久馬栄道の全く個人的な映画の感想 2001年版です
last updated Mar. 30,2001
ホームに戻ります
これは久馬が映画館で見た映画の個人的感想です.
下に行くにしたがって古くなっています.
感想ください
E-mail:
kyuma@dpc.aichi-gakuin.ac.jp
過去に見た映画の検索用に、
名前のリスト
を作りました。
どうぞご利用ください。
3月以降について
久馬栄道は、2001年4月1日から2002年3月31日まで、
イギリスのリーズ大学に在外研究員で行っておりました。
イギリスで見た映画は、
イギリス用ホームページ
にありますので、良かったら見てください。
お便りは、
E-mail:
kyuma@dpc.aichi-gakuin.ac.jp
です。
以下は3月に見た映画です
- 『あの頃ペニー・レインと』
キャメロン・クロウ監督の自伝的映画なんですが、
16歳でロックの専門誌の『ローリング・ストーン』で記事を書いた
事を映画化したわけです。
それはともかく、時代は1973年でして、
1959年生まれの私もちょうど中学生の頃
ブリテッシュ・ロックに熱中していたわけで、
かかる曲のセンスの良さに脱帽です。
まず初めに、姉が出て行くところで「サイモンとガーファンクル」の
「アメリカ」がかかるのですが、この曲は若いカップルが自分さがしの
旅にでる話で、なかなか映画にピッタリで、私なんか
この曲聞いただけで涙が出てきます。
それにしても、この曲がロックにされるなんて...
LPで1曲前の「セーブ・ライフ・マイ・チャイルド」なら、
分かりますが。
(ところで映画とは関係無いですが「イエス」がアメリカ・ツアー用に
この曲をカバーしたのが、シングル版「同士」のB面に入っているのですが、
なかなか変わっていて良いです。
その後、ベスト版にも完全版が入ったはずですが。)
姉がキャメロン・クロウに渡すLPは、レッド・ツェッペリンの
2枚目とか、クリームの「ホィール・オブ・ファイヤー」とか、
とにかく当時の銘盤揃いです。
でも映画の中で、「いとしのレイラを音楽誌でけなされて、
クリームは解散」と言うのは順序が逆で、
「クリーム」を解散したエリック・クラプトンは、
アメリカに行って、「いとしのレイラ」を録音したのでは無かったかなあ。
主人公が「スティル・ウォータ」(ただし当時このようなバンドは無く、
監督の創作バンド)のコンサートにもぐり込むとき、
イエスの「アイブ・シーン・オール・グッド・ピープル」
(中学校のとき、この長い名前で現在完了形を憶えました)が
かかっているのですが、これは当時の3枚目のバージョンではなく、
もっと後のCDに入っているバージョンで、時代が異なる気がするのですが。
とまあ、いちいち突っ込みながら見ていたので、
私はけっこう楽しめたのですが、ツェッペリンと言えば
「天国への階段」しか知らない私の妻は、退屈だったらしいです。
ちなみにこの映画では、ツェッペリンの曲が多く使われているのですが、
「レイン・ソング」を始め多くの曲がサントラ盤には入っていなかったです。
どうしてだろう。
- 『ザ・セル』
人間の心の中に入り込む、サイバー・パンクと、
猟鬼的殺人を扱ったサイコ・サスペンスが
合体した映画なんですが、
水のイメージがふんだんに出てきて、
私のような水恐怖症の人間
(それなのに、スキューバ・ダイビングの免許は
持っている)には、本当にのけぞる恐怖でした。
監督のターセムはインド人なのですが、
これが長編映画第1作と成ります。
それにしても、彼の作りだす夢の中の
イメージが、これでもかこれでもかと、
出てくるのですが、それがなかなか
凄いのです。
また、それを実際に映画として見せてしまうスタッフの腕も、
すごいです。
とにかく、私はめったにホラー映画では怖がらないのですが、
怖かったですし、ビジュアル的にもすばらしい出来でした。
- 『プルーフ・オブ・ライフ』
メグ・ライアンとラッセル・クロウが競演した
話題のアクション映画なのですが、この映画の魅力を一言で言えば、
ラッセル・クロウの渋い魅力でしょうか。
少なくとも『グラディエータ』よりは、数倍良い。
とにかく渋すぎるです。
監督のテイラー・ハックフォードは、もう大ベテランなので、
その演出に澱みが有るわけが有りません。
映画は初めから実に快適なテンポで進んで行きます。
かつて黒沢明は、「監督をやりたければ脚本を書け。
その脚本を他人に読んでもらいたかったら、
初めの15分を退屈させるな。」と言っていましたが、
その意味では、この映画は初めから最後までハラハラ、
ドキドキ、満点です。
またゲリラ側はともかくとして、あまり人が死なないのも
良いです。
私は『バーティカル・リミット』みたいに、
人助けに行って、逆に沢山死ぬ映画は、嫌いなのです。
ところで、メグ・ライアンは競演した人に
恋する、と言う噂があり、この映画でも
ラッセル・クロウに熱愛した挙句、
クリスマス前に捨てられ、それでラッセル・クロウに
嫌がらせの電話をしたりして、大いに迷惑を
かけた、と言う噂が有りますが、本当でしょうか?
(それを映画化した方が、面白そうですが。)
- 『パン・タデウシュ物語』
それにしても、アンジェイ・ワイダ
も凄いものですネエ。
戦後、一貫して映画を撮りつづけて
しかもどれも名作ぞろいなのは、
黒澤明監督とワイダ監督ぐらいですが、
黒澤監督も死んでしまったので、
残ったただ一人に成ってしまいました。
まあこの監督で、ポーランドを代表する
19世紀の叙事詩が原作で、
このくらいのお金をかければ、
このくらいの映画が出来るのは分かっていますが、
ワイダ監督の場合は人間国宝のような
もんですから、映画の出来不出来ではなく、
まあとにかく見ておこう、ということです。
内容は19世紀、大国の狭間で常に翻弄されてきた
リトアニア(ポーランド?)の、
つかの間の平和の時の牧歌的な
風景が広がりますが、そこはそれ、ただでは
すむわけがありません。
ただ、今まで『地下水道』とか『灰とダイヤモンド』、
また『大理石の男』とか『コルチャック先生』などのように、
狂おしいまでの人間を描いたわけではなく、
まあワイダ監督も歳だし、なんか人間の
描き方がやさしくなりました。
それは20世紀の戦争と19世紀の戦争の差かも
しれませんが。
ちなみに、私の大好きなアンジェイ・ワイダ監督の代表作を、
時代順にいくつか上げておきましょう。
- 『地下水道』
ワイダ監督の原点のような映画。
第2次世界大戦中、ポーランドはソ連の裏切りにあい、
ワルシャワ蜂起が失敗し、多くのポーランド人がドイツ軍によって
虐殺されました。
そのワルシャワ蜂起を描いた作品ですが、この頃から
大国に挟まれ運命に翻弄されるポーランド人を描く姿勢は、
一貫しています。
- 『灰とダイヤモンド』
これもなかなかな映画。
ストーリは忘れてしまったのですが、確か殺し屋の役の
人が、カッコ良く、こう言ったスタイリッシュな映像も
出来るんだなあ、と思いました。
- 『大理石の男』
私が一番好きなワイダ監督の映画。
旧ソ連時代に存在した労働英雄の行方を取材するうちに、
段々と旧ソ連時代の真実が暴かれて行く映画です。
作りはオーソン・ウェルズの『市民ケーン』に似ています。
それにしても、良くこの時代にこんな内容の映画が、作れたものです。
なかなか凄い映画ですよ。
- 『鉄の男』
前の『大理石の男』の続編。
ポーランドが労働組合「連帯」の力によって、
旧ソ連からの独立を勝ち取って行く様子を、同時代的に
とらえた映画。
「連帯」の(当時)ワレサ書記長も、自分の役で出ていて、
実際に有った交渉を、映画の中で再現しているのが興味深い。
- 『コルチャック先生』
あまりにも有名な映画です。
ナチスに反抗し、子供たちの命を救おうとした
コルチャック先生を描いた映画ですが、素晴らしい。
これ以外にも、私が好きな映画では『約束の土地』
『愛の記録』『悪霊』と、沢山有るのですが、
何しろ36本も映画を撮っているので、
皆紹介するのはまたにしたいです。
- 『東京攻略』
世界で一番目つきの悪い女優ケリー・チャンが
失踪したフィアンセを探しに東京を訪れ
トラブルに巻き込まれる、というストーリなんですが、
そこはそれ香港映画、とにかくはじめからハチャメチャな
アクションシーンの連続でスカッとしますし、
ストーリも誰が見方で誰が敵かわからない
ハイテンポな内容で、面白かった。
とてもアクションが得意とは思えないトニー・レオンですが、
『風雲、ストーム・ライダー』が印象的だった
イーキン・チェンの助けを借りて、なかなかの
アクションに成っています。
あと、香港人が喋る変な日本語と、日本人が
喋る変な広東語が入り乱れ、面白かった。
ちなみに題名に使われている「攻略」というのは
中国語には無いそうですが、日本ぽくって
良いそうです。
- 『バガー・バンスの伝説』
これはまことにロバート・レッドフォードらしい何とも爽やかな内容の
映画となっています。
さすが『リバー・ランズ・スルー・イット』
(でもこの映画は、(誰も言わないけど)
