酒の事」  漢の明帝の代、せきそという男がいた。家の園にある3本の桑に水鳥が降りて遊ぶので、見ると木のうろに美酒があった。せきそはこれを帝に献上した。桑の木3本より出たゆえ、酒を「みき」と言う。

 *雀が酒を作り出した→〔踊り〕3cの雀躍(高木敏雄『日本伝説集』第22)。

 *コーヒーの起源→〔鳥の教え〕1のコーヒー発見の伝説。

★4.酒は情欲をかきたてる。

酒と生殖の起源の神話  神が少年少女を創造し、2人を大峡谷の底の洞穴に置いた。2人が無邪気すぎて、子供ができる見込みがなかったので、神は、情欲をかきたてる米の酒イリの造り方を、2人に教えた。こうして世界に、人間が増えていったのである(中部インド、ムンダ族)。

★5a.大酒飲みの男。どれだけ酒が飲めるか試す。

『試し酒』(落語)  近江屋の下男久造が大酒飲みだというので、某大家の主人が、5升飲めるかどうか久造を試す。久造は「少し考えたい」と言って外へ出、戻って来て見事に5升飲む。主人が感心し、「それにしても先程どこへ行ったのか?」と問うと、久造は「自信がなかったから、酒屋で試しに5升飲んで来た」と答えた。

*大酒飲みの神→〔無尽蔵〕2bの『ギュルヴィたぶらかし(ギュルヴィの惑わし)』(スノリ)第46〜47章。

★5b.大酒飲みの南極老人星。

『星の神話・伝説』(野尻抱影)W「冬の星座」アルゴ座  宋の時代、奇妙な老人が都に現れ、酒屋へ入り込んでガブガブと酒を飲み、いくら飲んでも酔うことがなかった。仁宗皇帝が老人を宮殿に召して酒を賜ると、たちまち7斗をたいらげて、どこへともなく立ち去った。翌日、天文官が「昨夜、南極老人星(アルゴ座のカノープス)が、いつもの位置から消えました」と言上する。仁宗皇帝は「では、あの老人がそれであったか。めでたい、めでたい」と喜んだ→〔星〕5b

 *北斗七星の化身の和尚たちが、大酒を飲む→〔北斗七星〕2aの『星の神話・伝説』(野尻抱影)T「春の星座」大ぐま座。

★6.千日の酒。

『捜神記』巻19−8(通巻447話)  狄希のもとで「千日の酒」を1杯飲んだ玄石は、眠りこみ、死んだと見なされて埋葬される。3年後、狄希が「酔いの覚める頃だ」と玄石の家を見舞い、塚の中から玄石が掘り出される。

★7.アルコール依存症。

『失われた週末』(ワイルダー)  30代半ばの無名小説家ドンはアルコール依存症で、執筆不能の状態に陥っている。彼は酒代を得るために、盗みまでする。依存症治療の病院に収容され、そこから脱走するものの、自室に帰れば蝙蝠や鼠の幻覚が現れる。拳銃で自殺しようとするドンを、恋人へレンが懸命に励ます。ドンは心を入れ替え、グラスの酒の中に吸いかけのタバコを棄てて、小説に取り組む決意を示す。

『酒とバラの日々』(エドワーズ)  広告代理店の社員ジョーは、得意先の社長秘書キアステンを口説いて結婚し、女児が生まれる。ジョーは大酒飲みであり、その影響でキアステンも酒好きになる。酒の上の失敗が重なってジョーは馘首され、キアステンは昼間から酒を飲んでアパートを火事にする。ジョーは病院に入って、ようやく酒と縁を切る。キアステンは、夫や子供との生活よりも酒を選び、別居する。

『スタア誕生』(キューカー)  前座歌手エスターは、大スターのノーマンに見出されて映画女優となり、たちまちトップ・スターの座につく。2人は愛し合い結婚するが、エスターの成功とは裏腹に、ノーマンは長年の酒浸りによるアルコール依存症で、演技も荒れ、撮影所との契約を打ち切られる。エスターは女優をやめてノーマンに尽くそうと思うが、それを知ったノーマンは、エスターの足手まといになるまいと、入水自殺する。 

