|
1. 中国のバスケットについて 中国のバスケットについて ―姚 明(ヤオミン)を中心に 法学部現代社会法学科1年 鈴木健太 1.
ヤオについて 中国のバスケットについて調べてみました。中国のバスケットといえば。まずヤオミンが頭にうかびます。 姚 明(よう めい、ヤオ・ミン、Yao Ming、1980年9月12日- )は、中国のバスケットボール選手。上海生まれ。彼は現在NBAのヒューストン・ロケッツのセンター・プレイヤーである。背番号は11番。2007年現在、NBAで最も身長が高い選手である。 スポンサー Reebok 前Nike 今シーズンは平均25,5点 9,2リバウンドと大黒柱トレイシーマグレイディとともにロケッツを引っ張っている。 2002年のドラフトでロケッツに1位指名。その年は現サンズのアマレスタウドマイヤーや現ジャズのカルロスブーザーなどすばらしい選手がたくさんいる中での1位指名だった。ドラフト直前2位指名だったブルズのJウィリアムズが1位になるかもしれないとESPNの報道陣が伝えていた。それにはわけがあった。ヤオは中国人なのでNBAでプレイするには中国の許可が必要だった。ロケッツがヤオを指名したくてもなかなか許可が中国側から降りない。そこでロケッツ側は当時NCAAでスターであり実力も抜群なJウィリアムズを指名することを考えた。しかしロケッツはPGのポジションより手薄なCのポジションを補強したかったはずだ。4位でされたグッデンも上手さ、パワーもあるが上背がたりない。9位で指名されたアマレスタウドマイヤー、2順目6位で指名されたカルロスブーザーは今となってはオールスターに出場したりチームの核になっている選手だが、当時はまだそれほど評価されていなかった。アマレは高校生だった。成績はすばらしかったがそれも高校でのこと。しかし、いざ入ってみるとパワーで負けたりはしなかった。アウトサイドのシュート、とくにプリミターという台形より少し離れたところからのシュートはひどかった。しかしそのシーズンのプレイオフ、強豪スパーズとの試合を見ていた私はすごく驚いた。アマレはスパーズのエース、ティムダンカンとマッチアップをしていた。はじめ私はアマレがダンカンを抑えきれないだろうと思っていた。しかしダンカンのシュートをことごとく叩き落としておまけに、ダンカンの頭の上から豪快にダンクを決めたのだ。もしドラフトをやり直すなら、アマレはヤオと同等の評価を得るだろう。しかし当時は評価が低かったのでロケッツ側も指名を考えなかった。ドラフトの指名の時間が刻一刻と迫る中ロケッツ側は1順目1位のドラフト権を他チームとのトレードに出し変わりに、若手のCを獲得することも考えた。そしてGMと当時のHコーチであったルディトムジャノビッチはトレードの話を進め半場決まりかかったときについに、中国側から条件付でヤオのNBAいりを認めるとの許可が降りた。それは国際大会の時にNBAより中国の国際チームを優先させること、給料のほとんどを、中国政府と当時所属していた上海シャークスに支払うことであった。今はもうそんなことないと思いますが。ロケッツはすぐにヤオを指名した。これでアジアから3人目のNBA選手が誕生した。アジア最初のプレイヤー王治郅はあまり成功しなかった。ヤオは、体の線は細いけど、身長と柔らかいシュートを持っているからNBAで成功したのだと思う。ここ最近ではプレイのパターンが増えてきて、ステップのほかにジャンプフックなど、持ち前の柔らかいプレイに磨きがかかってきたと思う。 2.
中国のバスケット事情 中国では長年、「スポーツ=スポーツ選手のもの」だった。もちろん例外はあったが、もともとは主に、幼少時からエリート教育を受け、オリンピックなどの国際大会で国の名誉のために競技をしたスポーツ選手の活動だった。それがどうでしょう。最近の経済の発展にともない、アマチュアスポーツ、娯楽としてのスポーツが広く普及してきている。これは社会の大きな変化であり、「スポーツのある風景」からは、いままで日本に多く伝わっていた「経済」「政治」「歴史」などの話題からはわからなかった、「体温のある中国」が見えてくる。 (http://taweb.aichi-u.ac.jp/leesemi/ronsyu6/04.Yoshida.htm参照) 中国では小さいときからエリート教育をうけ、うまい人が高校や大学でプレーすることができる。僕の高校のときの先生が、中国にバスケを見学に行ったときの話を私にしてくれたことがあります。先生は大学に行ったのですが、練習1つ1つが細かいところまで徹底されていて、日本の考え方とは全然ちがうスタイルでやっていたとのことです。中国の速攻の練習を実際にやってみたところ、今までとは全く違っていて動きに無駄がないし、迫力があった。他に聞いた話では部活だけでなく、勉強も大事で、成績が悪い選手は退部させられたり、なんらかの罰則が与えられるとのことでした。 3.おわりに 結論としてタブセが日本発のNBA選手になったが、今はNBDLでプレイをしている。 日本も中国みたいに少しずつ教育の仕方を変えていかなければ、姚
明みたいな選手は生まれないと思った。ただ中国人と日本人では体格が違いすぎるので、身長が低くても、スピードとシュート力がある選手を目標にして育成して、NBAで通用する選手を育てていってほしい。もしくはヤオのように身長があるのに、シュートがすごくうまい選手や、身長1メートル95前後の身長でPGのポジションのできる選手など一般の考えを覆したプレースタイルを持つ選手が出てくるのを待つしかないと思う。 参考文献 1.あるむ出版 ハンドブック 現代中国 第二版 2006年4月1日 第一版発行 2. http://taweb.aichi-u.ac.jp/leesemi/ronsyu6/04.Yoshida.htm 3.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%B3 NBAバスケットボールプレイヤー姚明 経営学部経営学科1年 栗田陽介 1.はじめに 中国でスポーツ新聞を開き、この人の記事を見ない日は一日たりとてない。試合での活躍はもちろん、休日の様子、参加したイベント、果ては誕生日パーティまでがニュースとなる。バスケットボールを中国における超人気スポーツに押し上げたのは、この男の力によるところが大きい。 中国バスケットの星、『アジアの小巨人』姚明(26歳)である。 NBA(北米バスケットボール協会)のヒューストン・ロケッツのセンターとして活躍する。身長229センチ、体重140.6キロという恵まれた体を生かしたポストプレーが魅力。 (一) 生い立ち 1980年上海生まれ。父、姚志遠さんは上海のプロバスケチームの選手。母、方鳳さんは元中国バスケ代表という‘バスケ一家“に生まれた。 バスケットボールを始めたのは9歳の頃だった。彼には何より『身長』のアドバンテージがあった。幼稚園に通っていた頃、すでに147センチだった彼は、10歳で180センチまで成長していた。そして中学生でユース代表に選ばれたころには、191センチの母親を見下ろしていたという。 今やアメリカンドリームの象徴となっている姚明が初めて『アメリカ』を意識したのは、16歳のときだった。だが、NBAに入るというのではない。彼の思いは“大学進学”。元バスケット選手だった両親は、スポーツ選手の‘旬‘が短く、割に合わないことを知っていた。母、方鳳さんは、バスケに取り組むのは今のうちで、ゆくゆくは姚明に進学してほしいと願っていたし、姚明自身も、その母親の思いをしっかり受け止めていたことを伝記の中で語っている。 (二) プロの世界へ だが、恵まれた体と素質を持つ彼を世間は放っておかなかった。17歳でプロの世界に足を踏み入れる。地元、上海シャークスへの入団。群を抜く身長と並外れた身体能力。軟らかいタッチのシュートと機敏な動き。彼の高さとスピードについていける選手は、中国のプロバスケットリーグ、CBA(中国バスケットボール協会)のチームにはいなかった。1999-2000シーズンは一試合平均21得点、20歳になった2001-2002シーズンは平均29得点でMVPに輝く。 そして、CBAのバスケットコートに息苦しく感じ、周りの選手たちに物足りなさを感じる。世界最高の舞台で自分を試してみたい、そんな思いが日増しに高まるのは当然の成り行きだった。 もうひとつ、よく語られるエピソードの一つだが、彼がNBAを意識し始めた理由は「靴」にあったといわれる。当時、彼が履いていた特大のバスケットシューズは中国で手に入らなかった。だから、アメリカから取り寄せるしかない。そのため、彼はなかなか『新品の靴』が履けなかった。アメリカにいけば、いくらでも新しい靴が履ける・・・アメリカ行きの動機の中に、モノが溢れるアメリカへの憧れがあったのは事実だろう。 (三) 世界最高の舞台、NBAへ 姚明がバスケットの世界最高峰、NBA・ヒューストン・ロケッツにドラフト1位で指名されたのは2002年だった。米国の高校、大学に在籍せずに、米国籍以外の選手がドラフト1位指名されたのは初めて、またアジア人としても初だった。 『得点力抜群の大型センター』…。鳴り物入りで始まった姚明のNBA生活。しかし、入団当初の彼は決して順調とはいえなかった。デビュー戦を彼はこう振り返っている。 「その試合、何が起こったのか分からなかった。とにかく緊張していた。世界選手権とはレベルが違う。観客も、記者の数も多いし、音も大きい。おまけに体育館はバカでかい・・・」。 NBAの舞台での姚明は完全に『田舎者』だった。デビュー後の数試合、凡ミスの連続。スターティングメンバーに入れない日々が続き、シュートの一本も決められず、テレビの有名解説者から『消極的な若造』とコケ落とされたこともあった。 だが、あり余る才能が、世界最高の舞台を席巻するのは、時間の問題だった。 NBA独特の雰囲気に徐々に慣れていった姚明は、本来の調子を取り戻し、その後は一気にスターへの階段を登った。ルーキーシーズンは82試合に出場して1試合平均13.5点で新人としては上々の滑り出し。2年目は全試合先発出場。1試合平均17.5。また1年目から3年連続して、選手としての最高の栄誉であるNBAオールスターにも選出された。 (四) 姚明がもたらしたもの そのロケッツの本拠地ヒューストンを訪れたことがある。地元っ子は黄色人種にあえば「ヤオミンは最高だね!」と話題に上げる。スポーツショップには姚明の等身大フィギュアがあり、背番号11のユニフォームを始め、姚明グッズは売り上げナンバーワンである。バスケットの世界では「神秘の国」であった中国からやってきた「小巨人」は今やロケッツのいやNBAになくてはならない宝に成長したのだ。 2.ハンデを克服した姚明 さて、そんな姚明が、実は聴覚障害者であるというのは意外と知られていない。7歳の頃、服用した薬の副作用で左耳の聴力が60%失われた。そのため、試合中、審判の注意が聞こえないことがままあるし、チームメートと話をするときに、首を不自然に傾けることもある。だが、そのハンデは、姚明の並外れた身体能力によって完全に補われ、そして世界最高の舞台でのアメリカンドリームを実現した。 2005年のスポーツ‘長者番付‘のデータがある。姚明の総収入は1億5千万元(約23億円)で、2位の劉翔(陸上・110mハードル)に1億元以上の差をつけて圧倒的トップ。