小津安二郎の『父ありき』のリメークじゃないかと思うのですが)や
『モンタナの風に抱かれて』などの、数多くの秀作を
物にした監督だけは有ります。
私はこう言った映画には弱いんです。
何度も泣いてしまいました。
ゴルフの話で、それと人生が絡んでくるのですが、
私はハッキリ言って、ゴルフは何となく嫌いだし、
(でも4月からイギリスに1年行くので、
向こうはプレー代はパブリックで500円くらいでやれるらしいので、
やってみようか、と言う気はあるのですが)、
スポーツと人生を絡めるのも、
基本的に嫌いなのです。
特にプロ野球で、すぐ野球と人生の話を
結びつけたがる解説者が多いのですが、
彼らに本当にそんな資格が有るのか、疑問な解説者が多いです。
さらにその前に、日本のプロ野球は、人生語る前に、
もっとプロらしいプレー(金のとれるプレー)
を見せる方が先だろうと思っていますので、
最近は衛星放送で大リーグばかり見ています。
そんな私ですが、この映画だけは素直に入って行けたのは、
やはり掘り下げ方が深いからでしょう。
3人の全く異なったゴルファー。
この映画はゴルフを単に身体を動かすスポーツとは見ずに、
その前にスタンスやグリップがあり、
それを決めるのはゴルフに対する考え方であり、
それを決めるのが人生に対する考え方というのが、
面白かったです。
3人とも全く異なった人生に対する態度、だからゴルフも
プレーするのか勝負するのかゲームするのか、
全く異なるのです。
その当りの見せ方が、実に上手いと思います。
それにしても、マッド・ディモンは久しぶりに彼らしい演技で
嬉しいです。
シャーリズ・セロンはちょっと老けてきたかなあ。
- 『スナッチ』
いやー、あの私の大好きな『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレル』の
ガイ・リッチー監督だけに、期待も大きかったのですが、
その期待を裏切らない、メチャクチャ面白い映画でした。
このハチャメチャ感が、最高です。
そして、実にスタイリッシュな映像。
最高です。
内容は、スパイキー(流浪の民)、裏ボクシング、
ダイヤモンドの3題話。(隠し味で「犬」が最高。)
それにガイ監督らしく、実に個性豊かな多くの俳優たちが
複雑に絡み合うのですが、実にチャープなストーリ展開で、
こんな複雑な話なのに、全くの澱みがないのはさすがです。
はっきり言ってブラッド・ピット以外はあまり知らない
俳優ばかりなのですが、『ユージュアル・サスペクト』や
『バスキア』が印象深いベネチオ・デル・トロや、
『ロック、ストック〜』が印象深いビニー・ジョーンズや、
とにかく登場人物が多いので、それぞれの出番が少ないのが
もったいないですが、本当に凄い俳優たちばかりです。
それにしても、私は基本的には人が死にすぎる映画は
嫌いなんですが、ガイ・リッチー監督だけは
半端じゃあないので、許していまいます。
- 『EUREKA(ユリイカ)』
カンヌ映画祭でいろいろな賞を取って話題の日本映画なんですが、
何しろ異例ずくめの映画です。
まず長い。3時間半で休憩無し。
それで白黒映画。おまけに入場料が2500円。
こんなに高い入場料は、私の経験では、エマニエル・ベアールが出ていた
『愛と宿命の泉』を1部2部同時上映して以来です。
とにかくこの青山真治監督、こんなにやりたい放題やるなんて、
世界で一番幸せな監督ではないかと思います。
内容はバスジャック事件とか、なぜ人を殺してはいけないのか、とか、
癒しとか、いま話題になっている内容を先取りしたような映画になっているのですが、
それとは別に、3時間半と言う長さを感じさせないストーリ展開の
上手さには脱帽です。
とにかくここのところ、世界の映画祭での日本映画の充実ぶりは、
凄いのですが、それはこの映画の仙頭武則プロデューサに代表されるように、
日本映画も数が揃ってきたことに原因が有るのではないでしょうか。
何しろ仙頭プロデューサ、今現在40本の企画を抱えているらしいです。
良く世間では、量より質、沢山作らなくても本当に良い映画を作れば
良いじゃないか、と言う意見も有りますが、私の意見ではそういう考えが
日本映画を駄目にしたのだし、日本映画が復活してきたのも、
下らない映画から本作のような大作まで、とにかく豊富に作るように
なったおかげだと思います。
日本のマンガのレベルが世界1なのも、物凄い大量のマンガが
日々書かれているから、優れたマンガが出てくる余地もあるのです。
私の考えでは、10本の娯楽作品が1本の優れたマンガを
産んでいるような気がします。
ハリウッドも何だかんだ言っても、時々凄い映画が出てくるのは、
やっぱり量が有って、その量にお金が集まり、そこに優れた
才能が集まり、結果的にやっぱり(たまに)良い映画が有るわけです。
それが昭和30年代、日本映画が段々斜陽になったとき、
(黒沢や小津以外の)芸術家気取りの有名監督たちが既得権で、
数少ない映画を作るチャンスを独占したために(またそれが
つまらなかったために)、
若い才能が出てくるチャンスが無くなり、
日本映画は駄目になったのではないでしょうか?
あのころ、もっと質の高い娯楽映画を作っていたら、
日本映画も違った方向に行ったと思います。
小津だって、若い頃はバースタ・キートンのような無声コメディー映画を
物凄く研究し、物凄い数の映画を撮り、それで日本のコメディー映画の
中でも私は最高傑作と思う『生まれてはみたけれで』の
ような傑作をものにするわけです。
彼だって芸術作品といわれるのを撮り出すのは、
だいぶ歳をとってからです。
まあそんな事を思っていたら、この間テレビで日本映画の
特集をやっていて、『量が質を変える』と言っている人がいて、
同じような事を考えるのだなあ、と思いました。
私日本映画が変わったなあ、と思ったのは、『鮫肌男と桃尻娘』や
『サムライ・フィクション』や『リング』を見たときだったのですが、
それ以前にも坂本順治監督や、『鉄生』の監督や、
とにかく細々と自分の道を模索している監督はいたわけです。
しかし私が『鮫〜』や『サムライ〜』を転機として考えるのは、
娯楽映画としての完成度が、ちょっとずば抜けているような
気がしたからです。
まあ、あのころは、世界の映画祭で日本映画が招待されなかったり、
けっこう日本映画に対して悲観的な意見も有ったのですが、
『鮫〜』とか『サムライ〜』を見る限り、
大丈夫なような気がしましたけどね。
でまあ、このような娯楽映画を作る活力が有るからこそ、
『EUREKA』のような映画も有るのです。
- 『背信の行方』
20年前に行なわれた競馬の八百長をめぐり、ニック・ノルティー、
シャロン・ストーン、ジェフ・ブリッジスと言う、
なかなか濃い面々が繰り広げるドラマなので、
もっとシリアスでサスペンスなのかと思いきや、
意外な展開で、ナカナカ面白かった。
原作は俳優で、戯曲作家としても名高いサム・シェパードの
演劇用脚本を、サム自信が映画用の脚本に直しているだけあって、
なかなか興味深い内容になっています。
まあ私はもともと、ギャンブルには興味が有りません。
特に日本の公営ギャンブルはテラ銭が25%で、
胴元しかもうからない仕組みになっていて、
ばかばかしくって、かける気にはなれません。
良く言われる言葉に、「競馬で家を建てた奴はいない」と言いますが、
外国ではテラ銭が10%くらいで、まあまあ楽しめるそうです。
(ちなみに宝くじはテラ銭が50%で、もっと酷い。)
さらに、地方競馬では、ほんとか嘘かは知りませんが、
(八百長とまでは言いませんが)
八百長に近いことが行なわれているらしいと言う噂が絶えません。
(私は良くは知りませんが)八百長のシグナルを
見抜くための専門誌まで有るらしいです。
しかも競馬の馬なんて、(田舎で余生を送れるのは、ほんの一部の馬だけで)
大部分の馬は、走れなくなったらソーセージになって食べられるのが落ちです。
つまり競馬と言うのは、人間が馬を金儲けに利用するだけ利用して、
利用価値が無くなったら食べてしまうと言う、人間の一番残酷な
面が出ているスポーツなんです。
だからこの映画のように、競馬で八百長が行なわれても
何にも驚きませんが、
この映画の良い所は、それでも人生や馬の疾走は素晴らしい、
と言うことを、実に最後に巧みにもってきているところです。
なかなか最後は鮮やかです。
- 『ザ・カップ』
これは、ブータンの本物の高僧であるケンツェ・ノルブが、
北インドに亡命しているチベット仏教の僧院を描いた映画なんですが、
その内容は、僧院の修行僧たちがテレビ放送されるワールド・カップに
熱中すると言う、いささか変わった内容の映画です。
とは言え現役の僧侶が監督し出演者も全員本物の僧侶だけあって、
なかなか僧院での生活とか、その衣装などが興味深かったです。
と言うのも、私の父は僧侶が身に付ける袈裟の研究をしていまして、
(私も袈裟を縫ったり、たぶんもうすぐ私の書いた
袈裟の本も出版されると思うのですが)
あちらの服装には、興味が有るからです。