★8.酔っぱらい。

『親子酒』(落語)  親父も息子も大酒飲みで、毎晩酔っぱらって帰って来る。親父は酔眼朦朧の状態で息子を見て、「お前のような、顔が3つも4つもある化け物には、この家は譲れんぞ」と叱る。息子は「こんな、ぐるぐる回る家なんか、いらない」と言い返す。

★9.酒の上の争い。

『血槍富士』(内田吐夢)  若侍・酒匂小十郎は、ほがらかで優しい性格だが、酒乱の気味があるので酒を慎んでいる。しかし旅の途次、人々が貧しい中で必死に生きる有様に接し(*→〔身売り〕3)、小十郎は侍稼業がいやになり、下僕を連れて居酒屋へ行く。そこへ酔った5人の侍が入って来て、小十郎にからむ。斬り合いになり、小十郎も下僕も殺される。小十郎の槍持ち権八が駆けつけ、長い槍を振り回して5人を倒し、主人の仇を討つ。 

★10.夫に隠れて飲酒した女たち。

『法句経物語』第146偈  7日間の酒祭りが終り、8日目の朝、仕事始めの太鼓が鳴って、男たちは仕事場に出かけた。妻たちは「自分たちも酒を楽しもう」と園林に集まり、仏の「酒を飲んで放逸に流れるなかれ」との戒めを破って、飲酒し、酔ってふらふら歩き廻った。彼女たちは酒を飲んだことを隠そうと、家へ帰ってから病気のふりをする。しかし夫らは仮病を見破り、妻たちをさんざんに打ちこらしめた。

★11.密造酒。

『税務署長の冒険』(宮沢賢治)  ユグチュユモトの村に酒を密造している者がいるらしいので、税務署長が椎蕈(しいたけ)買いの商人に変装して、村へ潜入する。税務署長は、山の中に密造工場を発見するが、捕らわれてしまう。密造グループは、名誉村長・小学校長・村会議員をはじめとする20人ほどで、村ぐるみの犯罪だった。税務署長は数日間監禁された後、警察に救出された。密造グループはみな捕縛された。

 *葡萄をしぼって酒を密造する→〔葡萄〕1の『葡萄水』(宮沢賢治)。

『タケとサケ』(現代民話)  税務署の役人が、密造酒の摘発をしようと村へやって来て、「婆さん、酒はないか」と問う。婆さんが「山の炭焼き小屋にござんす」と言うので、役人は婆さんについて、えっちらおっちら山へ登る。婆さんが「ここでござんす」と指さしたのは、竹の林だった。婆さんは耳が遠いふりをして、役人を山へ連れ出したのだ。その間に村人は、密造酒をすべて隠してしまった。

 

*禁酒法→〔禁制〕6

*酒が蛇に変わる→〔蛇〕2の『今昔物語集』巻19−21・『黄金伝説』48「聖ベネディクトゥス」。

*酒の中に蛇が見える→〔水鏡〕2cの『鳴神』・『蒙求』123所引『晋書』「楽広伝」。

 

 

【さすらい】

 *関連項目→〔貴種流離〕

★1.一箇所にとどまれず、諸方をさすらう人。

『男はつらいよ』(山田洋次)  車寅次郎は16歳で家出して、20年ぶりに故郷葛飾柴又へ戻り、叔父夫婦の経営する団子屋「とらや」の2階に厄介になる。しかし彼は柴又の町に落ち着くことなく、異母妹さくらに心配をかけつつも、テキヤ稼業をして旅から旅へのフーテン暮らしを続ける。

『カインの末裔』(有島武郎)  広岡仁右衛門は妻と赤ん坊と痩せ馬を連れて、北海道羊蹄山麓の松川農場へやって来る。彼は農場で働くが、粗暴で村人との争いが絶えず、小作料も納めない。婦女暴行事件の犯人とも見なされる。1年余りのうちに彼は赤ん坊と馬を失い、雪の中、妻と2人でまたどこへともなく去って行く〔*タイトルは、→〔さすらい〕2の『創世記』第4章の、カインの物語にもとづく〕。

