久馬栄道の言語感覚に関する情報です

現在は半分建築中です


え〜〜と、とにかく昔から私の喋る言葉は変だったらしいのですが、 どうも私の廻りにいる人間たちは私の変な日本語に慣れてしまったのか、 いちいち指摘するのが面倒なのか、それとも冗談でも言っていると思っているのか、 とにかく指摘してもらえないので、長らく自分ではわからなかったのですが、 修士の大学院のころからなんとなく自覚するようになりました。
どのように変かと言いますと、例えばこの間「わりかん」というのを 1日中「やまかん」といっていたり、「さばをよむ」というのを「さばをおる」と 言っていたりしていたらしいのですが (だってプロレス技に「さばおり」というのがあるではないか)、 だれも間違いを指摘してくれないのです。

私はいたって真面目に間違えているのにだれも指摘してくれないこのつらさ... というほどでもないのですが、とにかくこのような調子です。 この間違いは妻が指摘してくれたので気がついたのですが、 そうでなければずーと使っていたかもしれません。 あな恐ろしや...
そんなわけで私の言語感覚に関する失敗話を集めてみました。

地名に関する感覚

筆者は修士の大学院には静岡大学にいたのですが、ここの人間はわりかしと親切で (または私の言語に慣れてなくて) よく間違いを直してくれたので、このころから自分が変であるという自覚が 生まれました。 そのころの話です。
私の下宿のそばには「トロの遺跡」があって私のフィアンセが訪ねてきたときに 一緒に行ったのですが、皆には「能登の遺跡」とずーと言っていたらしい。 私も皆が「それは随分遠いところにいったものですねえ!」という意味が 長らくわからなかったのですが、1月ほどして謎が解けました (もっとも私のふるい友達ならば「また久馬が変なことをいっとるぞ」ということで ほかっとかれるのですが...)。
で、その時に今は鹿児島大学にいる青山究さんが「久馬さん、大くずれ海岸の 喫茶店の豆腐のようなアイスクリームがおいしいよ」といわれて行ったのですが フィアンセには「大なだれ海岸」と教えたらしい。 で、フィアンセが会社でそのことを喋ってどうも変だということになって 発覚したのです。
修士の2年のときに、北陸先端科学技術大学の小野先生と千葉大学の古森先生とで 日光に登ったのですが、その時「霧(きり)降り高原行きのバスに乗ってください」と いわれたのですが、聞いたとたんに「霜(しも)降り高原」と頭の中で変換されて しまったのです。 でもどんなに探しても「霜降り高原」行きのバスはありません。 まあ「随分おいしそうな名前だこと」と変には思ったのですが... 結局日光の駅で出会えたので正しいバスには乗れたのですが、かなり 焦りました。

このようにネタはあるのでまだまだ書いて行くつもりです。


感想をどうぞ。 E-mail: kyuma@dpc.aichi-gakuin.ac.jp

updated April 9, 1996