彼は今、年棒に加えて、出来高ボーナス、それに広告、番組出演料など莫大な収入を受け取る。そして、そのうちの一定割合を中国バスケット協会、さらに元所属の上海シャークスに「育成費」という名目で、毎年支払っており、中国スポーツ界にとっては、“貴重な収入源”となっている。中国スポーツ界をまさに「物心両面」で支えているともいえるのだ。 また、社会主義国・中国に「スポーツが金になる」という“スポーツマーケティング”なる世界を知らしめたのも姚明だった。「オリンピックを最高峰とした国家の宣伝の場」であった中国スポーツを“市場化”させた彼は中国のバスケット界、いやスポーツ界の枠組みを大きく変えたといえるだろう。 北京五輪で、中国はバスケットのメダル獲得を「本気で」目標としている。本来ならバスケ後進地域のアジアに臨むべくもないこの目標が、この『小巨人』がいるだけで、実現不可能とも思えなくなるから、すごい。姚明が、今後中国のスポーツ界にもたらすものは無限大に思える。 3.おわりに 姚明選手が聴覚障害だったとは知らなかった。あまりNBAの試合を見たことはないが、姚明選手の特集番組を一度見たが、聴覚障害だというそぶりはまったく見られなかったので、その事実を知って驚いた。聴覚障害をもろともせず、アメリカで活躍する姿にとても感動した。 日本でも来年からアメリカのメジャーリーグに挑戦する選手がたくさんいる。なかでも松坂投手は大きな期待がかかっている。やはり姚明選手と同じく最初はなれない環境で実力が出せないかもしれないが、その中でどれだけ活躍するのか楽しみである。今年は手首のけがで活躍できなかった松井選手との対決、イチロー選手との対決も見ものである。 参照URF http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9A%E6%98%8E ウィキペディアフリー百科辞典 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/basket/other/wc/2006/column/200608/at00010357.html sportsnavi.com http://j.people.com.cn/cehua/20030416/yaominghome.htm j.people 参考文献 1.ハンドブック現代中国 愛知大学現代中国学部 編 2.月刊バスケットボール 日本文化出版 3.バスケットボールマガジン ベースボール・マガジン社 4.DUNKSHOT 株式会社 日本スポーツ企画出版社 法学部1年 鈴木一平 1、はじめに 太極拳というと、健康法とか健康体操というイメージを持つ人が多いと思うが、実際は中国の皇帝も身につけていたといわれる歴史と伝統がある武術である。 2、太極拳の起源 起源は、元来は河南省温県陳家溝という村の陳一族に家伝として伝えられていた武術であったらしいが、創始者については諸説があり詳しいことは分かっていない。代表的な説として次の三つが有力である。①唐朝の許宣平が創始者であるという説、②宋朝の張三峰が創始者であるという説、③清朝の陳王廷と王宗岳が創始者であるという説があり現在は③の清朝の陳王廷と王宗岳が創始者であるというのが最も有力である。その説では、陳王廷が太極拳をつくったとも言われる。しかし陳家溝に残る史料からは他にさまざまな武術が流入していた可能性がうかがえ、むしろそうした研鑽の蓄積としてできあがったものと考えるべきであろう。陳氏の武術は一族を守る武術として発展し、それ故に門外不出とされていたが、清代末に河北省永年県広府鎮の楊露禅がこの拳法を会得して、北平(北京)に出向き広めた。拳理(武術理論)として王宗岳の『太極拳論』が重視されたため、そこから「太極拳」という名称が用いられるようになったとの説がある。明・清時代の中国は軍隊の基礎的な訓練を地方の郷村行っていた時代背景がある。そのため、それぞれの郷村ごとに特有の武術が発達した。有名なところでは、八極拳、形意拳、八卦掌なども郷村の軍事訓練から生まれたものだ。太極拳もそうした郷村の軍事訓練から生まれたと考えられる。 3、太極拳の特徴 八極拳の特徴は、気の抜けた緩慢な演武を行う者が多く誤解されやすいが、本来は穏やかな動きの中にも、緩急や緊張(張り)を内包する、重厚な風格を持ち古い歴史と高い実用性、高度な技術を備えた武術である。太極拳では、全身の力を最大限に使うために姿勢に厳しい。姿勢・気の運用を学ぶ事で、発勁を習得する。尚、修練時は正しい姿勢を得る為に、特にゆっくりと行う。東洋哲学の重要概念である「太極」思想を取り入れた護身術および健康法で、「太極」は「易経」から発し、宋代に発展した思想である。「太極」とは、易経や陰陽思想の用語の一つで、無極(全ての中心)が太極(万物の根源)を生じ、太極が陰陽(森羅万象)に分かれて両義(天と地)を生じ、さらに両義が老陽・少陽・少陰・老陰に分かれて四象(宇宙生成論において使われる概念)を生じ、四象が乾・兌・艮・離・坎・坤・震・巽に分かれて八卦(四象がさらに陰と陽に分かれたもの)を生ずとされている。太極拳のシンボルともいえる太極図は宇宙の運行を示す。(右の図は陰陽魚の太極図) 4、太極拳の種類 次に太極拳の種類であるが、「伝統拳」と、「制定拳」の二種類に分けられる。まず、伝統拳であるが、伝統拳はその伝承系統や各伝人によってさまざまな違いはあるが「伝統五派」という五つの系統に分類するのが普通である。伝統五派は創始者あるいは代表的な継承者の姓をとって「陳式太極拳」、「楊式太極拳」、「呉式太極拳」、「武式太極拳」「孫式太極拳」と称される。各流派に分かれているが、共通の基本功として「十三勢」があり、基本功が習得された後、「套路」、「推手」、「散手」と進むのが一般的である。また、十三勢の中に流派ごとにさらに細かい「太極拳の技法」がある。また、伝統拳はそれぞれの門派において剣、刀、杆、槍などの器械(武器)を用いた套路を伝承している。中国武術において剣は手の延長と見なされ、剣を練習することによって太極拳の動作は正確になり、より深く理解することが出来ると考えられている。例えば、剣尖まで勁を伝えるように練習をすることで、全身を協調させて運勁をし、発勁するための有効な練習となる。次に伝統五派の違いについて説明する。 5、五大流派の特徴(違い) 「陳式太極拳」は、全ての太極拳の源流であり、河南省陳家溝の陳一族を中心に継承されている。動作は剛柔相済、緩慢兼備を特徴とし太極拳に特徴的な柔軟さや緩やかな動きだけでなく、震脚(強く脚をふみならす動作)を行い、発勁方法は明勁(素早く激しい発勁の仕方)も得意とし、纏絲勁によって全身の勁を統一的に運用する。また陳氏の太極拳には大別すると大架式と小架式の2つのスタイルがあり、大架式からは新架式が派生し、小架式からは趙堡架式が派生した。20世紀に入り、陳発科が北平(北京)で大架系統を教授してから一般に広まったといわれる。 「楊式太極拳」は、陳家溝で太極拳を学んだ楊露禅が北平(北京)に出向き伝えた。露禅は実戦高手として楊無敵と讃えられ、その評判故に請われて多くの者に教授した。その拳は非常に柔らかな動きで、「綿拳」「化拳」と称されたと伝えられる。その後も露禅の子、孫と三代にわたって楊式は改変され、現在普及しているのは露禅の孫楊澄甫が伝えた大架式の套路である。楊式にも、小架式及び二路砲捶が存在するが、最も普及した大架式の動作はのびのびとして柔らかく、発勁法は緩やかな暗勁(激しい打撃動作を行わない発勁の仕方)であるため、最も広く行われている。制定拳は楊式をベースに構成されている。 「呉式太極拳」は、楊露禅の子楊班侯に師事した呉全佑(満州族出身)とその子呉鑑泉によって確立した。呉鑑泉が上海精武体育会で教授したため、香港を中心として中国国内はもとより、とりわけ華僑の間に普及した。動作は緊密でまとまっており(小架式)、楊式初期の風格を残していると言われる。もとの呉式には発勁や跳躍動作などがあったが、徐々に削られ、より柔らかな動きへとまとめられていった。満州族のシュアイジャオ(投げ技を中心とする武術)
に由来するといわれる前傾姿勢、平行な足、ゆっくりと細かい動きが特徴。重心の移動がはっきりしている。 「武式太極拳」は、楊露禅の支援者武禹襄が露禅に学んだ後、河南趙堡鎮の陳清萍に学び、さらに工夫を加えて成立した。武禹襄は太極拳の理論化に貢献した。近代の「太極拳」の名は、武禹襄の兄秋瀛が再発見した王宗岳の「太極拳譜」に由来するといわれる。武式は太極拳の精華と評され、厳密な身体の運用と実戦的側面を伝える門派である。しかし、武禹襄が親族にしか伝拳せず、その後も近年まで保守的であったため、伝承者はきわめて少ない。著名な伝人郝為真の姓をとって「郝式」と呼ばれることもある。運動幅の小さな、柔らかな動きの太極拳で、老梅の枝にたとえられる小さな動きが特徴。推し出す手は足の先を越えないこと、引き寄せる手や腕は体に密着させないことなど、決まりがある。簡素で明快。実践的な太極拳である。 「孫式太極拳」は、高名な武術家孫禄堂が、郭雲深に学んだ形意拳の歩法、程廷華に学んだ八卦掌の身法、郝為真(武式)に学んだ太極拳の手法を統合して完成させた、孫家拳を代表する套路である。開合によって動作を連関し、快速な活歩によって転換するため、一名「開合活歩太極拳」と称される。 以上が伝統五派の大まかな説明である。次に分派と呼ばれる「和式太極拳」「鄭子太極拳」について紹介しよう。 「和式太極拳」は、従来陳氏の一派(趙堡架式)と見なされてきたが、近年、代表的伝統太極拳として認定された。初代和兆元は陳清萍(陳式)に学んだが、発勁は暗勁が主で、独自の風格を備える。他にも、主に陳清萍に学んだ李景炎が創始した忽雷架式は、綿密な段階的教授法と独特の発勁技術が、他派にない特徴として注目されている。 「鄭子太極拳」は、楊式太極拳第三代伝人の楊澄甫の弟子である鄭曼青が楊式太極拳を整理し37式にまとめたもの。楊式からこの三十七式が認められなかったこと、さらに楊式よりもさらに柔らかくこぢんまりとした動きであることなどから別式とされている。套路(型)は37式、武器は剣(楊式太極剣)、推手、さらに台湾系の系譜ではこれに内功(気功)が加わるだけの最小主義の太極拳で簡易太極拳と言われることもある。鄭曼青は五絶老人とも呼ばれ「詩、書、画、医、武」に優れ文人、医者としても名高く台湾に移住後、さらにニューヨークに移り、漢方医として活躍する傍らで太極拳を教えた。中国人、欧米人の区別なく太極拳を伝授したため結果として欧米に最初に太極拳を広めることになり他の太極拳が欧米で教えられるようになるまでは欧米で太極拳といえば鄭曼青の三十七式であった。また鄭曼青は漢方医であったため太極拳の健康面での効用を強調したため欧米で太極拳=健康運動との認識が広まる一因ともなった。 以上で「伝統拳」の大まかな説明は終わりである。続いて「制定拳」について述べる。制定拳は、太極拳の健康効果は以前より知られていたが、必ずしも万人が習得することのできる平易なものではなかった。中国政府は第2次世界大戦後、伝統拳の健康増進効果はそのままに、誰にでも学ぶことのできる新しい太極拳を意図し、国家体育運動委員会が著名な武術家に命じて套路を編纂、普及に努めた。これを伝統拳に対して「制定拳」と呼ぶ。