ところで、この映画の舞台になっているチベット仏教について、
少し説明しておきます。
インドで産まれた仏教は、紀元後、段々とインドのヒンドゥー教の
影響を受けます。このような仏教を密教と言います。
そして13世紀にイスラム教徒がインドの仏教寺院に攻撃を
加えると、このようなヒンドゥー教の影響を受けた密教は、
チベットに亡命し、現在のチベット仏教の元を形成しました。
ですからチベット仏教には、ヒンドゥー教的な色彩が、
数多くあるそうです。
ちなみにインドの仏教はその後どうなったかといいますと、
ヒンドゥー教の影響を受けすぎて、最後にはヒンドゥー教の中に
溶け込んでしまいました。
現在ではお釈迦様は、インドではヒンドゥー教のシバ神の化身と
言う事になってしまっています。
(それとは別に、インドのカースト制打破のためには、
仏教の平等思想が有効と言うことで、
新仏教というものも、有るそうです。)
ところで現在は、チベット仏教は中華人民共和国の迫害を受け、
ダライ・ラマ以下多くのチベット仏教徒が、
中国と敵対するインドに亡命しているわけです。
それにしても、このようなチベット仏教徒と言えども、
この映画のように、現代化の影響は免れないわけで、
そこら当りの折り合いをどう付けるかが、
問題なのですが、この映画はなかなか上手にまとめています。
(まあ余談ですが、食事のマナーとか、掃除の仕方とか、
日本の僧堂のようにテキパキとやれば良いのに、
と、よけいな事を考えてしまいました。)
- 『ファースト・フード・ファースト・ウーマン』
アンナ・トムソンと言う、実に不思議な魅力をもった
女優さんがいる(と言っても、私も本作で初めて
知った)のですが、この女優の魅力に取り付かれた監督の
アモス・コレックが、この女優のために作った映画。
このコンビは、既にニューヨークの娼婦を描いた『Sue』『Fiona』と言う
映画が有るそうですが、こんどはコメディーになりました。
映画の内容は、ベラと言うニューヨークで働く奇妙な女と、
その彼女の回りで起こるさまざまな出来事を
軽妙なタッチで描いています。
特に、老人のセックスの問題を、まじめに扱っているのが
好感がもてます。
- 『楽園をください』
『グリーン・デスティニー』のアン・リー監督が、こんどは
アメリカ南北戦争の悲劇を描いた作品。
いま売り出し中の若手スキート・ウーリッチ、トビー・マグワイヤー、
(歌手で女優の)ジュエルも良かったですが、
悪役のジョナサン・リース・マイヤーズとか、
脇を固めるジェフリー・ライトやジム・カヴィーセルもしっかりしていて、
この当りのキャスティングも上手いです。
とにかくこの監督、演出力は抜群なので、どんな映画を作らせても、
実にソツ無く作ります。
全く大したものです。
アン・リー監督の代表作を追って行くと、初期の中国3部作
『推手』『ウェディング・バンケット』そして私の大好きな
『恋人たちの食卓』どれも名作です。
まあ『いつか晴れた日に』は内容が暗くてあまり好きではないですが、
それでも『タイタニック』のケイト・ウィンスレットの
新しい魅力を引き出したし、エマ・トンプソンも喋りすぎないのが
良かったです。
『グリーン・ディステニー』は本当に美しい中国剣劇の世界を
作りだし、『初恋の来た道』のチャン・ツィイーの魅力を
引き出しました。
こうやって見てくると、この監督は常に新しい映画を
作り続けていることが分かりますが、演出力が確かなので、
何を作らしても上手いのです。
それにしても、南北戦争ってムチャクチャだったのですね。
- 『顔』
坂本順治監督、藤山直美主演の映画ですが、いかにも坂本監督らしい、
関西弁まるだしの演出に、藤山のあくの強さがマッチして、
なかなか味わい深い映画になっていました。
とにかく藤山のいくつもの顔がナマで見れて、面白い。
しかし特筆すべきは、牧瀬里穂の悪女ぶりで、
彼女は中京地区のCBC(しかしカナダ人の友達は愛知県に来て、
なんで「カナダ・ブロードキャスト・カンパニー(CBC)」の看板が
こんなに有るのか、びっくりしたらしいですが)で深夜に放送している
つるべさんの『スジナシ』と言う即興ドラマでも、なかなか凄い悪女ぶりを
発揮していました。
まあ佐藤浩一は、同じ坂本監督の『トカレフ』での悪役で、はまっていましたから、
これくらいはやるでしょうけれども、豊川悦司のヤクザぶりは、
なかなか良いですねえ。
以下は2月に見た映画です
- 『ギャラクシー・クエスト』
かつてのテレビの人気SF番組の出演者たちも、今では
昔の栄光にしがみついて、ドサ廻りの日々を送っています。
そこへ、遠い宇宙の果てで、このテレビ番組を信実と
信じている宇宙人達が表れ、テレビ番組の出演者たちに、
自分たちの星の危機を救って欲しいとやって来ると言う、
SFパロティー映画ですが、これが実に良く出来ている。
最後は泣いてしまいました。
ところで話は変わりますが、かつて有名なSFテレビ・シリーズと言えば
『スター・トレック』と今の人は思うでしょうけれども、
あれが日本で初めて放映されていた頃には、
全く日本では人気が無かったと憶えています。
(アメリカでは人気があり、その後だいぶたってから、
アメリカかぶれした連中が、『スター・トレック』の
ファンになったのです。)
それよりもSFファンの間では、NHKで夜の10時
(後に『サンダーバード』と同じ、日曜の夕方6時になった)から
放映していた『タイム・トンネル』の方が、
遥かに人気が有ったし、内容もしっかりしていたように思いますが。
私も小学校低学年でしたが、頑張って夜の10時から
見ていました。
だいたい『スター・トレック』は内容に矛盾が有りすぎて、
見ていても随分気になりました。
その後映画化するときに、(例えば狭い地域にエレベータが
20以上有ったりして)矛盾点を隠すのに、苦労したそうです。
そういった背景の元に、この映画のパロディーが有るので、
とっても笑えました。
- 『処刑人』
知り合いの英語の先生が面白いと言っていたので見に行ったのですが、
はっきり言って、スカッとします。
もう全く、B級映画の王道を行く映画なのですが、監督・脚本の
トロイ・ダフィーは、これが初映画とは思えない出来の良さです。
出来の良さの主なる原因は、やっぱり助演のウィリアム・デフォーの凄さと、
それにしっかりとした脚本でしょう。
B級映画とは言え、やはり脚本は大事でしょう。
しかし最大の成功の原因は、銃撃戦のカタルシスを、ここまで
やってしまったことに有るのではないでしょうか。
(ロバート・デ・ニーロ主演の『ヒート』も、これくらい
やれば、成功したのに、あれは中途半端でした。)
ちなみに原題の『the boondock saints』はジャングル(僻地)の
聖人の事なのですが、都会をジャングルに見立てているわけです。
最後に、なんぼB急映画とは言え、ラストは嫌いです。
- 『BROTHER』
北野たけし監督・主演の、アメリカを舞台とした
やくざ映画。
あいかわらずの北野監督。
独特の間、独特の人間描写。
そこにはいつもの北野監督の世界が有り、
安心しました。
やくざの世界の見せ方も、いかにも外国人が
興味を持ちそうなことを、実に上手に見せていまして、
この当たりも世界市場を意識したエンターティナーとして、
一流です。
また、私はやくざを美化した映画が嫌いなんですが、
この映画は北野監督が言うように「暴力のシーンは
本当に痛く感じるように作った」というようになっていて、
結局は暴力が他人事ではない、暴力の痛み、
さらにくだらなさが、伝わると私は思います。
これほど明確にやくざを美化していない
やくざ映画は、他には黒澤明監督の『よいどれ天使』
くらいしか無いのではないですか。
さて映画の内容は、
日本でブイブイいわせていたやくざの組長北野たけしは、
日本を追われアメリカに行きます。
やくざがアメリカ行っても、そりゃああっちは
暴力の本場中の本場、本当に日本のやくざの暴力って
向こうで通用するのかしらと、どこまで話にリアリティーが
持たせれるか心配しましたが、
そこはさすがの北野監督、
アメリカに行ってもまったくマイペースなのです。
凄いものですネエ。
まあこの人の場合、はじめの『この男凶暴につき』からして、
いかに映画会社が作りたがっている映画から
はずすか、そのためにいかに映画会社が
見張り役で付けた助監督の意図をはずすか、
とにかくはじめて映画監督という仕事に携わったときに、
これだけ考えて、マイペースでやっているのです。
だからまあ、場所がアメリカに移ったって、
まったくのマイペースで仕事をしている、さすがです。
話は変わりますが、最近教育の現場でも
国際化と言う言葉が氾濫し、
それはしばしば英語を話すことと混乱されているのです。
まあ日本人はほとんどが英語を喋る必要がないので、
英語に対して必要以上の畏怖の念を抱きます。
それでとにかく英語が喋れれば、何かすばらしい
ことのように感じるらしいのですが、
英語が喋れても、まったくダメなやつもいます。
逆に外国に行っていた教え子で、こんなへたくそな
英語で本当に大丈夫か、と言うのもいますが、