『子をつれて』(葛西善蔵)  小説家小田は家賃を4ヵ月滞納し、「8月10日限りで立ち退け」と要求される。妻は次女を連れ実家へ金策に行ったきり、連絡がない。8月11日の夜8時前に、小田は家財道具を持ち、尋常2年の長男と7歳の長女を連れて家を出る。バーで酒を飲み、11時近くに、行くあてもないまま電車に乗る。

『ティファニーで朝食を』(カポーティ)  ホリー・ゴライトリーの名刺のアドレス欄には「トラヴェリング(旅行中)」と記してある。彼女は19歳の頃、ニューヨ−クのアパートで小説家の「私」と知り合うが、彼女には他にも多くの男友達がいる。彼女は麻薬密輸組織との関わりの疑いで逮捕され、流産し、保釈中の身でありながら、ブラジルへ、次いでアフリカへ旅立つ。彼女がニューヨ−クで飼っていた猫は、1軒の家に拾われ、安住の地を得る。

『裸の大将』(堀川弘通)  八幡学園で教育を受けた山下清は、貼り絵にすぐれた才能を発揮したが、20歳の頃、学園から脱走した。徴兵検査が恐かったからである。彼は浴衣姿でリュックを背負い、汽車の線路を歩いた。方々の家で握り飯をもらい、各地を放浪する。さいわい彼は兵役を免除され、貼り絵は高い評価を受けて、後には「日本のゴッホ」と称されるまでになった。しかし名声はかえって煩わしく、彼は気ままな放浪を好んだ。

★2.神や悪魔の呪いを受けたために、永遠にさすらいを続けねばならない人。

『さまよえるオランダ人』(ワーグナー)第2幕  さまよえるオランダ人は悪魔の呪いを受け(*→〔言挙げ〕4)、海を果てしなくさすらう運命となった。7年に1度上陸し、その時に、永遠の愛を誓う乙女を妻とすることができれば、彼は救われる。さもなければ、彼は死ぬこともできず、漂泊し続けねばならないのだ→〔宿〕7a

『さまよえる猶太人』(芥川龍之介)  刑場へ歩むイエスを罵り打擲したユダヤ人が、イエスの呪いを受けて、最後の審判の日まで永遠に諸国をさすらう運命となる。彼は日本へも来たらしく、平戸から九州本土へ渡る船の中で、フランシス・ザヴィエルと出会い、問答を交わしたことがあった。

『創世記』第4章  カインがアベルを殺したことを知った主(しゅ)は、殺人者カインに「今、お前は呪われる者となった。お前は地上をさまよい、さすらう者となる」と宣告する。しかし、さすらいのカインに出会う者が彼を打ち殺すことのないように、主はカインに1つのしるしをつけた〔*額にしるしをつけたのであろう、と一般に解されている〕。

★3.さすらいの旅人が、立ち寄った土地の悪人たちを退治して、去って行く。

『シェーン』(スティーヴンス)  先住の牧場主ライカー一味が、開拓農民を追い払おうとして、いやがらせをする。流れ者シェーンが、農民たちのリーダーであるジョーとその妻マリアン、息子ジョーイの住む家に立ち寄り、彼らを助けて、ライカー一味と対決する。マリアンはシェーンにほのかな思いを寄せ、それに気づいたジョーは、1人でライカーたちと戦って死ぬ覚悟をする。シェーンはジョーを殴り倒して、ライカー一味の待つ酒場へ行き、銃撃戦の末に彼らを殺して、どこへともなく去って行く。

『用心棒』(黒澤明)  清兵衛一家と丑寅一家の縄張り争いで、宿場町の人々は困り果てていた。そこへ、どこからともなく旅の浪人がやって来る。彼は名を問われ、眼前の桑畑を見て「桑畑三十郎。もうすぐ四十郎だがな」と答える。浪人は、自分を用心棒として清兵衛一家と丑寅一家の双方へ売り込みつつ、彼らの争いをあおり、自らも何人かを斬って、両一家を壊滅させる。最後に強敵・丑寅一家の卯之助を倒し、「これで宿場も静かになる」と、居酒屋の親爺に言い残して、立ち去る。