制定拳は楊式太極拳をベースにして重複動作を避け、難度の高い動作を簡略化しつつ、太極拳のエッセンスをまとめたものである。套路毎に動作の数が違うため、各套路は「二十四式」のように動作の数で呼ばれることが多い。下記に主な制定拳の説明を書く。 「簡化太極拳」(二十四式太極拳)は、最初の制定拳として1956年に発表された。楊式太極拳の主要な二十四の動作から構成されており、そのため「二十四式太極拳」とも呼ばれる。中国の学校で日本のラジオ体操と同じように生徒全員に教えられる。振り付けの覚えやすさに重点が置かれ健康面でも武術面でも本質を伝えにくいなど伝統的な太極拳家の間では不評であるが、外国でもジムなどでヨーガなどと一緒に教えられることが多く、全世界で練習され、健康運動としての太極拳の普及に大きく貢献している。楊式を基礎としているので本格的な楊式の入門用の套路として教えられることもある。他の四派の伝統拳では入門用の用途としても役に立たないので教えられることはない。日本の太極拳教室で健康のために教えているものはほとんどの場合、この簡化太極拳である。普及に伴って集体(グループ)での発表や競技会が盛んに催されるようになり、簡化太極拳は結果的に、表演武術としての側面を太極拳に持たせることになった。太極拳とは健康運動、ひいては武術にあらずとの認識を広める一因としての批判が伝統拳の間に多い。 「八十八式太極拳」は、二十四式太極拳に続いて、1957年に発表された。二十四式に適用した原理に基づいて楊式太極拳の動作を改めたもので、二十四式と同質性があり、二十四式の既習者には学びやすい套路である。拳式の順序は伝統的な楊式太極拳大架式に準じているが、動作原理が違うので動作に多くの差異がある。 「四十八式太極拳」は、二十四式太極拳の上級套路として、1979年に発表された。二十四式、八十八式とは異なって、楊式太極拳をベースにしながらも、陳式、呉式、孫式の動作を取り入れた、初めての総合太極拳である。二十四式より難度は高く、八十八式より表演時間は短く、動作が左右対称に整えられた総合套路であったため、一般に普及しただけでなく、競技会においても頻繁に行われる套路となった。 「総合太極拳」(四十二式太極拳)は、80年代後半、太極拳の国際大会が催されるようになると、競技会用の套路が要望されるようになった。競技者自らが構成した「自選套路」では、優劣を判定することが難しいことが生じるからである。そこで陳氏、楊式、呉式、孫式の競賽套路、総合套路、遅れて武式の競賽套路が発表された。日本では「競賽」という語に馴染みがないため、競賽套路は「規定套路」あるいは「競技套路」などと呼ばれるのが普通である。こうして発表された総合套路が「総合太極拳」であり、動作の数から「四十二式太極拳」とも言われる。総合太極拳は、四十八式と同様に楊式太極拳をベースにして、陳氏、呉式、孫式の動作を組み合わせて創られた套路である。四十八式よりも各門派の特徴的動作を明確に演ずることが出来、内外の競技会種目として採用されている。見栄えのする套路なので、中国では一般にも人気が高い。その一方で、競技性を念頭に置いて伝統拳の動作をつなぎ合わせたので、「連続性が悪くぎごちないところがある」「健康効果に比して身体への負担が大きい」などの批判もある。 「太極剣」(三十二式太極剣、総合太極剣)は、制定拳を行う者が器械入門として行えるよう、楊式太極剣をもとに編纂された套路が「三十二式太極剣」である。さらに競技用套路として、陳式、楊式、呉式の動作を組み合わせた「四十二式太極剣」(総合太極剣)があり、総合太極拳と並んで競技会で盛んに行われている。 6、第15回アジア大会 12月1日から15日の期間ドーハで開催されている第15回アジア競技大会の武術太極拳の結果を見てみたいと思う。 女子総合で日本の宮岡愛選手が二位で前回大会から始まったこの種目で、初の銀メダルを獲得また女子南拳総合で小島恵梨香選手が四位に入賞した。しかし全11種目中9種目を中国が制した。 制定拳は、「太極拳の(世界的)普及」(伝統文化としての太極拳)と「国民の健康増進」(保健手段としての太極拳)が当初の目的であったが、現在は「運動競技としての太極拳」(上記に述べたような太極拳のアジア大会への正式競技化など)の占める比重が大きくなっている。しかし、制定拳の武術的意味が再考され、健康効果を考慮した総合太極拳(三十二式太極拳)が編まれるなど新たな動きも見られ、今後の動向にも注目していく必要がある。 7、まとめ 調べた感想は、私は、太極拳はもっと種類も少なく簡略化されたものだと思っていたが、実際は長い歴史を持った完成された武術だということがよくわかった。太極拳の簡略化によって中国国民へ普及し、全世界へ太極拳を知ってもらえアジア競技大会の種目になるほどに普及したが、健康体操といったようなイメージが大きく太極拳の武術としての意味が薄れているような気がした。私も空手をやっているので機会があったら太極拳を学んでみたい。 参考(引用)ホームページ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 「はてなダイアリー」http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%C0%B6%CB 「太極拳
T'ai-chi Ch'uan」 http://www.taikyokuken.co.jp/ 「太極拳」http://www.aomori-akenohoshi.ac.jp/com/taikyokuken/taikyokuken.html 「太極拳起源と思想」http://www.arachina.com/culture/bujyutu/taiji.htm 「偏在するものへ」http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/20henzaisurumonohe.htm 参考文献 1.「太極拳九訣」 2.「太極拳老譜三十二解」 3.「養生気功法 (無極静功の理論と実践)」 法学部1年 深谷亮徳 1,体操競技とは何か 体操競技の種目には左図のように男女合わせて計10種目ある。床と跳馬は男子と女子とで名前こそ同じだが,内容は少し異なるので全10種目である。そして体操競技の競技には下図のような種類がある 規則には採点規則と競技規則がある。採点規則はある 一演技に対して,それにどんな点をつけるかを規定する ものである。競技規則は,各競技をどのように進行するか,採点規則に基いて出された点を元にどのように優劣をつけるかを定めている。すなわち,団体総合,個人総合,種目別はどのような競技かということが述べられている。 そして団体総合では男子は六種目を『床→鞍馬→吊輪→跳馬→平行棒→鉄棒』の順で行い,女子は四種目を『跳馬→段違い平行棒→平均台→床』のように回り,全種目のチームでの合計点を競う。そして団体には団体予選と団体決勝ある。 予選は,6-5-4制で行われる。1チームは6名で構成され,そのうち各種目5人が演技し,その得点のうち高いほうから4人分だけがチーム得点に加算される。つまり,各種目につき1人だけならば失敗してもその影響はチームの成績に響かないことになる。 決勝は,6-3-3制で行われる.すなわち,1チーム6人,3人演技してその3人の得点がすべてチーム得点に加算される.だから,予選のときのようには失敗が許されない。 次に個人総合は,一人一人が,男子6種目,女子4種目を演技し,それらの得点の合計点で競われる.一種目あたりの満点は10点であるから,男子の満点は60点,女子の満点は40点となる。 2,2006ドーハアジア大会の中国と日本 2006年に行われたドーハアジア大会で体操競技で力を見せたのは中国と日本である。 団体総合
個人総合・種目別 男子
女子
そしてこの大会で個人総合を含め種目別吊輪・平行棒3つの金メダルを 獲得しているYANG Wei選手(右図)は中国選手団の原動力である。 この大会で中国は何とアジア大会男子団体総合V9を達成した。 一方日本は個人総合銀メダルで鉄棒金メダリストの水鳥選手、同じく個人総合銅メダルで鞍馬金メダルの冨田選手のがんばりも届かず、惜しくも団体総合は銀メダルでした。 女子は金・銀を中国選手がほぼ独占しているのに対して日本選手は銅3つと何とも苦い結果となり、次の大会に向けて大きな課題を残す結果となった。 日本男子はアテネ五輪に続き体操王国日本の復活を見せた。しかし体操の伝統国中国は日本の勢いを凌ぐ強さを見せた。中国代表は男女ともに好成績を残している。 3.中国と日本との体操への取り組み方 中国はスポーツの科学的、実践的理論の開発、コーチの専門的教育が盛んである、そして各スポーツごとに理論をみつけている。そして中国のスポーツの取り組み方は旧ロシアから取り入れられたので両国とも取り組みかたがよく似ている。そして中国ではオリンピックで金メダルを取ることはこれからの安定した生活を勝ち取ることと同じことである。そのために中国選手はメダルを取るための強制的とも思われる厳しい練習メニューが課せられているという。 一方日本はというと個人的興味で始まり最初のころは趣味でやっているようなもので、その中で自主的により上を目指してやりたい、世界に挑戦してみたいという気持ちが現れてくる。 中国体操は国の威信のために国が選手を育てるが、日本体操は選手一人ひとりの気持ちで育っていく特徴がある。 4,まとめ 現代のスポーツはみな結果重視である。しかし、そもそもスポーツというものは、昔の人々の遊びから生まれたものである。故に、スポーツは楽しむためのものであり、中国のように半強制的な練習で理詰め体操の演技では点は取れるかもしれないが、見ている人たちの心まで感動させることはできないだろうと思う。本当に人を感動させる演技とは、やはり演技を行っている本人が演技を楽しみ、たとえ失敗しても自分の満足できる最高の演技をすることだと思う。やらされているからやるのではなく、やりたいから、楽しいから体操をやるという気持ちが大事であると思う。 参考文献 1.「ハンドブック 現代中国」 愛知大学現代中国学部 編 あるむ 出版 2.「15TH ASIAN GAMES DOHA 2006」 http://www.doha-2006.com/gis/menuroot/news/news.aspx 3.「体操競技観戦入門」 http://bellezzaecosi.fc2web.com/page037.html 4.「スポーツ」 http://www.enjoy.ne.jp/~bado/bado/sport.htm ―交通事情と課題・08北京オリンピックを視野に 法学部1年 神田 光造 1.初めに 現在中国は経済的にも、国としても目覚しい発展を続けている。加えて、オリンピックや万博の開催地ということで更なる注目を受けている。その中で課題となっているのが、交通の問題である。日本でも、愛知万博のときには、世界で初めてリニアモーターカー「リニモ」が一般の交通機関として運行をし、リニアモーターカーに乗れるということで注目を受け、多くの人々がこれに乗ろうと押し寄せた。これだけでなく、万博に行こうという人々で交通に影響が出た。中国も開催時に交通機関の混乱、不満等が出ないよう交通網を快適にしようと現在対策を進めている。