意外とそう言う奴が、何となく友達も沢山作り、
チャンとやっていたりするのです。
北野監督なんかは、ちゃんと自分と言うものが
存在して、たとえ英語が喋れなくても、
その明確なイメージを伝えるすべを知っているので、
外国人スタッフのインタビューを読んでいても、
おそろしく具体的で的確に意図が伝わっています。
これこそがコミュニケーションと言うものです。
だから日本人が考えなければいけない国際化と言うのは、
英語の力のみ(もっとも一人で外国旅行するぐらいの
英語の力は、だいたいは
度胸で何とか成るので、もっと多くの若い日本人が
挑戦すれば良いのに、とは思いますが)のことでなく、
自己表現能力や表情や(日本人も含め)友達を
作る力だと思うのですが、やはりこの当たりが
日本人にはネックらしいです。
最後に、この映画に出てくるやくざの論理は
西洋人には理解不能と言われていますが、
まあほとんどの日本人にも、理解不能です。
- 『アンブレイカブル』
何と言っても、あの名作中の名作『シックス・センス』を
監督したM.ナイト・シャマランの次の作品と言うことで、
期待していたわけです。
まあ『シックス・センス』はあまりに素晴らしい出来だったので、
あれほどの出来をもう一度期待するのは難しいですが、
そこそこは面白かったです。
私の周りの人間でこの映画を見た人は、
「取りとめのない映画」という意見が多かったのですが、
それはチョット監督が考えすぎたためじゃあ
ないだろうか。
チョット観念的過ぎる嫌いもあるのですが、
それは前作があまりに成功したがために、
肩に力が入りすぎたためでしょう。
ところで映画の中でアメフトの体力のことが
色々出てきます。
アメフトは瞬発力のスポーツなので、
40ヤード(36m)でタイムを図ります。
4秒台というのは、ものすごい数字だと
思います。
またベンチプレスは、日本の大学のチームでは、
100kg以上を上げる人が何人いるかで、
だいたいラインメンの強さの目安とするようです。
アメリカの有力大学では、135kgぐらいで
練習するらしいです。
だからブルース・ウィルスの選手時代に
バックスで125kgというのは、そうとう
良い数字だと思います。
- 『ただいま』
エキセントリックでカリスマな中国英語教師を
追ったドキュメント映画『クレイジー・イングリッシュ』の
チャン・ユアン監督の、社会派映画。
内容は義姉を殺した少女のその後を
描いた重い内容なんですが、なかなか
感動的な映画で泣けました。
今まで中国の社会派映画と言えば、
第2次世界大戦の日本軍の残虐を描いた
『紅いコーリャン』や文化大革命の悲劇を描いた
『芙蓉鎮』など、過去の歴史の清算を
中国第4、5世代と言われる監督達が
描いてきたわけですが、その次の世代の
監督達は(そう言った過去を忘れたわけではない
のですが、過去を意識しながらも)過去から自由に
なった、何かふっ切れた感じがします。
この映画は、中国映画では珍しく、現代の
刑務所の中を描いたわけで、中国映画では
初めてのことらしいです。
このことがいかに珍しいかは、現代の
中国事情を知っておく必要があります。
たとえば中国では中国国内の凶悪犯罪が
テレビのニュースで流れることは(ほとんど)ありません。
中国のニュースは、農業のことか共産党の
話題が主です。
数年前、北京で中国人民軍の兵士が、
繁華街のど真中で銃を乱射した事件が有りましたが、
そのとき私の友達は北京から200km離れた
天津にいたのですが、彼が見た範囲では
中国国内のニュースでは
まったく流れなかったそうなので、
日本に帰ってくるまでの何ヶ月間は
彼はその事件をまったく知らなかったそうです。
だから(天安門事件のような)重要事件で
中国国民のインタビューが出たときには、
それなりに注意して見る必要が有ります。
(もっとも日本国内だって、どれだけ正しく
情報が我々の所に来ているかは、疑わしいですがネエ。)
そう言ったことを鑑みると、この映画は
また随分思いきったテーマを扱ったものだと
思います。
何しろ中国では最近でも、国際映画祭で賞を取ったような
某有名映画も、上映中止に成ることが有りましたから。
ところで、私が一番気になったのは、あの
美しい主任さんがトイレに行くシーンです。
何しろ中国の公共トイレの汚さと言えば
凄いものがありますから。
もっとも北京等の大都会では、外国人用に
きれいな有料トイレも出来てきていますが、
まだまだ絶対数が足りません。
ツアー旅行ならともかく、個人で中国を
旅行すると、それは凄いトイレ体験が
出来ますが、それがまた、(私のように)
後でよい思い出に成る場合もあります。
とにかくトイレ体験なくして、中国を
旅行したとは言えないことは確かです。
あと中国と言えば水餃子、中国人は
ほとんど焼き餃子は食べませんし、
にんにくもほとんど入れませんし、
ラー油もつけません。
日本で良く見かけそうな看板「本場中国の餃子」と
言うのは、いったいどこの中国なんでしょうか。
それにしてもこの映画、1時間半の中で
食べるシーンが3回も出てきて、しかも
どれも登場する人物たちの関係をあらわす重要な
シーンに成っているのは、さすが食べることが
最大の生きがいである中国人ならではです。
とにかく良い映画でした。
- 『ふたりの男とひとりの女』
あの『メリーに首ったけ』のファレリー兄弟が
作った映画とくれば、見に行かないわけには
いきません。
チャップリンのような古典的名作を除けば、
私の中でのコメディー映画ベスト3は、
パトリス・ルコント監督の『タンゴ』、
パトリシア・アークェットの身も心もたるみっぱなしの『アメリカの悲劇』、
それと『メリー〜』なのです。
しかもジム・キャリーが2重人格の役で出ると
いうのは、そうとう興味が有ります。
映画の内容は、相変わらずのシモネタ、
差別ネタのオンパレード。
しかもジム・キャリーもノリノリの演技。
おまけに相変わらず、一件まともそうな奴に
限って、とてつもなく変。
まったく予想通りの展開です。
確かに大笑いできたのですが、
しかしどうも『メリー〜』と比べると、
いまいちノリが悪いのです。
多分、ただでさえ面白すぎるジムの芸
(彼の場合は演技とは言わないでしょう)と、
ファレリー兄弟の個性がぶつかっているのと、
これだけアクの強いキャラクター
(三人息子とか)がそろっているのに、
それを使いきっていないとか、
色々原因は有るのでしょう。
ファレリー兄弟の次回作に期待したいです。
- 『ペイ・フォワード』
どうも私は坊さんのくせに、「一日一善」とか
「小さな親切」とか「ボランティア」とかいう言葉には、
うさん臭さを感じてしまうのです。
(それに安易にこのようなことを宣伝すると、
安直なヒーロー願望に繋がってしまう危険性も
ありますし。)
そんなわけで、「良いことを3つしましょう」というような
本映画も、私の苦手な分野かと思いましたが、
そこはそれ、私の大好きな『ピース・メーカ』や
『ディープ・インパクト』
(あとテレビ・シリーズの『L.A.Law 七人の弁護士』も
良かったです)のミミ・レダー監督、
なかなか一筋縄で行くはずがありません。
きれいな話に成ると思いきや、なかなかどろどろとした
人間くさいドラマになっています。
とくにラストのシーンは(明らかに『フィールド・オブ・
ドリ−ムス』のラストと同じなんですが)
おもわず泣いてしまいました。
それにしてもヘレン・ハントがこんな
おばさんの母親の役が似合うなんて。
ケビン・スペイシーも凄いし、『シックス・センス』の
ハーレイ・ジョエル・オスメントも良く頑張っていますが、
私は個人的には、今まで役者としてはひどい出来だった
ミュージシャンのジョン・ボン・ジョビが、
アル中の父親役でなかなか好演しています。
ところでこの音楽、どっかで聞いたことが有るような
気がしたら、『アメリカン・ビューティ』と同じ
トーマス・ニューマンなんですね。
この人は他に、私の大好きな『ショーシャンクの空に』や
『グリーン・マイル』も作曲しています。
ところで元題は「pay it forward」なんです。
まあ pay は他動詞なんで、やはり it は必要なんで
しょうねえ。
良く「日本人は文法中心の英語を勉強するので
会話が苦手だ」という意見が有りますが、
知り合いの外国人教師の意見では「日本人は会話も
苦手だが、文法はむちゃくちゃだ」というものです。
つまり、どちらも駄目なんです。
(また、英単語丸暗記の受験英語も批判の対象ですが、
彼の意見では、英単語を山ほど知っていれば、
会話は何とか成るそうです。)
でまあ日本人が文法が苦手な理由として、
映画の題名のようなものでも、
でたらめな英語が使われている
せいではないでしょうか。
特に冠詞はひどいもので、ほとんどの映画の
題名で冠詞が省かれるので、
これでは日本人に正しい冠詞が身に付く
はずがありません。
(私も冠詞が最大に苦手です。)
これほど我々は間違った英語に囲まれて
暮らしているので、正しい英語が身に付くはずが
ありません。
なんとか成らないのでしょうか?