 *「椿三十郎」と名乗ることもある→〔名付け〕6aの『椿三十郎』(黒澤明)。

★4.さすらいの旅は無益である。

『イスラーム神秘主義聖者列伝』「バーヤズィード・バスターミー」  旅を続けるアフマドに、導師バーヤズィードが「いつまで旅を続け、世界を経巡るつもりかね」と尋ねた。アフマドは「水を一つ所に止めておこうとしても、形が定まらず姿を変えてしまいますゆえ」と答えた。それに対して導師はこう言った。「なぜ大海であろうとせぬのか。変化することも汚れることもないではないか」。

 

 

【さそり】

★1.死んだ蠍(さそり)が、星となって赤く燃える。

『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)  井戸に落ちて溺れた蠍が(*→〔井戸〕3c)、神に祈る。「こんなに空しく命を捨てるのでなく、この次にはみんなの幸せのために、どうか私の体をお使い下さい」。すると、いつのまにか蠍の体は、真っ赤な美しい火になって燃え、夜の闇を照らしていた。蠍の火は、今も夜空で燃えている。

*よだかが星となって青く燃える→〔星〕4cの『よだかの星』(宮沢賢治)。

★2.釣針が、さそり座の星になる。

天にかかった釣針(ニュージーランドの神話)  英雄マウイが、巨大な魚だと思って釣り上げたのは、ニュージーランドの北島だった。マウイはそこの王になり、マオリ族の祖先となった。マウイが使った釣針は、島を引き上げた時のいきおいで天高くまい上がり、今も星空の中にひっかかって見えている。これが、さそり座のS字型である。

★3.さそりを使って人を殺す。

『さそり』(辰巳ヨシヒロ)  工員の松田は、船の積荷に紛れ込んでいたさそりを港で拾い、空き缶の中に飼っていた。安アパートで同棲する女が、「2〜3日、田舎に帰って来るわ」と言い、衣類をカバンに詰めて出て行く。松田は、女のハンドバッグにさそりを入れる。翌日、女とどこかの社長が熱海のホテルで毒物によって怪死した、との記事が新聞に載る。

 

*さそりに男性器を刺されて死ぬ→〔にせ花嫁〕4bの『聊斎志異』巻2−48「嬰寧」。

 

 

【悟り】

★1a.禅の悟りを開く。

『無門関』(慧開)7「趙州洗鉢」  新来の修行僧が、趙州和尚に教えを請う。趙州の「朝飯は済んだか」との問いに、修行僧は「済みました」と答える。「では、茶碗を洗っておけ」と趙州が言うと、修行僧はたちまち悟った。

『和漢三才図会』巻第66・大日本国「上野」  宝生禅師は日光山に入り、「大法を明らめない限り下山しない」と誓った。ある日、粥を煮ていると、偶然に粥の鍋が破れ裂け、そこで豁然と大悟した。彼は泉龍寺の開山となり、応永21年(1414)、72歳で没した。

*→〔ともし火〕3aの『無門関』(慧開)28「久嚮龍潭」。

*→〔指〕6cの『無門関』(慧開)3「倶胝竪指」。

*仏道への発心については→〔発心〕

★1b.禅僧の言葉から、魔球開発のヒントを得る。

『巨人の星』(梶原一騎/川崎のぼる)「大リーグボール」  星飛雄馬は鎌倉の寺で参禅するが、姿勢が定まらず、何度も警策(けいさく)で打たれる。老僧が、「打たれまいとすれば、よけいに固くなってがたがたする。その若さで、どうしてそうしゃちこばりなさる」と笑う。飛雄馬は腹を立て、「打つなら打て」と開き直る。すると老僧は、「ほほう! 五体の力が抜け、いい姿勢になった」と褒める。その言葉をヒントに飛雄馬は、打たれぬように投げるのではなく、打たせて凡打にする大リーグボール1号を開発する。