では、中国の交通機関にはどのようなものがあり、どのような問題が残っているだろうか。また、日本との交通における違いは何があるのだろうか。 2.移動方法 まず中国で移動しようと思うとバス、タクシー、列車、場合によっては飛行機での移動がある。 バスは最近では冷暖房を積んでいるものがあるが、つんでいるものは若干乗車料が高い。 タクシーはよく考えて乗らなければいけない。特に名前と写真がないタクシーには気をつけなければいけない。何をされるかわからないからだ。タクシーの中にはわざと道を間違えたり、間違えてもメーターをおろさなかったり、料金を何倍も取られる場合がある。そのため適正値段を覚えておき、きちんと抗議をしなければならない。バスとタクシーで日本と違い、よくないところはおおよそこれくらいだろう。 日本のタクシー、バスは路線や規則で値段も決められており、タクシーなどは悪質なものがない。今の日本で悪質なのはむしろ乗客のほうだろう。また、日本と違い中国人の中には外国人だとわかると積極的に質問を浴びせてくる人がいる。日本でもあるが、中国のタクシー運転手ほど現地人と外国人で積極性は変わらない。ここら変が中国のタクシーのよい所だろう。 列車はどうだろうか。日本の列車は時刻どおりに運行し、天気もよほどの天気でない限り運行する。しかし、中国の列車は時刻表というものがなく、3分毎に駅に着く場合もあれば、20分まってもくる気配のないときもあり、さらには、多少の雨で運行停止をしたり、大雨が降っていても運行していたりする。オリンピック開催に向けて交通機関の麻痺を防ぐためにこの点も改善していく必要があるだろう。 次に現在の中国でもっとも速い移動手段といわれているものがある。それは助動車と呼ばれるものである。日本の原付である。基本的に自転車と同様の扱いだが自転車よりも早く、たびたび車道に出て車といっしょに走る。小さく小回りもきくので渋滞とも無縁である。また、運転免許証がいらないのも重要な点である。しかし一方で自動車の運転手は助動車に危険を感じている。運転が荒いのである。信号を無視して横断をしたり、横から突然飛び出したりした時、自動車の運転手は反応できず、衝突することが多いからである。また、事故を起こした場合、日本と違い運転に免許証のいらない中国は多くの場合は自動車の運転手側の責任となります。適正な交通状況、オリンピック時の交通の安全を考えると事故を防がなければならないため助動車については対応をする必要があるだろう。 日本人が中国を訪れると道を渡るのが怖いという。それは上で述べた理由を中心に車、自転車、割り込む車が多く、実際に中国でも事故が多い。日本では信号の通りに道をとおり、車がとおっていても、渡りたいと思っている人は車がいくのを待つか、車が止まって渡らせてくれる。しかし中国ではマイカーブームにともない、車の量が多く、信号の通りに道を渡らない人も多い。そこの問題が日本と違い、また、ルールはあってないよなものであるため、訪れた旅行者に恐怖感を与えている。 次に中国の新幹線はどうだろう。中国本土、北京~上海間1300kmの高速鉄道建設計画を巡り欧州企業との熾烈な受注競争が続いているが、第1段階として主要都市間の在来線高速化(200km/h)用にフランスのTGV、ドイツのICEと共にJR東日本のE2系をベースにした120両の高速車両を導入することが決定している。 日独仏の3陣営が三つ巴で採用を争っていた中国の高速鉄道は、これらの車両の運用実績をもとに本格採用が決定されるものとみられる。2006年2月から完成車の納入が開始され、また技術供与による現地生産も行われる予定で、新幹線車両は早ければ2008年にも走行する見通し。なおJR各社では、JR東日本が受注に積極的なのに対し、台湾への技術供与を行ったJR東海の葛西敬之会長は、トラブルが発生した場合の責任問題や技術流出の危惧から反対の意見を表明している。 3.オリンピックへの対応 まもなく訪れる中国オリンピックでの交通対策はどうなっているだろうか。中国ではオリンピックに向け交通対策を行っている。どのような解決策を練っているのだろうか。 まず、根本的な解決のために中国のインフラ整備の加速がある。また、北京市では現在4本の鉄道を建設中で、オリンピックに直接関係しているのが3本ある。1本目は地下鉄東直門駅と北京首都国際空港を結ぶ都市鉄道で、観光客を飛行場から市内へと直接運ぶ足となる。もう1本は10号線から伸びるオリンピック支線。3本目は地下鉄5号線で、来年末に試運転が始まる予定である。 ほかには、輸送力の高い高速交通システムの整備が予定されている。北京市内の一部では、専用車線を設定した高速型の路線バスがすでに試験運行され、好評を得ている。市は今後2年間、こうした路線を拡大し、バス専用車線を増やすことで公共交通優先の戦略を進めていく。また、北京市周辺に数箇所の大型ターミナルを設け、乗り換えの利便化を図っている。 次に、オリンピック期間中は、過去の開催都市の経験を生かし、専用道路などを設置し、選手や役員、記者などの移動手段を確保する。状況によっては、臨時の交通規制なども考慮すると述べている。さらに、交通管理を強化し、情報化による交通の合理的管理を進めることで、交通管理のレベルアップを図ろうとしている。最後に市民の交通ルールに関する意識を向上させることにより市民全体にルールを守らせ、中国の交通に秩序をもたせ、交通事情の改善を図ろうと現在対応をしている。 4.まとめ 最後に日本との交通に関しての最大の違いは交通ルールにおける意識の問題だろうと今まで述べたことから考えられる。これから中国はさらに発展をしていく。そのためには中国の交通状況の改善は避けて通れない問題だろう。 参考文献 愛知大学現代中国学部編、2006年、「ハンドブック現代中国」、あるむ 参考HP http://www.tabisland.ne.jp/china/shanghai/s_0601.htm http://german.china.org.cn/japanese/252642.htm http://www.allchinainfo.com/travel/traffic.html http://www.nikkei.co.jp/china/special3/20060302cg932000_02.html http://www.mi-com.jp/ciic/traffic.html ―スポーツの比較 法学部法律学科1年 臼井雄也 1、はじめに 中国と日本、隣国でありながら国土面積、人口等スポーツという心身の強靭さを競うものを比較するにはあまりにも大きな差があります。
しかし、一昨年開催されたアテネオリンピックにおけるメダル獲得数においてアメリカ・中国・ロシア・オーストラリアについで日本が5位に入ることができたことから、アジアにおけるスポーツ強国中国とスポーツ先進国日本の比較を行います。 2、スポーツ行政機関とスポーツ振興のための法律 スポーツと行政のかかわり方には大別して二通りあります。 一つには、余暇活動としてのスポーツの機会を国民に保障すること。 二つには、国際大会で活躍するトップアスリートを養成・支援することです。 この二つは、「スポーツ政策(Sport Polisy)」としてまとめられ、国は必要な財源を確保し、競技力の向上や生涯スポーツの支援にふりわけます。 そこで、中国と日本の行政機関とスポーツ振興のための法律を概観します。
SSF調べ(2004-2005) ここで興味深いのは、日本は学校教育を所管する省庁が所管しているのに対して、中国はスポーツ(体育)を専門にする省庁が所管していることです。 無論、中国においても国民がスポーツに触れ合う最も大きな機会は、学校であることにおいて、日本と違いはありません。 しかし、日本のスポーツは原則として学校の授業と、課外事業としてのクラブスポーツを中心に、学校を卒業してからは社会人と称される企業スポーツとして発展してきました。 一方、中国においては、生涯スポーツの支援と同等あるいはそれ以上に、国家の威信をかけたトップアスリートを養成することに比重が置かれていることが、省庁のあり方の背後に推測できます。
SSF調べ(2004-2005) ここで興味深いのは、日本・中国ともに国のスポーツ政策の指針となる統括法を整備していることです。 ここでは割愛しましたが、アメリカにはスポーツ政策の指針となるような統括法はなく競技団体の位置づけ等を定めたオリンピック・アマチュアスポーツ法があるのみですし、所管する省庁もありません。 これは、日本のスポーツ政策は、中国を中心とするアジア圏の特徴が強く、国家威信のためにトップアスリートを養成することに重点がおかれていることが推測されます。 3、プロスポーツ 社会主義国である中国においてもプロスポーツは盛んで、愛ちゃんで有名になった卓球、日本のJリーグと同一の年に発足したサッカー、バスケット、野球等日本に比して遜色のない数のプロスポーツがあります。 しかし、中国のプロスポーツは未だ未成熟の部分もあり、多くは日本のアマチュアである社会人チームに近い存在のようで、企業の所属チームのような存在だと言われています。 一方、日本のプロスポーツは、相撲・競輪・競馬・競艇等のように、一切のスポンサー契約はなく、独自の収益源により営まれているものもありますが、野球・バレー・ラグビーのようにプロといいながら、実際にはスポンサー企業の広告塔として機能しているケースもあり、アメリカのようにプロスポーツ企業として独自に機能していないケースもあり、このあたりは中国に類似しています。 しかし、一方ではJリーグのように一定の企業スポンサーはいるものの、地域に根差し、ユース等の下部リーグを義務付け、本来のプロスポーツのあり方に回帰する動きもありますので、プロスポーツの世界では、日本が少し先を走っているようです。 4、アマチュアスポーツ アマチュアスポーツのあり方は、日本と中国でもっとも違っているように言われています。 中国においては、国際大会に出場するようなトップアスリートの多くは、ステートアマ(国家アマチュア)といわれ、国が幼いときから特別の鍛錬を与えトップアスリートを養成しているといわれています。 しかし、その多くは国営企業に職を有し、一日数時間の勤務でその他は全てスポーツにあて、企業から給与をいただくというような形態をとっているようです。 このあり方は、日本のほとんどのアマチュアスポーツマンが、学校のクラブで鍛錬され、企業に勤めた後は、一日数時間の勤務でその他は全てスポーツに費やして、企業から給与をいただいている姿と、非常に良く似ています。 ですから、トップアスリートの世界で比較すると日本と中国の姿は、雇用されている企業の差こそあれ、国が支援し、企業が広告塔として後援する姿に差異はないと考えます。 5、まとめ 中国と日本、スポーツの世界を通じて比較をしますと、同じアジアに位置し、非常に似通ったバックボーンの中でスポーツが行われていることがわかりました。 スポーツがビジネスとして、完全に市民権を得、スポーツチームは完全に独立した企業として存在するアメリカに比して、学校、企業に後援され、学校の威信、企業の広告塔たるために、全力を尽くす中日のスポーツのあり方は、共通する部分が多いと感じました。スポーツの面ではこれからも仲良くしていければいいと思います。 参考文献 1.