(ねえ、映画会社の人。)
- 『ホテル・スプレンディット』
アイルランドの孤島に建つホテル・スプレンディッド。
かつては豪勢だったであろうこのホテルにいる、
奇妙な従業員一族と、奇妙な保養目的の宿泊客。
そこにある日、一人の女性がやってくることから、
この奇妙なホテルを維持していた
微妙なバランスが狂い始める話です。
とにかく(私の大好きな『デリカテッセン』のような)
独特の感覚に満ちた映画です。
監督は長編第1作となるテレンス・グロス監督。
この人、(私の大好きな)テリー・ギリアム監督の
ファンで、(これまた私の大好きな)『未来世紀ブラジル』や、
『モンティー・パイソン・シリーズ』が
大好きということなんですが、
良く分かります。
ま、とにかくブラックです。
ブラックな映画が好きな人はどうぞ。
- 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
カンヌ映画祭でパルム・ドール(グランプリ)と
最優秀女優賞を取った映画で、
私は涙涙の大感動で、最後の音楽と
映像の一体となった演出は素晴らしかったです。
少なくとも、去年のカンヌでパルム・ドールに
なった「ロゼッタ」よりは、よっぽど
はっきりした受賞だと思います。
オスギさんは「ダンサー〜」が嫌いだと言ってました。
私にはこの映画が良い映画か悪い映画かは
分かりませんが、とにかくものすごい手応えが
有る映画で、凄く厚みの有る映画です。
オスギさんのおすすめの「リトル・ダンサー」なんかと
比べても、良い悪いではなく、持っている
エネルギーが桁違いな感じがします。
(でも私は「リトル〜」もとっても好きな映画ですよ。)
このようなエネルギーの有る映画は、
あーだこーだと理屈を言わず、とにかく
とりあえず見るべきだと思います。
必ず心に深く残るもの(それが良かれ悪しかれ)が
有るからです。
内容は、アメリカの貧乏な移民が、
すべてを失い、不幸に陥るのですが、
その中に本当の光は有るか、という内容です。
(監督のメッセージでラストは書いてはいけない
ことになっているのですが、これくらいは
良いのかなあ。)
まあアメリカと言う国は、
金持ちにはとことん優しく、
貧乏人にはとことん冷たいということが
徹底している国です。
本質的にヨーロッパを追い出されて移民してきた
人々が、ネイティブ・アメリカンや先に来ていた移民とも
抗争(だから初期の頃のアメリカの都市は、
他の植民地とは異なり
あんなに離れて作られました)して、作った国なので、
もともとが弱肉強食の国で、基本的に自分で
自分のことを守れない本作の主人公のような人は、
生きにくい国なのです。
だからこの映画も、いかにもアメリカには有りそうな話です。
かつて戦後にイタリアのネオ・リアリズムが
はやった頃(と言っても、その頃はもちろん
私は生きていませんが)に、ビットリオ・デ・シーカ監督の
「自転車泥棒」なんて、本当に人間をどん底に
落として、何ともやりきれない最後ですが、
あの時の感情を思い出しました。
とにかくこの映画、不幸な物語なのですが、
それとは別に、この映画を何らかの救いの有る
映画にしているのは、ストーリの悲劇性とは
まったく異なる次元で、音楽の持つ力を
実に如実に語っているのです。
映画の中で、「何でミュージカルって、いきなり
歌いだすの。普通の人間はそんなこと
しないのに。」という台詞が有る
(しかし、実は我が家では父親が食事を作るとき、
しょっちゅう意味のないデタラメの歌を歌っていたので、
私もその癖が有り、結婚したはじめの頃は妻に変人扱い
されていました。
ちなみに父も私もカラオケはしません)のですが、
しかしその答えは、この映画の中に有るのです。
この映画のすばらしいメッセージは、
「人間はなぜリズムが必要なのか」
「人間はなぜ歌が必要なのか」
「人間はなぜダンスが必要なのか」
そして「人間はなぜ音楽が必要なのか」、
こういったことに、これほどストレートに
解答を出した映画はないでしょう。
この音楽のパワーは、すべて主人公を演じた
ビョーク(という名のミュージシャンなんですが)の
才能の賜物です。
もちろんカンヌ映画祭でグランプリになった「奇跡の海」が
素晴らしかったデンマーク出身のラース・フォン・
トリアー監督の力量も有るのでしょうが、
本作に限れば、とにかく「ビョークによる
ビョークのためのビョークの映画」であることに
異論が有る人はいないでしょう。
ところでこの映画では、カトリーヌ・ド・ヌーブが
出ているので、つい彼女の出世作の
(私の大好きな)「シェルブールの雨傘」と
比べてしまいます。
どちらも現実に有りそうな、どちらかというと
それまでのミュージカルでは扱わなかった
題材を描いています。
しかし「シェルブール〜」は、まったくの作り物の世界に
あえてして、本当の寓話にしています。
だいたいが台詞がすべて歌だなんて、
それまで有りそうでなかった、
本当に独創的なミュージカルで、私は大好きです。
しかし「ダンサー〜」は、これがまったく
ドキュメンタリーの世界なのです。
それなのにその中でビョークの音楽が
いったんかかると、そこには完全な
架空のビョークの世界が広がる、
完璧なミュージカルなのです。
さらに興味深いのは、ミュージカルの中の
ミュージカルである(私は親につれられて、
小学校のときに
何回も映画館で見ました)「サウンド・オブ・
ミュージック」の音楽が、実に効果的に使われて
いるのですが、本来は絵空事であるはずの
「サウンド〜」の音楽が、この映画では
現実の世界の中で、あえて使われているのです。
だからこそ、またビョークの人間離れした
音楽が、実に効果的に響きます。
とにかく、今一番お勧めの映画です。
- 『クリムゾン・リバー』
リュック・ベッソン監督の映画で有名なジョン・レノと、
私は個人的に(そのハチャメチャが)大好きな
ヤン・クーネン監督の「ドーベルマン」や
「エリザベス」のヴァンサン・カッセル(ヴァンサンなんて
変な名前だと思っていたら、英語名ヴィンセントの
フランス語読みだった)が主人公の刑事役なので、
ハチャメチャな映画だと思って見に行ったら、
これが意外にも実にしっかりした作りの映画でして、
本当に最後まではらはらどきどき、
実に面白い映画でした。
監督のマチュー・カソーヴィッツは前作の
「アサシン(ズ)」がイマイチのストーリだったので、
本作も心配したのですが、やっぱ原作本が
フランスで大ベストセラーになった
ジャン=クリストフ・グランジェ
原作(脚本も)のサスペンスだけに、
とにかくストーリが良いのでしょうネエ。
話は猟奇殺人と20年前の交通事故にまつわる話。
主役の二人が派手なキャラクターにもかかわらず、
話は実に地味に、謎解きに集中して展開します。
それが後半はとにかくテンションが上がり、
最後の謎解きとラストのアクション・シーンは見事です。