★2.悟りを求める男。

『夢十夜』(夏目漱石)第2夜  「お前は侍だ。侍なら悟れぬはずはなかろう。いつまでも悟れぬところをもってみると、お前は侍ではあるまい。人間の屑じゃ」と和尚が言う。けしからん。置時計が次の時刻(とき)を打つまでに悟ってみせる。悟ったら短刀で和尚の首を討つ。悟れなければ自刃だ。「自分」は全伽を組んで無を念じた。忽然、時計がチーンと鳴り始める。はっとして右手を短刀にかけた。時計が2つ目をチーンと打った。

『門』(夏目漱石)18〜21  野中宗助は、病欠届けを出して役所の勤務を10日ほど休み、鎌倉の寺にこもって座禅を組んだ。老師から「父母未生以前の本来の面目は何か」という公案を与えられ、懸命に考えて見解(けんげ)を呈したが、老師は「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければだめだ。そのくらいなことは少し学問をしたものなら誰でも言える」と、はねつけた。宗助は、何も得るもののないまま東京へ帰った→〔門〕4

★3.悟りをもたらす毒蕈(きのこ)。

『座禅物語』(三島由紀夫)  悟りを求める坊主が、仏陀の化身の老人から「山奥の燻銀(いぶしぎん)の蕈を食べれば、悟りが開ける」と教えられる。坊主は蕈を、日頃世話になっている村人たちにも分け与える。村人たちは先に蕈を食べて死に、それを見た坊主は悟りを得て聖人となった。聖人が可愛がり、「お前の子孫が栄えるように」と遺訓を授けた男児は、後に財産家になる。しかし孫の世代は水車小屋の主におちぶれた〔*三島由紀夫が13歳の時に、学習院の「輔仁会雑誌」に発表した短編〕。

★4.女が自らの本性を悟る。

『刺青』(谷崎潤一郎)  江戸の刺青(ほりもの)師・清吉は、理想的な肌を持つ16〜17歳の美女に、殷の暴君紂王の寵妃・末喜(ばっき)の絵や、若い女が歓びの瞳で男たちの屍骸を見下ろす絵を見せる。「この絵にお前の心が映っている。これはお前の未来を現す絵だ」と言って、清吉は美女の背中に巨大な女郎蜘蛛を彫る。己れの本性を自覚した美女は態度も一変し、「私はもう、今までの臆病な心をさらりと捨ててしまいました。お前さんは真っ先に私の肥料(こやし)になったんだねえ」と清吉に言う。

★5.他人の心を読み取る。 

『さとりの化け物』(昔話)  夜中に山小屋で爺が1人、火に当たっていると、何物かがやって来て、爺が心の中で考えることを、すべて言い当てる。爺は「これは悟りの化け物だな。しかたがない。火を焚いて当たらせよう」と思い、柴を折る。すると柴がはね飛んで、化け物の鼻柱を打つ。化け物は「人間は考えてもいないことをするから恐ろしい」と言って、逃げ去る(福島県南会津郡)。

*→〔連想〕5の『モルグ街の殺人』(ポオ)。

★6.「さとりの化け物」とは逆に、自分の考えていることが、すべて他人に筒抜けになってしまう。 

『サトラレ』(本広克行)  心の中で考えていることがすべて、半径10メートル以内にいる他人に伝わってしまう、という特異な人間がいて、「サトラレ」と呼ばれる。ただし「サトラレ」は、自分が「サトラレ」であることを知らない。「サトラレ」は現在日本に7名おり、全員、天才的知能の持ち主である。政府は、「サトラレ」たちが国益に叶う仕事に従事するよう期待しつつ、多くの人員を配置して彼らを保護する。

*心の中の思いが言葉として他人に知られてしまう『サトラレ』とは異なり、心の中に観じたイメージが他人の目にも見える、というのが→〔観法〕の物語である。

★7.仏陀の悟り。 

『ユング自伝』9「旅」  インドを訪れた「私(ユング)」に、仏教の新しい側面が見えてきた。仏陀の生涯は、自己(セルフ)の実現であることがわかった。自己が個人の生涯に侵入して、権利を主張したのだ。自己は、存在そのものの側面と存在の認識される側面とを、包括している。自己なしに世界は存在しない。仏陀は、人間意識の宇宙進化論的な尊厳を見ており、もし誰かがこの意識の光を消滅し尽くすならば、世界は無に帰すことを、はっきりと観じていた。

 

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