吉田実 著、「日中報道 回想の三十五年」、潮出版社 2.
外務省ホームページhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/data.html 3.
笹川スポーツ財団(SSF)ホームページhttp://www.ssf.or.jp/index_ssf.html 法学部1年 柴田 直樹 0.はじめに 私は高校時代に柔道をやっていた事もあり、中国武術に興味があったのでそれについて調べてみました、数ある武術の中のいくつかを紹介します。 1.歴史 中国武術の起源は、漢王朝(前漢後漢。紀元前206年- 220年の時代に黄河沿いに住んだ人々の実戦スポーツだといわれている。その後、間もなく娯楽の要素としてや健康法としても扱われるようになった。現在、中国武術の門派は数え切れない程ある。そのそれぞれが自らの門派の起源に関する逸話を持っているが、自らの門派が優れたものであることを示すために伝説上の有名人や英雄に創始者を仮託しているものも多く見られる。 2.外家拳と内家拳 少林拳のように筋骨、体力を鍛え、体を外面から強くして剛力を用いる武術を外家拳と呼び、太極拳のように呼吸や内面を鍛えて柔軟な力を用いる武術を内家拳と呼ぶ。しかし、実際には少林拳も初期の練習でこそ筋骨を鍛えるが、練度が進むと内面を鍛えるし、逆に、太極拳にも剛の力が多く含まれる。武術を深く理解しない者が表面的な技法のみを見て行った分類だと見られ、現在ではほとんど重視されることはない。 ただし、太極拳、八卦掌、形意拳の三つの門派がその他の武術と大きく異なる風格を持っているために、これらを単に総称して内家拳と呼ぶ場合があり、その場合は前述の剛柔の定義にはこだわらず単に名称的分類と考えられている。また、少林拳は仏教の寺院で学ぶ武術であるので出家した者、即ち家の外にいる者が修める武術であるので外家拳、太極拳は出家しない道教の信者、即ち家の内にいる者が学ぶので内家拳である、とする説もあるがあまり一般的ではない。別の説として、黄百家の「内家拳法」がある。一般的に言われる内家拳との関係は不明。また太極拳の関係も不明。 2.1.北派(外家拳) 少林拳、査拳、翻子拳、八極拳、蟷螂拳、などがある。 2.1.1.少林拳 少林拳は中国河南省嵩山に伝わる武術、もしくはその流れを汲む武術一般を含んでいる。その歴史は古く、各派の武術に大きな影響を与えたことから「天下の武術少林より出ず」と謳われている。上海精武体育会では、潭腿を初級で学び、少林五戦拳(大戦、脱戦、短戦、十字戦、合戦)を正科とし、さらに羅漢拳を学んだ。ちなみに少林寺の武術は少林拳であって決して少林寺拳法とは呼ばない。少林寺拳法というのは中国の拳術を学んだ日本人、宗道臣が日本で新たに創った武術であり、柔術など日本武術の特徴を多く有しつつ独自の技術を持つ武道であり、中国少林寺に伝承される武術とは異なる。 2.1.2.査拳(さけん) 査拳(さけん)は中国山東省冠県がその発祥地と言われている。(諸説あり)古くからイスラム教徒(回族)の間で伝承されており、代表的な長拳類の一拳種である。動作は大きく、腿法を多用し、跳躍を含み、また一路査拳から十路査拳、いくつかのこれらを補う多くの拳術套路、器械套路を有している。現在ではいくつかの派に分かれ内外に広く伝承されている。
2.1.3.翻子拳(ほんしけん) 翻子拳(ほんしけん)は「双拳の密なること雨の如し、脆快なること一掛鞭の如し」と謳われるように両の拳を雨あられの様に連続して繰り出し、あたかも爆竹が炸裂する様な風格で非常にスピード感あふれる武術である。翻子拳は手技主体であるため、近年、足技主体の戳脚(てききゃく)と合わせて練習されることも多い。
「戳脚翻子拳」として合体していることがある。 2.1.4.八極拳(はっきょくけん) 八極拳(はっきょくけん)は中国河北省がその発祥地といわれ、古くからイスラム教徒(回族)の間で伝承されてきた。後に漢族に伝わり、それぞれ独自の発展を遂げている。その特徴は「崩」、「撼」、「突」、「撃」に代表される重厚な風格を有しており、動作は比較的簡単に構成されている。八極拳は接近戦を得意としているため、ロングレンジでの攻防を得意とする劈掛拳と兼習されることも多い。孟村系、南京中央国術館系、西北系、東北系、武壇系など多くの派を生みだした。
2.1.5.蟷螂拳(とうろうけん) 蟷螂拳(とうろうけん)は王朗が獲物を捕るカマキリの動作に着想を得て創始したと伝えられる武術である。清朝の頃より中国[[山東省]]で伝えられ、現在では七星、梅花、太極、六合、八歩など多くの派に分かれ中国各地に分布している。武術としては「補漏」(すきあらば打つ、の意)を基本とする。手法が複雑で連関性に富み、「上下連貫」と呼ばれる手法と腿法のコンビネーションが巧みで、スピード感あふれる独特の風格を有している。伝承される套路や技法が非常に多いため「螳螂三百六十手」と称され、どんな技でも螳螂拳を探せば似たものが存在する。 2.2.北派(内家拳)太極拳、八卦掌、形意拳などがある。 2.2.1.太極拳(たいきょくけん) 太極拳(たいきょくけん)は、河南省陳家溝の陳一族に伝わる武術を元に広まり、現在では多くの門派がある。最も有名な五つの門派を五大太極拳と言うことがあり、それぞれ創始者の名を取って陳式、楊式、呉式、武式、孫式と呼ばれる。楊式は愛好者が最も多く、緩やかな動作を主とする。陳式は激しい動きを多く含み、少林拳の技法を取り込んでいる。他の太極門派に伝承されていない技法が数多く存在しているため、陳式を太極拳の源流とする説は信用性に乏しいとの見方もある。いずれの門派も、緩やかな動きの形による修練方法が最大の特徴で、その動きが健康増進に効果が高いとされ、現在では武術としてよりも健康法として世界に広まっている。健康法として広く行われている簡化二十四式太極拳は、楊式太極拳をベースに簡略化した制定拳と呼ばれる太極拳で、重複する動作を取り除いた二十四の主要な動作からなっている。 2.2.2.八卦掌(はっけしょう) 八卦掌(はっけしょう)は、その名の如く拳を使わずに開いた掌(てのひら)を用いることと、また相手を中心とした円周に沿って滑らかな動作で移動する、走圏と呼ばれる歩法に特徴がある。非常に難度の高い武術であるとされる。緻密とも陰険とも言われる程のれっきとした武術である。代表的な套路には、老八掌、八大掌、連環掌、龍形掌、六十四掌などがある。 2.2.3.形意拳(けいいけん) 形意拳(けいいけん)は太極拳や八卦掌と同じく、 北派、内家拳に分類される。陰陽五行説を技法として表現する五行拳(金行劈拳、水行鑚拳、木行崩拳、火行炮拳、土行横拳)と呼ばれる五種の基本拳と、
その応用で十二形拳(龍形拳、虎形拳、猴形拳、馬形拳、黽形拳、 鶏形拳、鷂形拳、燕形拳、蛇形拳、鳥台形拳、鷹形拳、熊形拳)と呼ばれる、 十二種の動物の意を表した象形拳を基本としている。
代表的な套路には、五行連環拳・雑式捶・四把捶・八字功などがあり、 対練には五花砲対練・五行砲対練・安身砲対練(十二形大用対拳)などがある。 また、三体式(三才式、三体勢、開勢)という姿勢を基本架式として用いることと、
歩法には主に跟歩を用いることが特徴的である。 かつては河南省に伝わる近親門派である心意六合拳も 河南派形意拳と称されたが、 現代では混同を避ける為、 山西省、河北省伝来の物のみを形意拳と分類している。 3.南派武術(南拳) 長江以南で広く行われる武術の総称であるが、活発な地域として福建省、広東省があり、それぞれに特徴がある。福建南拳は短橋狭馬といわれる。橋は腕の使い方を示し、馬は歩形を表す。即ち狭い歩幅で立ち、腕を短く使うことが特徴である。広東南拳は長橋大馬と言われ、歩幅を広く取り腕を長く使う。 3.1.広東南拳
洪家拳、蔡莫拳、蔡李仏拳などが含まれる。 3.1.1.洪家拳(こうかけん) 洪家拳(こうかけん)は、南拳の代表的門派であり、制定拳の南拳もこの門派を原型としているために広く知られる南拳のイメージは洪家拳のイメージに近い。歩幅を広く取り強く拳を振るう広東南拳の一派であるが、多くの門派から技術を取り入れて長短の技術が完備している。この門派の武術家、黄飛鴻は清代に実在した武術家であるが、彼をモデルとした映画が何本も撮影されており、特に、ジェット・リー主演で映画化された「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」のシリーズが有名。 3.1.2.蔡莫拳(さいばくけん) 蔡莫拳(さいばくけん)は、福建少林寺が源流であり潮汕、海陸豐各地、香港に伝えれらている。その特徴は他の南拳と同様「以形為拳、以意為神、以気摧力、貫穿発勁、歩法穩固、拳勢激烈」である。発力時の要求は手、身、腰、腿の勁力を一つに纏めることである。手法は豐富であり、接近短打を主とする。 創始者は劉仕忠。彼は南派少林拳の洪、劉、蔡、李、莫の五大派の精華を集大成したうえに朱、范、鍾、太極、六合等の精華を加味し、更に、江西省武林奇人である張文永の少林内家心法及び各種実戦技法を加えることにより、独特の技法と風格をそなえた「蔡莫拳」を完成させたのである。 3.2.福建南拳