とにかくまあ、実にスッキリさせてくれるのですが、
このスッキリ感は「カル」に見習って欲しいです。
まあ最近の「ザ・ウォッチャー」よりは、
はるかに面白いですので、こちらの方が
とにかくお勧めです。
しかしまあ、なお死体にこめられたメッセージ等、
細かい謎解きは、
やはり映画の2時間で語るのは難しい
(原作は500ページもあるそうです)のか、
そこはカットされています(それでも十分
面白い)が、原作本にはもっと詳しく
書かれているそうです。
- 『サイレンス』
イランの映画監督が、旧ソ連領のタジキスタンで
撮影した映画。
目が見えない少年と、彼を取り巻く音を、
実に繊細に描いています。
この映画で興味深いので、旧ソ連から中国に
かけて住んでいる少数民族の音楽が
たっぷり聞けることです。
もっとも映画の編集の機械の事情は
良くないらしく、音と映像がしばしば
同期していないのですが、
それは愛嬌というものです。
私はタジキスタンには行ったことは有りませんが、
その隣の中国新彊ウイグル自治区には4回ほど
行ったので、とっても懐かしいです。
新彊自治区はウイグル族が多く、タジキスタンの
タジク族とは民族は異なりますが、どちらも
トルコ系少数民族で地理的にも近い
(と言っても、大陸的規模で近いので、
日本の感覚では、物凄く遠いのですが)
ので、いろいろ共通点も多いです。
とくに楽器はほとんど同じで、まるで
この映画、新彊で撮影されているのかのような錯覚に
落ちました。
新彊に行くと、本当にそこらじゅうで
人々は普段から、いきなり普通に歌って踊っています。
ちなみに映画に出てきた弦楽器とほぼ同じものは、
(土産用の縮尺楽器も含めれば)全種類
私は持っています。
ほとんどの楽器の演奏シーンは、楽器屋に頼んで、
1つずつビデオで撮影させてもらいました。
さて、このような楽器を外国で買うときは、
楽器よりもケースを探しましょう。
映画の中でもそうでしたが、
現地の人はあまり楽器ケースを使いませんので、
実際にケースを買うのは大変なのです。
それでケース無しで日本まで持って帰ると、
たいてい壊れているのです。
ですから楽器を買いたかったら、必ず先にケースを
探しましょう。
- 『ヤンヤン、夏の想い出』
はじめに言っておきますと、私はこの映画の題名は
あまり良くないと思っています。もっとも、元の題名の
「a one & a two」も、良く分かりませんが。
エドワード・ヤン監督の台湾映画、
しかも3時間と長く、そのうえ1シーン1ショットの
長回しとくれば、苦手と思う人もいるかもしれません。
じっさい映画は、ヤンヤンという少年の
回りにいるいろいろな人のいろんな話が
並列で進む(それでもあえて言えば、
やはりこの題名は良くないです)と言う作りで、
しかもやけに話は淡々と進むのですが、
それがチャンと目が離せないように
なっているのです。
なかなか最後まで気が気ではなかったです。
また、日本のチョット古びたホテルの具合が
実に良いのですが、こう言った所も、随所に監督の
センスが光ります。
ところで、この映画のように
1シーンを1ショット、つまり細かく
フィルムをつながずに、1つの場面は
カメラを回しっぱなしにして、その間を
編集しないという手法は、
日本の小津安二郎が有名ですが、
この映画はその手法を使いながらも
教条主義には至っていません。
たとえば自動車の中の会話のシ−ンは
こまかくカット割りされています。
その他、写真は小津監督の映画では
必ず不孝の予告になっているのですが、
この映画でも
(台湾のホー・シャンシエ監督も
真似していました)そうで、
その他にも、随所に小津監督のオマージュが
見られます。
- 『僕の国、パパの国』
イギリスで暮らす父親がパキスタン人で母親が
イギリス人の一家の文化摩擦騒動を、
ユーモラスに描いた映画。
まあ、お決まりの食事の禁忌、イスラム教の祈り等など、
さまざまな騒動が予想通り展開するわけですが、
ラストはなかなか強烈なユーモアで、
私はそうとう笑いました。
この監督はラストのギャグでも曲者なんですが、
この映画全体が一筋縄では行かないように出来ています。
- 『三文役者』
新藤兼人監督が、新藤監督の過去の映画で名脇役だった
殿山泰三の半生を描いた伝記映画。
殿山役が竹中直人で、これがなかなかの名演技でした。
また乙羽信子が時代の証言役で出ていて、
これもまた、なかなか興味深かった。
また懐かしい過去の映画のシーンも出ていて、
戦後のミニ映画史のようでもある。
始まりのシーンを、新藤監督が世界的に知られるようなる
キッカケとなった「裸の島」(主演が殿山)を
持ってくるなど、この映画には「裸の島」などの
新藤監督の過去の映画が、重要なモチーフになっています。
(ただ私の個人的な感想では、「裸の島」の乙羽信子は
貧乏な瀬戸内海の小島の農民と言うには、
あまりにも立ち振舞いが色気が有りすぎて、
違和感が有りましたが。)
音楽も「三文役者」は「裸の島」と同じ作曲者の
林光さんなのですが、メロディーも「裸の島」の重厚な
音楽を滑稽に早まわしした音楽に、なっていまして、
そこも「裸の島」を意識しているようです。
- 『ザ・ウォッチャー』
キアヌ・リーブス、ジェームス・スペイダー主演の
サイコ・サスペンスなんですが、
いまいち怖くない。
その分をアクションで補っているのですが、
アクション映画としてもサイコ映画としても、
中途半端な出来と成っています。
やはり原因はキアヌがそれほど怖くない
のが悪いと思います。
私の持論では、男優は悪役でこそ
その実力が分かる
(「ダイ・ハード3」のジェレミー・アイアンズ、
「コーン・エアー」のジョン・マルコビッチ等)と
思うのですが、そう言った意味では、
キアヌの将来が不安です。
- 『ハムレット』
イーサン・ホーク主演で現代劇になったハムレットです。
なかなか重みの有る映像は見応えが有りました。
とくにオフィーリアの死の場面は、なかなか良く
考えていると思います。
私はこういった映画は好きです。
ただ現代の話としては、ちょっと人が死にすぎるのでは、
と思います。
この会社がマフィアがらみのやばい会社なら
分かりますが、私には普通の会社に見えますが。
それが、なんぼ大会社の元会長の息子(ハムレットの事です)とはいえ、
人を殺すのはやばいでしょう。
それに、なにもローゼンクランツとギルデンスターンまで
殺す必要はないのではないでしょうか。
それと、そんなに大事な秘密資料なら、
今ならコンピュータで暗号化するだろうに。
そういえば、久しぶりのカイル・マクラクレンが
出ていました。
以下は1月に見た映画です
- 『アヴァロン』
『攻殻機動隊』の押井守監督の実写SF映画。
現代の世の中、これだけCGの技術が発達した世の中では、
何でもCGで作れるような気がしますが、
その中でも真にオリジナルな映像って、かえって少ないのでは
ないだろうか?