詠春拳、白鶴拳などが含まれる。 3.2.1.詠春拳(えいしゅんけん) 詠春拳(えいしゅんけん)は、短橋狭馬の代表格で、狭いスタンスで立ち、手を短く、地味な小手先の技を大量に使う。ブルース・リーが初めに学んだ武術として有名である。 3.2.2.白鶴拳(はっかくけん) 白鶴拳(はっかくけん)は、詠春拳と同根を為す短橋狭馬の武術で、鶴の動きを取り入れたと言われる。狭いスタンス、短く早く使う手法は詠春拳に共通するが、鶴の翼の動きから取り入れられた五形手(木形手、火形手、土形手、金形手、水形手)に特徴がある。現在では4つの門派に別れており、鶴のそれぞれの動作を主としていることから白鶴門鳴鶴拳、白鶴門宿鶴拳、白鶴門食鶴拳、白鶴門飛鶴拳と呼ばれ、非常に実用的であると評価されており五祖拳や意拳に動作が取り入れられるなど大きな影響を与えている。の息子の劉遠成。三代目伝人は劉標。 4.まとめ 中国武術は日本の柔道や空手と違って派手な動きのものが多いので実戦では使えないと思っていたが、それは間違いだった、私は螳螂拳を知っていたが、素晴らしい拳法だと思う。ライオンや象が強いのは大きさによるものであり、地球上の全ての生物を同じ大きさにすれば攻撃力、凶暴性からして螳螂が最強だと思う。 参考文献 1.吉田実著、「日中報道 回想の三十五年」、潮出版 2.ウィキメディアフリー百科事典: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%8B%B3%E6%B3%95 経営学部国際経営学科1年 米川真美 キーワード: コーチ ラケット 中日間の関係 卓球の強さ 1.はじめに 中日間のピンポン交流が始まって五十周年が経とうとしています。 中国人は本当に卓球が好きで、日本とは言葉からして違うのです。日本にはないような、卓球専門用語があり、日本語で説明すればすごく長くなることも、中国語では一言で言い表してしまいます。例えば「グワー(刮)」という言葉。球にドライブをかけてゆるやかな弧を描くボールのことなのです。また日本語では、一つの言葉なのに、中国の卓球界ではもっと細かく分かれているという場合もあります。 また、中日間ではいろいろな問題がありますが、卓球ではすごく仲良くやっていて、試合する時は、やはり対戦国とか相手とかになってしまうのですが、試合が終わったらみんな仲良くやっています。 2.コーチ 中国の選手は経験的な指導者やコーチを持ちます。自分がやる気を出し一生懸命に練習をすれば強くなれるという考えが根強くあるのです。個人コーチを持たない選手は、今では世界では通用しないのです。個人コーチを持つことは、《自分自身に集中して指導してくれる》という事になり、その選手の弱点を強化させたり、良いプレーなどを伸ばせたりする。 3.ラケット 中国の卓球専門店は、さすが卓球王国って感じで、ラケットがずらりと並んでいて、これだけ並んでいるのは日本の卓球専門店でも見た事がないです。値段は100元~1000元くらいまでありピンきりです。ラケットには、《シェイク》と《ペン》がある。その他に《中国式ペン》がある。中国で生まれたラッケットだ。中国人はこのラッケットを使う人が多い。 4.中日間の関係 卓球を通しての日中のつながりは、きわめて深く、歴史もある。中国とは国交正常化以前の56年に東京で開かれた世界選手権に選手団が参加して以来のつきあいだ。
71年には、米中対立に風穴を開けたピンポン外交で、日本がきっかけの舞台を提供するなど一役買っている。 私は政治、宗教、社会体制などで相手と違いがあればあるほど、相互理解のために、スポーツのように一定のルールの
下で参加者が「勝ちたい」「いい競技をしたい」と心を一つにして競う、シンプルな「場」の存在が重要になると思っている。 日中の間柄は、時にぎくしゃくしたからといって、大局的にみて重要なパートナー同士であることは間違いない。相手もがんばり、われわれもがんばるという関係で、
アジアの隣同士として世界になくてはならない位置を占めていくことが大切なのは、卓球に限ったことではないだろう。 5.卓球の強さ 私達が恐れなくてはならないのは、中国卓球の強さではない。中国卓球の理論なのだ。中国選手の技術や戦術ではない。中国卓球指導部の思想である。中国指導部の理論を恐れることだ、彼らの理論水準を。中国指導部の理論が日本より勝っていれば、日本が練習量を増やそうが、強化しようが、能力の優れた選手が現れようが、中国には絶対に勝てないことを分かることです。ここに理論追求の意義があり、思想・科学理論で劣ってはいけない本当の理由がある。多くの人は技術・体力・精神力へと目を向ける、気持ちも行動も。それと反対に思想・理論に目を向ける時期が来たのです。試合とか動きという外側から見えるものからではなく「何てことなのだ、まったく卓球と関係ないような、思想・理論のような内側から卓球を見なくてはならないのか!」と叫びが聞こえてくるようだ。 この二十一世紀は時代・世界が激動の状況に向かっています。二十一世紀は資本主義の存続が問われるから激動の世紀になるのです。今、我々はその激動の始まりにいるのです。これが卓球に思想・科学理論の力を持ちこまなければならない理由なのです。思想・科学理論を信じない者は思想・科学理論を理解しないし・できない。法則の力を信じない者は法則を理解しないし・できない。その者は自己の外部に存在するものを確信しないし、できないからです。好奇心に我が身を任せることができない人なのです。常に経験による常識の観念的な考えにとらわれているからです。 従って卓球も激動の時代にいやおうなしに入るが、しかしそれを我が物にするには、時代に合った正しい理論が不可欠です。二十一世紀は、現在の中国が制覇している状況は変わります。この論文によって中国の分からなかった真の強さが解明できたのですから、これらによって現在の世界卓球の地図は変わるのです。 6.まとめ 日中戦争などで関係が緩和されてないまま、今中国では福原愛ちゃんのブームらしいです。昔は日中では、いろいろな事があったけれど、こうして卓球を通じて仲が深まると良いなと思いました。現在福原愛ちゃんは中国のスパーリーグで、中国のチームの一員として参戦しているらしく、猛烈な努力や純情さを武器に全力で頑張ってほしいと思いました。 参考文献 1、愛知大学現代中国学部編 現代中国 2、卓球論 http://www3.kcn.ne.jp/~m-mutu/takkyuu.htm 3、中日卓球交流の50年 http://www.china-embassy.or.jp/jpn/xwdt/t255646.htm 4、あれから50年、卓球が結ぶ中日の絆 http://www.china-embassy.or.jp/jpn/xwdt/t246661.htm 経営学部経営学科1年 小鹿泰史 1.はじめに 中国武術の種類やそれぞれの特徴についてまとめる。 2.中国武術の種類について 例えば少林拳のように筋骨、体力を鍛え、体を外面から強くして強力を用いる武術を外家拳といい、太極拳のように呼吸や内面を鍛えて柔軟な力を用いる武術を内家拳という。これもはっきりとはしておらず、もうひとうの説として少林拳は仏教の寺院で学ぶ武術であるので出家した者、すなわち家の外にいる者が修める武術であるので外家拳、太極拳は出家しない道教の信者、すなわち家の内にいる者が学ぶ武術であるので内家拳である、というものがある。 武術の種類は少林拳、査拳、八極拳、蟷螂拳、翻子拳、太極拳、八卦掌、形意拳、洪家拳、白鶴拳、詠春拳、蔡莫拳、蔡李仏拳など400種類以上もの武術が存在する。 3.それぞれの武術の特徴や歴史、起源について 3.1.少林拳 中国河南省嵩山に伝わる武術。この武術の起源としてはインドからきた菩提達磨が始祖である。少林寺の僧侶たちの体力がなく精神を鍛えることができないことを嘆き、菩提達磨が体力を鍛える秘法、易筋行、洗髄行を授けた。その後、洗髄行は失伝したが、易筋行を元にして少林寺で十八羅漢手という武術が発達しこれを元に少林拳ができた。 3.2.八極拳 18世紀に河北省滄州のイスラム教を信仰する回族居住地域であった地人呉鐘が癩と名乗る遊牧の道士から授かったことから始まる。敵と接近した間合いで戦うことを最も得意とする。重心移動や体勢の急激な展開動作を行うことを攻撃の源にする。 3.3.蟷螂拳 起源は王郎という腕のたつ男が嵩山少林寺に立ち寄った際一人の優れた腕前の僧侶に勝てず悩んでいたところたまたまカマキリが蝉を捕らえる瞬間を目撃したところからインスピレーションを得て、今まで自分の修得した拳に、このカマキリの象形を模倣することによって蟷螂拳を編み出した。 3.4.太極拳 少林寺で修行した張三豊はその後武当山にこもって修行し道教の呼吸法や、心身鍛錬法をあわせて内家拳(太極拳、八卦掌、形意拳)を編み出した。歴史的にはっきりしている太極拳の源流は、河南省の陳家溝という村にあり、ここでは代々、陳氏の一族に伝えられている武術があった。古い武術、恐らくは同じ河南省にある少林寺の武術が狭く一族だけに伝えられるうちに独自の発達をしたもの。特徴としては健康法として有名で実用的な武術ではなく健康体操として捕らえられることが多い。緩やかな動きの中にも、緩急、緊張を内包する、重厚な風格を持つ。 3.5.八卦掌 成立は19世紀前半といわれており創始者は紫禁城あるいは粛親王府の宦官であった薫海川とされる。八卦掌は名前のとうり「拳」よりも「掌」を多用するのだが掌に限定するわけではなく拳も使う。掌の形も、相手をつかんだり攻撃を受け流すため指先を大きく広げて構える形や、隠し武器や指先で相手の急所を突くために指先をそろえる形など門派により様々である。技の数は非常の多く、一見踊りを踊っているようにも見える動作には、非常に効果的な攻撃方法が含まれる。 (隠し武器参考: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Brass_knuckles_dsc04623.jpg) 3.6.形意拳 形意拳の創始者は清朝末期に人々から、その超絶的な技量から「神拳」と賞されていた達人である李飛羽である。形意拳には見栄えのするような華麗な大技はほとんど見られず、傍目には非常に簡単な拳であると誤解されやすい。だが、その外見のシンプルさは武術としての洗練さを極め尽くされたゆえの簡素さであり、事実、姿勢や打法による要訣は数ある中国武術の中でも屈指の難易度を要求され、上達のためにはさながら精密機械を組み立てるがごとき細心の注意が必要とされる奥深い拳である。 3.7.詠春拳 詠春拳は広東省を中心に伝承されていた徒主武術の一派で、少林武術を祖とし一般てきには腕を短く使い歩幅が狭い拳法とされている。200から300年の歴史があると考えられている。拳法を中心技術として刀術と棍術を含むが、伝承された型を見るとむしろ刀術と棍術を基礎として、それを徒手拳法に応用した部分も多く見受けられる。手技に特徴があり見栄えするため、香港映画や、最近ではハリウッド映画などにもそのアクションのなかで詠春拳の手技が見られることが多いが、根本的に飛んだり跳ねたりということを一切しない実用を重視した地味な拳法体系である。 3.8.毒手 毒をもつ虫や毒草を決まった量で配合しそれを砂と混ぜたものが毒砂。それに手を漬け込み何分かおきに洗薬と交互に浸していく。やがて手がサツマイモ色に変化し始める。これで毒手の完成である。これは日本にも伝わり今川義元と命の下で行われていたという話もある。 4.まとめ 最初は格闘技が好きだったり、漫画を読んでいて気になったことがあったのでこの機会に中国武術を調べることにした。だが調べていくにつれて驚いたことは、中国武術の数の多さである。調べても調べても、尽きることのない武術の数は実に400も!!すべてを調べることはできないので有名なものや興味のあるものを調べてみた。それぞれの武術の歴史の深さや考え尽くされた武術は想像を越えていた。 参考文献 「刃牙」著者 板垣 恵介 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%AD%A6%E8%A1%93 経営学部国際経営学科1年 杉村友哉 北京オリンピックは2008年の8月8日~8月24日までの期間に開催されていることが予定されている第29回夏季オリンピックのことである。中華人民共和国の首都北京を主な会場として行われ、中国では初開催。アジアで夏季オリンピックが開催されるのは韓国・ソウル大会以来、20年ぶり(5大会ぶり)3回目のことである。開会式は中国時間2008年8月8日20時8分(午後8時8分、日本時間は午後9時8分)に行われる予定である。8という数が多く使われているのは8が中国では縁起の良い数とされているからである。競技のうちいくつかは近隣の都市などで開催予定であり馬術競技については2005年7月8日のIOC総会で香港の沙田競馬場での開催が決定した。なおソフトボールと野球については北京オリンピックが、最後の開催になる。 北京オリンピック開催にあたって中国オリンピック委員会は東京大会で柔道ソウル大会でテコンドーが正式種目に追加された過去の事例を挙げて中国武術の正式種目化を訴えたが否決された。代わりに上海でオリンピックと同時に行う国際大会に「五輪」の名称を使用する事を特別にIOCに許可された。中国武術の正式種目採用へ向けて様々な運動もあったが否決されてしまった。 中国武術の正式種目化は願わなかったが中国には多くのメダル獲得が期待できる種目がある。中国と言えばといわれる卓球、体操はもちろんだがバレーボールなども世界トップクラスである。2006年ドーハで行われたアジア大会では金メダル165個、銀メダル88個、銅メダル63個、合計316個とメダル獲得2位の韓国を大きく引き離している。 世界で戦える多くの選手がいる中国で私が最も興味があるのが劉翔(りゅうしょう)である。彼は中華人民共和国の上海出身のハードル種目選手で「アジアの昇り龍」とも呼ばれる。父は劉学根、母は吉粉花。 2002年、ローザンヌグランプリの110メートルハードルで13秒12のアジア新記録(当時)を樹立。
2004年のIAAFグランプリ大阪大会ではアレン・ジョンソン(アメリカ合衆国)を破り、13秒06のアジア新記録(当時)を成し遂げた。
同じ年に行われた8月のアテネオリンピック110メートルハードル決勝では、12秒91の世界タイ記録で優勝し、金メダルを獲得した。 2006年7月11日、ローザンヌ国際において12秒88の世界新記録を樹立した。 10代から世界レベルの記録を出し、いまだ成長をつづけているアジアの誇る世界トップアスリートである。当然2008年の北京オリンピックでは金メダル獲得と世界記録更新の二つの大きい期待がかかっている。 北京オリンピックまであと2年を切り、開催国の中国は、「メダルの数でアメリカを抜き1位になること」を最大の目標に掲げている。大きい期待を背負った選手育成にも力を入れている。アテネオリンピックではアメリカに次いで32個の金メダルを獲得した中国は北京オリンピックでメダル獲得数1位を目標に掲げている。中国のトップ選手がトレーニングを受けているのは国家体育総局の訓練センターで、ここに中国の強さの秘訣がある。これまで、ほとんどメディアに公開されたことがない、それほど中国のスポーツ強化において重要な場所なのである、アテネオリンピックで金メダルを獲得した多くの選手もここを利用している。また訓練センターの下にあるスポーツ専門学校で訓練を受けているのは中国全土の体育学校からスカウトされた子どもたち。最年少は7歳。全寮制で、学費は無料。徹底的なエリート教育をたたきこまれる。 オリンピックの有力新人候補、洪敬宇 選手(21)も9歳から学んでいるひとりで、彼のように次世代の若いオリンピック選手を多く輩出し、層の厚さを強く感じさせる。こういった取り組みからいまやスポーツ大国となった中国の基盤が築かれていったのである。しかしその中国も危機感を強めています。「アメリカ・ロシアと比べると(実力の)差は大きい」「とても大きなプレッシャーがかかっている。相手も非常に強い。中国が何個金メダルを取れるか、現時点ではまだ分かりません」 などといった言葉も中国の関係者たちからささやかれている。このため、陸上や競泳など不得意な分野に力を入れたり、プレッシャーに打ち勝つためのトレーニングに取り組むなど、強化策に乗り出している。中国は北京オリンピックを運営面で成功させるだけでなく、競技面でも金メダルラッシュを実現させ、アメリカを追い抜くことができるのか。高まる期待の中、プレッシャーが重くのしかかっている。 日本のすぐ近くにある中国。そこで行われる北京オリンピックについて調べることができた。この大会はアジアでは久々に行われるオリンピックで中国での初開催ということもあって大きな盛り上がりと期待がかかっている。大国である中国がスポーツでもその存在を世界に誇示するチャンスでもある。経済面でも勢いのある中国がいくつのメダルを獲得するのか、そこに自分はもちろんだが世界中の注目が集まっている。北京オリンピックについて調べてみて選手のことや中国のオリンピックにかける思いがわかりよかった。いい勉強になりました。 参考文献 1.愛知大学現代中国学部 「現代中国」 あるむ 2.ウィキぺディアフリー百科事典 3.人民網http://www.people.ne.jp/2006/11/07/print20061107_64669.html 4.2006年アジア大会Inドーハhttp://www.doha-2006.com/ 経営学部経営学科1年 竹上昂之 1.