やはり人間の想像力には限界が有る。
かつてキューブリックが『2001年、宇宙の旅』で、
人間が想像したことがない神をデザインしようとしたけど、
結局「人間が想像できないものは想像できない」ということで、
出来なかったようなものである。
だからギーガーは「エイリアン」のイメージとして、
ドグロとか人間が不快に感じる物(それらは、既に人間が想像できるのです)を
組み合わせて、あのイメージを作ったのは有名な話しである。
最近だけ考えてみても、大抵のCG映画は、ほとんど
どこかで見たことがある映像ばかりです。
ピーター・グリーナウェイなんかは、
ハイビジョン技術を駆使して『プロスペローの本』とか
『枕の草紙』とか、真にオリジナルで画期的映像を見せてはくれるけど、
非常に分かりにくいものとなっている。
そういった事を考えると、本作の映像の
オリジナリティーは驚嘆に値します。
また音楽も素晴らしい。
特にラストは本当に良かったです。
これこそは家の小さなテレビで見るのはもったいなく、
映画館のかぶりつきで見るべき映画です。
また実写部分の撮影を担当しているポーランド映画人の
頑張りも素晴らしいです。
俳優、衣装、撮影スタッフ、オーケストラ、どれも
素晴らしいレベルです。
ところで内容は、最近はやりのサイバー・パンク映画で、
こういった映画の中では、やはり『マトリックス』が
群を抜いて面白いと思うのですが、
本作もそれに負けていないだけの力が有ると思います。
- 『レンブラントへの贈り物』
レンブラントの伝記映画。
外国旅行のおりに、美術館に行って感じることは、とにかく量が凄いことです。
特にレンブラントやルーベンスなどのように、
美術の教科書に出てくるような人は、
それこそいくつもいくつもの部屋があり、
そこに巨大な絵が有るのです。
だからレンブラントは、量や質が、他の画家を圧倒していて、
物凄い充実ぶりだから、さぞやその人生も幸福だったろうなと
想像していたのですが、
まさか彼が、ゴッホのような破滅型の人生だったとは
思いませんでした。
彼の才能は、自由なアムステルダムと言う都市にやってきて、
才能が発揮されたのだと思うのですが、
自由ということは破滅する自由もあると言うことです。
まあ時代は異なりますが、モーツアルトが貴族から
自由になるためにウィーンやってきて、
破滅したような物です。
ただレンブラントが他の芸術家と異なる所は、
妻(愛人)に恵まれた、と言うことでしょう。
それが本作の題名の『レンブラントへの贈り物』の
意味なんです。
(でも妻は、たまりませんよねえ。)
- 新藤兼人リスペクト『裸の島』
新藤兼人監督の1960年の映画。
音羽信子、殿山泰司出演。
ただセルフもなく、黙々と瀬戸内海の島で働く夫婦を描いた映画ですが、
なかなか説得力の有る映像で、興味深かった。
新藤監督って、昔はこんな映画を撮っていたのですねえ。
- 『13デイズ』
キューバ危機と言う、アメリカとソビエトが戦争に成りそうに成ったことが
かつて有るのですが、それをいかに当時のケネディー大統領が
回避したかを描いた作品。
とにかくこの映画、物凄く映像に厚みが有って、当時の時代の感じが
実に良く出ているのです。
こういった厚みこそが映画の醍醐味です。
ケビン・コスナーも、ここのところ出演作に恵まれず、
***と言う映画では最低映画賞(ストロベリー賞)までもらってしまって、
もう駄目かと思っていたのですが、
何か久しぶりに彼の力量をふんだんに発揮する映画、と言う感じです。
とにかく実に映画らしい映画で、私はこういった映画は好きです。
それにしてもあれから38年。
ケネディーは暗殺され、
アメリカはベトナムで負け、
ソビエトは崩壊し跡形もなく消え去ったのに、
キューバのカストロ首相はいまだに生きているし、
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は大ヒットするし。
本当に時代の変化は分かりませんね。
- 『僕たちのアナ・バナナ』
あの『ファイト・クラブ』のエドワート・ノートンの
初監督作品なのですが、
今まで彼は『ラリー・フリント』『ラウンダーズ』
『アメリカン・ヒストリーX』と、どちらかと言うと
まともじゃない役が多くって、『世界中がアイ・ラブ・ユー』などの
まともな役は例外でした。
(まあ『ラリー・フリント』の時には、何となくたよりない
感じで、彼に弁護士が出来るのだろうか、という感じだったのが、
『アメリカン・ヒストリーX』では実に堂々としたものでした。)
それが本作では、意外や意外、実にまともな映画で、実にまともな
役を、自分で監督しているのです。
内容は、友情と恋と宗教は両立できるか、と言った内容の
軽いコメディーなのですが、これが実に良い出来でした。
最後まで良いタイミングで進んで行くのですが、
特に最後のキメは見事でして、彼の監督としての
才能を感じます。
また競演の『メリーに首ったけ』のベン。スティラーも
良い味を出していますが、特筆すべきは主演のアナ・バナナ役を
やっているジェナ・エルフマンで、彼女はこれから
伸びるのではないかと思います。
また禁断の恋の映画につきもののアン・バンクロフトも
健在ですねえ。
それと『アマデウス』の監督のミロシュ・フォアマンが
俳優として出ていました。
ところで気になった点が2つ。
一つはユダヤ教のラビの事を「ラバイ」と言ってましたが、
それは「イタリアン」を「アイタリアン」と訛るアメリカ人の
癖なのでしょうか?
もう一つは、カソリックの牧師は結婚できない、という問題です。
私の知り合いの人も、アメリカで牧師をやっていたのですが、
結婚するために牧師を辞めた人がいます。
そんなわけで映画『プリースト』のように、西欧諸国では同性愛者が牧師になる
ケースが増えているらしいのです。
でも本当は「ソドムとゴモラ」の話のように、同性愛も
禁止されていると思うのですが。
ところで、私がドイツに行ったとき向こうの宗教関係者に
聞いたところでは、ドイツのカソリックの牧師には、
しばしば本当は公に出来ないけど公になっている牧師の妻や子供や、
彼らのための学校までもが有るらしいのです。
アメリカの方が厳しいのでしょうか。
- 『ダイナソー』
ディズニーのCGを用いた恐竜映画。
まあなかなかビジュアルは良かったけど、
感動はチョットだけでした。
- 『ノー・フューチャー』
元祖パンク・ロックバンド、セックス・ピストルズの
ドキュメンタリー映画。
70年代のイギリスの息詰まった雰囲気が
良くでています。
70年代、イギリスはもう崩壊寸前で、サッチャーが
立て直すまでは、つぶれる一歩手前まで行っていたのです。
しかもヨーロッパと言うのは日本と違い、
今でも階級社会が明白に残り、貧富の差と言うのが
日本よりももっとはっきりと出る国ですから、
労働者階級の不満と言うのは凄いものがあり、
あちこちで暴動があり、それは凄いことに成っていたのが分かります。
本来ロックと言うのは、こういった行き場の無いモヤモヤから
出てきたもののはずなんですが、
私の持論では、ついに日本には本物のロックは入ってきませんでした。
原因は、まだ日本は70年代のイギリスほどは矛盾が爆発する
所までは行っていないのじゃないかと思います。
パンク・ロックに関してはもっと悲惨で、
結局日本やアメリカには、パンクはファッションでしか
ないのです。
だって、パンフレット見て、パンクを解説している人達と言うのは、
ファッションの事しか言いませんからね。
その当りはセックス・ピストルズも良く分かっていて、
活動して2年目にはもう、ファッションだけのパンクが
パンクを殺すと、ちゃんと映画の中で言っているのは、
興味深いです。
また、アメリカにもパンクは正しく伝わらなかったから、
セックス・ピストルズのアメリカ・ツアーの時の
メンバーの戸惑いが、興味深かったです。
それにしても、この映画で随分とセックス・ピストルズに対する見方が
変わりました。
私も他のロック・ファン同様、彼らは麻薬と暴力の象徴と
思っていたのですが、それはやはりシド・ビシャスばかりが
注目されて、そう見られていたのですね。
素顔の彼らは、意外にもまともなロック・バンド
(それにしても下手くそだけどね)でして、だからこそ
いまだにバンド活動している(良く知らないけど4年前イギリスに
行った時、テレビで彼らのコンサートの宣伝をやっていた)らしいのです。
まあ「ノー。フューチャー」と言っておきながら、
いまだに(シド以外は)生きていると言うのも
変な感じですが...