中国の野球の歴史、近代、現代の概況 中国に野球が伝わったのは100年以上前のことで、アメリカや日本への留学生やアヘン戦争後にやってきた宣教師によって伝えられたと言われています。1959年の第一回全国運動会(日本で言う国体)では、30以上の省・市のチームが優勝を争いました。しかしその後文明大革命によって野球文化は衰退、野球チームも解散となりました。 2. 中国野球リーグについて 中国野球リーグの発足は1990年です。1990年を「職棒元年」とし、2006年は「職棒十七年」と呼んでいます。 英語の通称はCBL、リーグの略称は中華職棒、あるいは中華職棒聯盟か中華職棒大聯盟です。 当時の参加チームは兄弟象(エレファンツ)、味全(ウェイチャン)龍(ドラゴンズ)、統一獅(ライオンズ)、三商虎(タイガーズ)の4チームで、台北、台中、台南、高雄を始め、野球場がある都市巡回という形で開催されました。その後1993年に俊国熊(ベアーズ)と時報鷹(イーグルス)を加えて6チームです。1997年には和信鯨(ホエールズ)を加えて7チームとなりました。 しかし一部選手の八百長参加疑惑や1997年に発足した台湾大連盟の影響で一時は人気が低迷した時期もありました。その為1997年には時報鷹(イーグルス)、1999年は三商虎(タイガーズ)、味全(ウェイチャン)が相次いで廃部の憂目を見ました。2003年に中華連盟と台湾大連盟の2リーグが統合して、統一獅(ライオンズ)、中信鯨、兄弟象(エレファンツ)、興農(シノン)牛(ブルズ)に台湾大連盟から誠泰太陽と第一金剛を加えた6チームによる中華連盟になりました。リーグ名は中華職業棒球大聯盟(中華職棒大聯盟)に改名したが、中華職業棒球聯盟(中華職棒聯盟)のままで表示される場合もあります。2004年に誠泰太陽が誠泰COBRAS(コブラズ)に改称し、第一金剛は身売りしてLa New熊(ベアーズ)となりました。 3. 試合について 年間100試合を行い、前期と後期に50試合ずつ行います。年間20回の総当たり、前期と後期10回の総当たり戦を行います。 4.プレーオフ制度について 2005年のシーズンから再びプレーオフ制度が施行されました。レギュラーシーズンの試合方式は変わらずに、前期または後期のどちらかを制覇し年間勝率1位の球団は7試合4勝先取制の決勝戦へ進みます。前期または後期のどちらかを制覇したが年間勝率1位でない球団は、他の4球団のうち勝率が一番高い球団と決勝戦の出場権を賭けて5試合3勝先取制で対戦します。ともあれ最後の7試合4勝先取の「台湾シリーズ」を制すとアジアシリーズの中華職棒(台湾)代表として進出します。 5. 選手の待遇について CBLは抜き打ちで体力測定を行っており、これに合格しなければ出場資格が与えられないという厳しい条件下です。(3200メートルを14分20秒以内、ベースランニング1周16秒50以内など)不合格者を出したチームは罰金として1万元(10万円強)をCBLに収める必要があります。 選手の給料は月給制で、選手の能力やチームの経済力によってその額は異なるが、だいたい1000~4000元の間です。これは中国の一般の会社員の平均所得並であります。 6. アジアシリーズについて 大会には日本(日本野球機構/日本シリーズ優勝チーム)、韓国(韓国野球委員会/韓国シリーズ王者)、台湾(中華職業棒球連盟/台湾シリーズ王者(総冠軍)、中国(中国野球リーグ/国内王者)、ただし実際は第1回・第2回ともリーグ選抜が出場)の各国リーグ戦優勝チームが1回戦の総当りのリーグ戦を行って、その後に上位2チームが決勝を行う(3位決定戦は行わず、予選リーグの成績により3位以下の順位を決定)というもので、アジアナンバーワン決定戦という位置づけであります。第1回からコナミが特別協賛しており「KONAMI CUP アジアシリーズ○○(西暦)」と言う大会名で行われています。この大会の優勝チームには5000万円、準優勝チームには3000万円、3位、4位にもそれぞれ1000万円の賞金が贈られます。 7. まとめ 中国の野球はいまだに日々発展を遂げて、よりよいものへと進化していっていると思いました。年間試合数では当初90試合だったのが今では100試合に増えたり、メジャーリーグや日本のプロ野球のようなプレーオフ制度も導入されたりしています。チーム数ではメジャーリーグや日本のプロ野球より明らかにまだ少ないという状況です。しかし今後、中国リーグでのチーム増加は十分ありえることだといえると思いました。アジアシリーズといった日本の日本シリーズ優勝チームと、韓国の韓国シリーズ王者と、台湾の台湾シリーズの王者、中国の中国野球リーグの王者による争う大会も開かれますます進歩していっていると思いました。これからも大いに期待できるものをもっているリーグではないかと僕は思いました。 参考文献 1.「現代中国 第二版」 愛知大学現代中国学部 編 2.スポーツ 華職業棒球聯盟 中国野球リーグ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%A3%92%E7%90%83%E5%8D%94%E4%BC%9A 法学部1年 川口智弘 1.中国のサッカーについて 中国ではサッカーは“足球”と呼ばれ、現在国内で最も人気のあるスポーツである。その中国のサッカーについて歴史や成績などを参考に述べたい。 まず最古のサッカーは国際サッカー連盟(FIFA)の認定しているところでは、紀元前206年ごろの中国が起源である、といわれている。しかし、中国のサッカーレベルは現状として決して高いとはいえない。そこで、中国サッカー協会は1994年に国内のサッカー競技レベルの向上を目指して「中国サッカー・スーパーリーグ」を設立し、日本のJリーグに相当する「甲A」のテレビ視聴率は40%にも達するといわれる。その成果は確実に出ており、2002年に名将ボラ・ミルティノビッチ監督が率いて日韓W杯に悲願の初出場した。結果はブラジル、コスタリカ、トルコと同組に入り1点も取れず、1試合も勝てずにグループリーグ敗退を喫してしまった。だがその後、自国開催となったアジアカップ2004で準優勝し、2006年のドイツW杯には出場できなかったが、2008年に自国で開催される北京オリンピックに照準を合わせ世代交代を進め、2005年の東アジア選手権では日本を決勝で破り優勝した。日本で活躍する海外選手と同様、中国にも李鉄という選手が現在イングランド・プレミアリーグで活躍している。 2.アジア大会の結果 次に、2006年12月1日~15日までカタールのドーハで開かれたアジア大会の中国の成績を紹介したい。アジア大会はアジア45の国と地域が参加し、39競技、424種目が行われ、“アジア版オリンピック”といわれるほど大きな大会である。今大会、中国は金165、銀88、銅63の合計316個のメダルを獲得し、日本の198個、韓国の193個を大きく上回った。 アジア大会のサッカー競技は当初はA代表の大会であったが、同年行われるFIFA輪―ルドカップのアジアからの出場国が増えたことに伴い、1998年バンコク大会より、オリンピック代表世代のメンバーを送り込む国が増えてきた。そのため、2002年釜山大会よりオリンピックと同様23歳以下のメンバーに加えて、23歳以上である「オーバーエイジ」と呼ばれる選手3名という年齢制限が設けられるようになった。これに対し女子は年齢制限は設けられていない。これまでアジア大会での男子サッカーは6回開催され、優勝はイランが最多の4回、韓国、カザフスタンが1度ずつしており、日本、中国は一度も優勝していない。この大会、日本は北京オリンピックをにらんで21歳以下の選手で大会に臨んだ。その他の国々はほとんど23歳以下の選手で臨んだ。2次リーグは24カ国が参加し、6組に分かれ、そのうち1位は無条件に準々決勝に進出し、各組の2位のうち勝ち点、得失点差などで優れた2チームが準々決勝に進出する。男子2次リーグの結果は次の通り。
※ウズベキスタン、カタールが進出
※韓国が進出
※タイが進出
※
イランが進出
※中国、イラクが進出
※
北朝鮮が進出 ∇準々決勝 イラン2-2(PK8-7)中国 イラク2-1ウズベキスタン カタール3-0タイ 韓国3-0北朝鮮 ∇準決勝 イラク1-0韓国 カタール2-0イラン ∇3位決定戦 イラン1-0韓国 ∇決勝 カタール1-0イラク 最終順位 ①カタール ②イラク ③イラン このようにカタールが自国開催で初優勝し、金メダルを獲得した。中国は予選リーグを突破したが準々決勝で惜しくも敗れた。日本は予選リーグの最終戦で北朝鮮に負けて準々決勝進出を逃した。これまでワールドカップの常連である日本や韓国、そして中国が中東の国々に敗れた結果となった。また女子は北朝鮮が優勝、日本が準優勝、3位決定戦で韓国を下した中国が3位だった。 3.中国サッカーの問題点 中国は現在、サッカーに力を入れている。なぜなら、2008年に世界中が注目する北京オリンピック、そして2010年のアジア大会は中国の広州で開催されるからだ。そのためには国内のリーグのレベルを上げる必要があるが、中国サッカー・スーパーリーグには問題もある。 まず、観客動員数の低下、伸び悩みである。統計によると、中国のスポーツ番組の視聴者構成はサッカーが7割を占め、そのうちの4割は海外サッカーとなっている。一方の中国国内サッカーはCCTV(中央電視台)が04年から2年にわたり放映を中止していたこともあり、2割弱にとどまっている。観客動員数は発足当時は3万人近くだったが、04年には1万5000人前後にまで減少した。一部の人気チームが2万から3万人を集めることもあったが、それでも大半の試合は1万人程度。その他のチームはおおむね800から2000人で、中には観客が300人(公式発表)の試合さえあった。観客動員数や広告収入の低下を受けて、身売りするクラブも出ている。一部のクラブはチケットを無料配布するなど、クラブ側も観客動員数の増加を目指して対処しているが、目立った効果はあげられていないのが現状だ。サッカー好きな中国人に国内リーグが受け入れられないのは、やはり「海外とのレベルの違い」が原因であるといわれている。多くの中国人にとっては「弱い」国内サッカーよりも「強い」海外サッカーや、中国のお家芸ともいえる強いバドミントン、卓球に関心が向いているのが現状だ。ただし、それだけが原因ではない。それは審判員の買収やクラブによる八百長が相次いでいるからだ。 しかし、何より中国の人口は群を抜いて世界一で、競技人口も多い。近い将来、アジアだけでなく、世界でも通用するレベルになる可能性がある。 4.まとめ いろいろ調べてみて、アジア大会の成績や中国のサッカー事情がわかった。まず、アジア大会での中国のメダル獲得数に驚かされた。確かに、出場選手が圧倒的に多いこともあるが、日本や韓国とはメダル数にかなりの開きがある。このままいくと、さらにこの開きが大きくなると私は思う。日本も負けないように積極的に強化に取り組まなければならないと感じた。アジア大会のサッカーでは、日本が優勝していないこと、中東の国が多く優勝していることに驚いた。また中国のサッカーリーグにいろいろ問題があることもわかり、これだけ人口がいるのになかなか結果が出ていない理由がなんとなくわかった。でも中国の経済が急速に発展しているように、スポーツの面でも本格的に強化に取り組めば、将来必ず「スポーツ大国」になると思う。実際テレビで中国の幼少期からの「スポーツエリート育成」の映像を以前、見たことがある。このような強化が順調に進めば、2008年の地元開催となる北京オリンピック、そしてその後のオリンピックでかなりの期待ができると思う。このようにいろいろ調べたのを機会に、北京オリンピックでは日本だけでなく、中国の成績にも注目していきたい。 参考文献 1.『ハンドブック現代中国第二版』愛知大学現代中国学部編、あるむ、2006 2.『Wikipedia 中国のサッカー』 http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC 3.『スポニチ Sponichi Annex アジア大会ドーハ2006』 http://www.sponichi.co.jp/soccer/japan/2006/asian_games/men_index.html |