- 『パリの確率』
フランスの映画監督クラピッシュの最新作。
この監督、一見普通の映画を撮るのですが、
なかなか味のある映画を作って、油断なりません。
本作も一見近未来SFかな、っと思うのですが、
なかなかどうして、ハリウッド映画のようなSFでは
無いのです。
はっきり言って雑なSFで、ストーリもそれこそメチャクチャ。
なのに最後に残る手ごたえと言いましょうか、リアルな感じはなんなのでしょうか。
これこそが、この監督の持ち味としか言えません。
ちなみに他のクラピッシュの映画は、
『百貨店大百科』はつぶれかけた百貨店を助けるために、
ある男が来るのですが、日本だったら伊丹監督の『スーパーの女』のように、
店員が一致団結して百貨店を救う話になるのでしょうが、
そこはそれ、超個人主義のフランス人、いったいどうなるのでしょうか。
『猫が行方不明』は、猫が行方不明になって、
それを探す話なのですが、これもなかなか手ごわい映画です。
- 『恋の骨折り損』
ケネス・ブラナー出演・監督のシェークスピア物。
まあしかし、私としてはケネスのシェークスピア物と言うのは、
はっきり言ってチョッとウンザリ、という気持ちだったのです。
まあ、もともとシェークスピア舞台俳優として有名だったケネスが、
『ヘンリー5世』をやるのはもっともな話なのですが、
何しろ舞台と同じテンションでエマ・トンプソンと映画上でやり合うものだから、
そのうるさいことうるさいこと。
本当に喋りすぎの二人です。
私としては、『から騒ぎ』などは、なかなか良い味出していて、
「おっ、やれば出来るじゃん!」と思っていたのもつかのま、
またまた『ハムレット』では喋りすぎ。
とにかくブラナーのシェークスピアは舞台では良いのだろうけれども、
それを映画に持ってくると、おもいっきり五月蝿いのです。
しかし今回は、これまたおもいっきり変化球で来ました。
なんとシェークスピアでミュージカルなのです。
使われている曲は『チーク・トゥー・チーク』などの
スタンダードばかりなのですが、
それを吹き替え無しで歌って踊って、心から楽しめました。
そして、ラスト・シーンには、不覚にも泣けました。
これは見事です。
- 『サン・ピエールの命』
私の大好きなパトリス・ルコント監督の新作映画。
この監督は、恋愛映画とそうでない映画を交互に作り、
前作は恋愛映画の『橋の上の娘』だったので、
今回は歴史大作です。
全く期待通りの素晴らしい映画でした。
主演は前作と同じダニエル・オトゥーイユと、
以外にもルコント映画は初登場のジュリエット・ビノーシュ、
それと私の大好きな『アンダーグラウンド』で監督として
2度もカンヌ映画祭でパルムドール(グランプリの事)を
受賞したエミール・クストリッツァが、
何と死刑囚の役で出ていまして、
これが実に良い味を出しています。
ストーリは19世紀のサン・ピエール島で、死刑囚とその周りで
運命に翻弄される人々を描いているのですが、
実に骨太な登場人物たちに、見ている方が圧倒されます。
そして実に撮影が綺麗です。
本当にルコントは何を題材に撮影しても上手です。
- 『グリンチ』
ジム・キャリー主演の新作映画。
「グリンチ」と言うのは、本やアニメでアメリカでは有名なチャラクター
らしいのですが、それをジム・キャリーが実写で挑戦したのです。
それにしてもあの顔、てっきりメーキャップ(完成まで何時間も
かかるそうです)の威力かと思いきや、
ジム・キャリーが来日したとき素顔で「グリンチ」の真似を
していましたが、メーキャップ無しでもそっくりなのです。
いかにジム・キャリーが凄いか、分かりました。
ロン・ハワードは、すべてこの架空の世界を、
実に丹念に再現していると思います。
ただ難点を言えば、そこにロン・ハワード的世界が無いのです。
例えば『シザース・ハンド』には徹底的にティム・バートン的世界が
満載されていています。彼は『バットマン』のような
定番アニメを作っても、徹底的に彼的世界を貫徹しているわけで、
だからこそ彼は個性的なのです。
しかしこの映画、不覚にも最後は泣いてしまった。
- 『レッド・プラネット』
未来、火星に住むしか助かる道がなくなった人類が、
火星改造計画を行なうのだが、その計画の途中、火星に向かった
探査隊の運命を描いた映画。
まあまあの出来の映画ですが、ちょっとずつ中途半端な
ところが有って、不満の残る出来です。
例えば船長の名前がボーマンで、機械が人間を襲い、
細長く回転して重力を作る宇宙船で、進学論争が出てくれば、
どうしたって『2001年宇宙の旅』と比べてしまいますが、
とても『2001〜』の足元にも及びません。
まあ『2001〜』と比べるのはチョット可哀想なのですが、
最近のSF映画の『ピッチ・ブラック』と比べても、
人間ドラマとしても、ホラーとしても、
SFのイマジネーションも、すべてに『ピッチ〜』の方が
上です。
それに俳優のバル・キルマーは、私には印象が薄く、
ちっとも良い俳優に思えない。
救いは『マトリックス』のキャリー=アン・モスですが、
彼女も『マトリックス』ほどは輝いていません。
- 『シックスティー・ナイン、6SIXTY NINE9』
これは何と、タイの映画です。
しかも物凄くブラックで、とっても良かったです。
こんな映画を見ていると、つくづくアジアも変わりつつあるんだなあ、
と思います。
ストーリは会社を首になった美人OL。
そこへ次々を奇妙な人々が表れるのですが、
どうしたわけか、皆、死体になって行くのです。
とにかくストーリは荒唐無稽なのですが、それを納得させるだけの
力がこの映画にはあります。
特に主演の女優は、タイでは有名な人らしいですが、
あえて彼女の力量でこういう汚れ役に挑戦して、
それが見事に上手く言ったのです。
(昔、某有名日本人女優が『Wの悲劇』で汚れ役に挑戦して、
物凄く良かったのを憶えています。)
とにかく面白かったです。
- 『初恋のきた道』
本当に素晴らしいチャン・イーモウ監督の映画でした。
この監督、コン・リーとのコンビで『紅いコーリャン』
(物凄くお勧めな映画)以来、『菊豆(チュイトウ)』
『紅夢』『上海ルージュ』と、
まあ言ってみれば同じような映画が続いて、マンネリかなあ、
と思っていたのです。
たぶん監督自信もそう思ったのか、スパッとコン・リーとは決別しまして、
『あの子を探して』では全く異なる感動を見せてくれる辺り、
本当に凄い監督ですね。
それで次に、どんな映画を見せてくれるか期待していたら、
本作も全く素晴らしい映画だったです。
話は中国の貧しい村、時は文花大革命の頃。
その頃の恋愛物語なんですが、
これが本当に初々しくて良かったです。
もうとにかく、彼女の一途さに泣けた泣けた。
これはとにかく、まだ若い女優のチャン・ツィイーの
魅力を発掘した監督の力量の勝利でしょう。
まあとにかく理屈を言う前に、彼女の顔がアップになるだけで、
ドキドキしてしまうのです。
彼女は既に、アン・リー監督の『グリーン・デスティニー』で
メジャー・デビューしていますが、
両物は全く異なる映画でして、彼女の役も全く異なる役で、
両方とも完璧に演じているのは、たいしたものです、。
もともとチャン監督は撮影監督出身で(しかも俳優で
『テラコッタ・ウォーリアーズ』のような際物映画で
主演もしている才人です)、その撮影の素晴らしさは
チェン・カイコー監督の『黄色い大地』や
『大閲兵』(それにしても、こんな単なる中国国策映画も、
名監督の手にかかると、こんな名作になるのですねえ)で立証ずみ。
だからこの監督は、何を撮影しても実に上手に撮影するのですが、
その監督が中国の美しい風景を背景に、
とっても初々しいチャン・ツィイーを撮影するのですから、
素晴らしくならない分けが有りません。
その美しさ、本当にいつまでも見ていたかったです。
- 『キャラバン』
標高4000m以上での完全ロケ。
それを聞いただけで、後はなんの説明もいりませんが、
それではあまりにも短いので、もうちょっと書きます。
ネパールの大自然を背景に、そこで暮らす貧しい村の交易の
様子を描いている映画なんですが、
とにかく圧倒的な自然の姿を見ているだけで良い。
監督のエリック・ヴァリは、長いことネパールで
ドキュメントを撮影していて、
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』のユニット・ディレクターも
やった人なんですが、この撮影は、とにかく凄いです。
それに、ストーリも非常にしっかりしていまして、内容も良いです。
最後に、これってフランス映画なんですが...
- 『8 1/2 の女たち』
ピータ・グリーンナウェイも、ここのところNHKのハイビジョンを
駆使した映画に取り付かれて、『ペロスペローの本』
『ベィビー・オブ・マコン』『枕の草紙』何かを
撮影してきましたが、
この路線にはファンとしてははっきり言って飽きてきたところだったのです。
この作品は、親子が対照的に並んでいるところなんかは『ZOO』的な
世界で、また昔の風合いに戻って嬉しいですが、
私としてはチョッと退屈しました。
また『コックと泥棒、その妻と愛人』のような映画が見たいです。
- 『宮廷料理人ヴァテール』
あの名作『キリング・フィールド』やカンヌで賞を取った『ミッション』の
ローランド・ジョフィが、ルイ14世の時代の絢爛豪華な宴会を
再現した映画。
宴会シーンは、なかなか見ごたえ有ります。